* 契約者の心得
フィルガ、ディーナが可愛いのですが・・・・・・。
あんまり愛情押し付けないよう(独りよがりなので)努力中。
ジャースリート家の先祖は誰と、一体どんな契約を取り交わしたのだろう。
何の目的あっての事なのか――。
* * * *
フィルガはディーナのために、資料室の鍵を開けた。ルゼの言いつけだった。
契約の話を知ったディーナはそういったものの記録書があると、ルゼから聞かされたらしく目を通しておきたいと頼んできたのだ。
それはもちろんルゼにであって、自分はただこうして案内役を任されただけだ。
ディーナにとって資料室はあまり近づきたくない場所らしく、目当てのものはここに降りねばないと告げられると、顔を強張らせた。
しかも自分が一緒とあって、ますます身構えているらしくほとんど無言のままだ。
まあ、原因は自分に覚えがあるから、彼女が身構えるのも無理はないと思う。
「ディーナさん、手を」
先に段差を二歩降りて振り返り、どうぞと手を差し伸べる。
ディーナは唇を真横に引き結び、ややあってから小さく頭を振った。
やれやれと内心ため息をつきながら、フィルガは無言のままもう一度手を伸ばし促した。
「・・・・・・。」「・・・・・・。」
なにやら緊張した空気である。お互い、相手の出方を見守っている。
ここで手を取ればまた、自分が手を離さなくなる可能性を読み取っての事だろう。
隙あらば触れたがるフィルガに、ディーナは困惑し始めているのだ。
恐ろしく無防備なくせに、本能では感じとっているらしい。
それが目の前の男の手を取らせるのを、ためらわせるのだろう。
「ディーナさん?」
あくまでもにこやかに、なおもうながす。親切面の仮面を被ってやさしく。
ディーナからは先程“兄”のようだと言われてしまった。いや、最初は“父”だった。
ようは彼女にとっての、安全な存在を演じてやればいいのだ。
ディーナにはもうしばらくは、「妻に」などと口にしない方がいいのは明らかだ。
彼女は確かに、フィルガの望んだ契約に従って橋を渡って来てくれた少女のハズなのだが。それなのに、ディーナからは全面拒否されている。
怯えさせてしまい、また逃出そうとされては敵わない。
フィルガの望んだ生涯ただの一人は、「妹」などという存在ではない。
だが、まあしばらくは兄貴ぶるしか仕方がない。・・・・・・しばらくは。
そう自分に忍耐強く言って聞かせる。
「・・・・・・大丈夫。この服ならそんなに歩きにくくない、」
言いながらそろそろと一歩を踏み出したディーナだったが、早速踏み外してしまいバランスを崩してよろめいた。
「!!」
フィルガは素早く彼女を抱きとめる。
体勢から遠慮している暇などなく、倒れこんできたディーナの身体をまるごと受け止める。
強くディーナの背と腰に腕を絡ませたのは一瞬で、すぐさま彼女の両腕の脇を固定して華奢な身体を持ち上げた。そのままフィルガはくるりと身を捩じらせて、ディーナを段差のない平地へと着地させてやる。
自分に起こった一連の出来事に、処理の追いつかないディーナはただただ目を見張ったまま固まっていた。
そうしていると瞳の大きさが強調されて、また違った印象で可愛らしい。いつもは縁取るまつげが豊か過ぎるせいで、いくらか目じりが下がり気味に、かつ気だるげに見えてしまうのだ。
ディーナの瞳が焦点を捉え始めたと同時に、フィルガは大げさなため息とともに素早く手を離した。
「大丈夫、ですか?」
ディーナは大丈夫だと言ったが、どこがそうなのかという皮肉を込めての物言いだった。
「・・・・・・ありがと」
「あまり、手間掛けさせないで下さいね」
「・・・・・・。」
言葉なく申し訳無さそうに小さく頷くディーナに、フィルガはすぐさま手を離してやったことを軽く後悔していた。せっかく彼女がしおらしいのに、もったいない事をしたものだ。
紳士面で助けたフリをして、ディーナに身構えさせず触れられる機会だったのに――。
内心の落胆がついついイラついた響きを持って、ディーナを責めていたことに気がつく。
「失言でした。違います。“あまり心配させないで下さいね”です」
「心配?」
「アナタ、無茶をしますからね。何につけても」
「無茶なんてしてない」
悔しそうにドレスの裾を軽く両手でたくし上げながら、ディーナは上目遣いでフィルガを睨みつけてきた。しおらしさはとっくに何処かに吹っ飛んでいたらしい。
「まあ確かに。宣戦布告した相手に、借りなんか作りたくもないでしょうけれどね」
言いながらフィルガは、棚へと先に向かう。
この膨大な資料そして書籍の中から、目当てのものにたどり着くまでにディーナだけなら軽く一日費やす事になるだろう。
フィルガ自身、自分も目当ての物を探す――フリをしながら、背後でディーナの様子を窺う。
ディーナは新古を問わず、関連するものを片っ端からあたる気でいるらしい。
棚から抜き取られ机にと置かれた書物は、どんどん積み重ねられていく。
当然だが、的がまだ絞りきれていないのだろう。
どこから手をつけてもいいのかすらわからない。見当もつかない。ならば、地道に全部一つずつ当たっていく気なのが伝わってくる。その根性は評価に値すると思う。
フィルガはディーナが爪先立ちになり、手を伸ばしているのですかさず代わりにとってやった。
「これですか?」
「うん。ありがとう」
女性には高すぎる棚だが、フィルガには何の問題もない。
ルゼは必要があったら、フィルガに言い付けて済ます。だからここには、踏み台は置かれていない――。
祖母の狙いはそのあたりだろうか。
全くもってお気遣いどうも。
「ディーナさん。この辺も参考になると思いますよ。我が家の年表なのですが」
慣れた手つきで、フィルガは迷いなく資料を選び出す。
机に山と積まれた資料の横に、別にして置く。なだれが起きてしまいそうだったから。
「何で協力してくれるのよ」
ディーナは理解できないとでも言いたげな様子で、棚に手を掛けたまま振り返った。
「いけませんか」
「何か、素直に喜べません。フィルガ殿」
「俺は楽しみにしていると言ったでしょう」
「言ったね」
「アナタのやり方じゃ、あまりに効率が悪すぎて何年かかることやら・・・・・・。
契約、獣、聖句、能力。何から手をつけていいのかすら、解らないのでは?」
ディーナの選んだ資料を見て、軽口を叩く。
「何さ。その通りですけどね。しかも私・・・・・・。解らない事だらけだしね」
返された軽口に含まれた意味は、何も術者の基本知識について無知だと言っている訳ではないのを察する。
ディーナは橋を渡る前の記憶が無い。自分の事もだ。知っていることといえば、自分の名前だけ。そのことを最近自覚したとは、祖母から聞かされていた。
だがその事については、フィルガは一切触れないでおいた。
橋を渡って来た者の記憶は皆偏っているから、何の疑問も持たないように――。というのは、迎えるものの心得だとフィルガは教わっていたからだ。
そしてこちら側に馴染むまで、その存在が確実なものとなるまでは、あまり疑問を持たせないようにとも。
「やはりもう、気がついてしまいましたか」
「フィルガ殿も最初から、気がついていた?」
「ええ、まあ。――はい」
「そう」
ディーナは小さく微笑みかけながら、フィルガへと向き直る。
その儚い風情にフィルガは思わず、息を呑んだ。
何もかも諦めて受け入れたかのような、そういう笑み向けられたのはこれが初めてではない。
いやでも、幼かったあの頃の記憶が蘇る。
今こうして目の前にいる娘は、あの絵の中から抜け出してきたかのようだ。そんな錯覚に目眩がした。
フィルガ殿?どうかした?
そんな呼びかけすら何処か遠くに感じながら、フィルガはディーナを見下ろしていた。
向かい合う彼女のちょうど肩先、少し離れた所に飾られた絵画の中の少女シィーラ。
彼女もまた、同じ風情で微笑み掛けてくれている。
* * * * *
腹は立っていたが、一応礼は言った。
教わった通りにドレスを摘み上げて、片足を後ろへ下げ膝を折る。
「あーりがとっ!」
妙な節を付けたので、ちっとも感謝の気持ちが感じられやしなかった。
対してフィルガも恭しく左手を胸に押し当てて、頭を下げる。
彼がやると様になっていて、白のシャツに上着を羽織っただけという軽装でも優雅に感じられた。
「どういたしまして。解らない事があったらいつでもどうぞ。協力は惜しみませんよ」
からかい口調で嫌味を浴びせる。言いながら、仕事があるからと戻って行った。
(上級者の俺とじゃあ差がありすぎますから。記憶すら持たないアナタでは、あまりに不利では?)
どうして協力的なのかさっき問うて、あっさりと言われた。思い返してまたムカついた。
言い返せなかったこともあって、さらに。
背を向けたフィルガを恨めしく見送る。すぐ、回廊を曲がって行ったので見えなくなった。足が長いせいか、歩くのも早いようだ。――背の高い人だと、改めて思った。
彼に抱きかかえられたことも、そういえばあった。目線がいつもよりもずっと、ずっと高くて結構怖かった。
(だからか。フィルガ殿がいつも上から目線で物を言うのは)
フィルガは敬語でディーナと話すくせに、内容は全然敬ってなどいない。
しかも自分の名を敬称付けて呼ぶところがわからない。何でだろう。
資料室は暗いし冷えるからいけない。
親切にもそう言って、フィルガは部屋まで資料を全部運んでくれたのだ。
その心配りは、一体何なのか。
(わかんないなあ、もう)
椅子に腰掛けて、テーブルに積まれた資料と向き合う。
そのほとんどが、フィルガの推薦の物だ。
ディーナに見せたくない資料があって、それを選ばせないためのお勧めかもしれない。
そう邪推してもみたが、渡された資料をめくってみると、ディーナの欲する事についてちゃんと触れているようだ。
確かに立場も能力も、彼が優位に違いない。
ディーナごとき素人に手を貸したところで、己を越すとも思いもしていない者の余裕の現われだ。
(・・・・・・がんばろう。今にみてろよ、フィルガ)
ディーナは意気込んで、資料をめくる。
可愛いのでかわいがっているつもり。そして、鈍いディーナにイラついてイジワル。
大人なんだか、子供なんだか。
彼は割りと教育者タイプ。やる気のある子はしごきます。