第四章 * 置き去った記憶
フィルガに対するとき嫌に威勢の良かったディーナですが、一人になるとまた勝手が違うようです。
眠れないのか、眠りたくないのか・・・・・・。
ディーナはここの所、寝つきが悪い。おまけに、眠りも浅い。
無理に眠ろうとして、床に入っても次から次へと問題が浮かび上がってくるのだ。
考えても仕方が無い、対処のしようのない問題に煩うのは精神を疲労させる。
わかってはいるが、振り払えないのだ。
最近ではあきらめて、本格的に睡魔に抗えなくなるまで、横にならない事にしている。
今夜もこうして膝を抱え込み、床に直に腰下ろしていた。
背はベッドのへりに預けて、窓から射し込む月明かりを眺め見ている。
(月がキレイだな――・・・。)
視線は月へと預けたまま、ディーナはそのままの体勢で、横に倒れこんだ。
床といっても織物が敷かれているので、冷たさは感じない。
むしろベッドのようにやわらか過ぎないので、心地良く思える。
背に当てていたクッションを胸に抱えて、顔を押し当てると、両足を交互にバタつかせてみた。
今のディーナの心境はまさにこの、体勢そのままだった。
じたばたもがいて、抗って。必死に水底から、顔を出そうとしている。
フィルガに宣言するに至る前、ディーナは丸二日間荒み切っていた。
近寄ろうとするフィルガに殺気みなぎらせて威嚇し続け、いい加減くたびれ始めた三日目にルゼが来た。
ディーナはルゼに対しては、威嚇する気にはなれなかった。
犯しがたい雰囲気をまとうルゼには、とてもじゃないが敵わない。
そんな気がして、無礼を働く気も失せるというものだ。
不思議なほどすんなりと。
他人を受け入れるし、また受け入れられる。
そういう器の大きさに、ディーナは密かに敬意を払っている。
そんなルゼとの会話は、けっして不快ではなかった。
むしろ、心地よい安心感に癒されて、フィルガと向き合ってみようかと思わせてくれたのに・・・・・・。
こうして一人きりになると、まるで様子が違うのだ。
ディーナは繰り返し、繰り返し、ルゼの言葉をなぞり続けては、こうして考え込んでしまう。
話の内容は確かに重たいものだった。
それをルゼはさらりと語ってのけ、何の湿り気も感じさせなかった。
そのせいか。その場では今ひとつ、浸透しきっていなかったらしい。
最近になってようやく到達したものが、安眠を奪うほど厄介なものだったとは。
ディーナはクッションを抱えなおして、体を丸めた。
そうするとヒラついた寝間着の裾に、つま先がちょうど隠れて暖かい。
少し冷えてきた。
でも、ベッドに移動したくない。せっかく、やっと眠たくなってきたのだ。
動くなんて面倒な事をして、眠気を逃したくは無い。
ようやくまどろみ始めると、無意識にあの日のやり取りが蘇ってきた――。
(いい加減、自分もしつこいな・・・・・・。)
眠気が優勢な今、頭を振って追い払う気力もないので、浮かぶままに任せる。
* * *
『私としても、ディーナ。貴女を手放す気なんてないの。
私情が入りすぎているのも認めるわ。それでも立場上、貴女はその能力故に争いの原因になると判断します。
だからフィルガに、ディーナから目を離すなと命じたのは私。貴女の身柄はこのジャスリート家が預かる。
・・・・・・軟禁します』
ルゼはディーナの涙に時折り、母親の部分が顔を覗かせてしまうらしく、今ひとつ領主に徹しきれない様子だった。
口調にもそれが表れていて、ぎこちなかった。
『貴女を手に入れれば、獣たちをも手に入れたも同じ事。かつて、シィーラも晒された
危険です。私としては、それを危惧しているわ。・・・フィルガもそう考えているの』
『・・・・・・。』
そうやって一生、自分から自由を奪う気でいるのか。
危険だから、外に出さない?
ディーナはルゼの言葉を消化しようと、瞬きを忙しなく繰り返した。
瞬くたび涙が滴って、払われる。
ディーナの不満を予測していたのだろう。
ルゼは低く、静かに付け加えた。
『ディーナちゃんが、術者をものともしない術を心得るのならば。
話は別よ。私達も対処の仕方を変えるけどね。
誰も貴女に指図することが出来ず、その能力を無理に利用されることも無ければ、貴女から自由を奪う理由などないわ』
『・・・・・・。』
ルゼもフィルガも口調は違っても、言わんとしている事は一緒のようだ。
【――・・・俺に付け入られるスキが・・・・・・。】
(隙があるとか。言ってくれたわよね)
フィルガの言葉が蘇り、また小さく腹が立ってきた。
認めるのも癪に障るが、図星をさされたから余計にだ。
ディーナ自身には見えていなくても、他者からは違って見えているらしい。
改めて自分の甘さと、獣たちに対する配慮の欠如を思い知らされたのだ。
指摘されなければ、わが身を省みようとすらしなかっただろうから、情けない。
ルゼの言葉に、ディーナは選択を迫られたものと受け取った。
保護という名の隔離を振り払うためにも、これからの在り方を選び行動するしかない。
(他の術者をものともしない、その方法は?)
ディーナが色々と思いをめぐらせている横で、ルゼはクッションを真上に放っては、受け止めていた。
何回か繰り返し、放り上げながら呟く。
『ごめんね』
『・・・・・・っ、いいえ・・・』
突然だったので、反応が遅れた。考え中だったので、なおさらだ。
『別にそのことを抜きにしても、私もディーナに居て欲しいの。ただ、単純に』
受け止めたクッションを胸に抱き、ルゼはディーナを覗き込むよう、首を傾げた。
常緑の瞳は真っ直ぐにディーナを見つめている。
ルゼは視線を外さないで、会話をしようと心がけているようだ。
それは初めて会った時から、ずっとだった。
『怪しいと思わないのですか?』
『何が?』
『私がです』
『思わないわね』
ルゼもそうだが、フィルガもだ。
あっさりとディーナを受け入れる、そんな二人に疑問を感じていたので尋ねたのだが。
『どうしてですか?』
『どうして、と言われてもねぇ。それこそ、どうしてそんな事訊くの?』
『私自身が自分で、怪しいと思ってますから。この能力だって、いつのまに私・・・どうして呼べる・・・ように・・・?』
(あ、れ?そうだ。私、どうして・・・・・・?)
言いながらだんだん独り言のようになってしまい、自分自身に問う形になってしまった。
ーー呼べばいい。そう、確か声が聞こえたのだった。
(誰、の声・・・・・?)
『私、どうして獣たちと、いつから?私、どうして、橋を渡ってきた・・・?』
次々説明のつかない事柄に思い当たって、ディーナは不安になってルゼを見た。
ルゼはそんなディーナに、暖かな笑顔を向け続けていてくれた。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、だからね。
そういって、ディーナの手を握り幼子にするように、頭を撫でつけてくれた。
『ああーーぁ、ディーナちゃん・・・。ついに自分の存在に疑問を持ち始めちゃったかぁ!・・・・・・もう少しそのままで、居させてあげたかったのだけれど。もう、限界かもね』
一体、何を言っているのか。混乱したディーナには、何の事かさっぱり見当もつかない。
『能力がどうの、どこから来たのだの、ディーナ。気に病む必要なんて、ないのよ?
少なくとも私もフィルガも、気になんてしちゃいないの。
貴女が来てくれただけで嬉しいのだから』
* * *
試しに訊いてみるわね、とルゼは優しく気遣わしげに微笑んだ。
答える必要は無いから、とも、付け加えられた。
『ディーナ。貴女は、橋を渡る前は何処にいたの?』
わからない。
白紙だった。全くの空白。
訊かれて初めて、答えを持たない自分に気がついた有様だった。
はっきり言い切れるのは、名前だけ。
年齢だって、最初見た感じこれくらいかと言われたままを、そうだとしてしまった。
自分で自分に対して、何の疑問を持たないでいた自体がどうかしている。
『あの子もそうだった。もっともあの子は、自分の名前すら知らなかったわよ』
覚えていたのはただ、ひとつ。
『シアラータ。私の大切な方。それだけよ』
それ以外は全て、あの橋の向こう、霧の彼方に置き去って来たのだ。
名前以外の記憶がない。
それでも自分はディーナだと事あるごとに、言い張ってみてもあまりに弱すぎる叫びでしかなかったのも、頷ける。
ディーナの主張が尊重されない訳だ。
(それでも。私は、ディーナだ。それ以外の何者でもない――・・・。)
ディーナはまどろみながら、必死ですがった。
目覚めて、それすら忘れてしまうのが怖いと思った。
忘れたことすら、無かったことにしてしまうかもしれない。
そんな自分が怖いから眠りに抗うのだと、今更ながら自覚した。
自分に疑問を持たないっていうのは、なかなか。
スゴイことだと思いませんか。なんにつけても。
ディーナちょっと、珍しく弱気です。
彼女の唯一のアイデンティティーは、名前だけなのにやっと気がついたのですから、当然かと。
――第四章まできました。
やっと、契約について入りますので、よろしくおねがいします〜。