第三章 * 橋のたもとで
浮かれ気分も台無しのディーナ。
フィルガは何だって、こうもしつこいのか。
でもすこし、心強い仲間もいるので救われています。
いつまでも、獣に頼りっぱなしなのもどうかと思う。
ディーナは館から遠ざかると、レドの背から降りて自分の足で歩き始めた。
「ありがとうね、レド。重かったでしょう」
“シィ・・・。ディーナ軽すぎて、重みを感じなかった。何で出来ているのだ?”
さあねぇ、とディーナは小首を傾げながら、苦笑する。
「あんたが力持ちなだけだと思うよ」
ディーナはレドの頭を撫でてねぎらいながら、少しでも早く館から離れようと歩を進める。
――レドの助けを借りて、無事にこうして館を抜け出したのだ。
そうでなければ、無理だったと言い切れる。
二階から飛び降りて、高い壁を越えた上、堀を飛び越して渡るなどとは
流石のディーナもレドの協力無しでは、実行は難しい。
***
何をして遊ぶのかと、レドは訊いてきた。
だからディーナは、ここから逃げたいのだと答えた。
“逃げる?何からだ?ここはシィー・・・・・・ディーナの館なのに”
「フィルガ殿。」
ため息混じりにきっぱりとディーナが告げると、レドはあっさり承諾した。
“シィーラの息子、フィルガ。オレもあいつ嫌い”
「・・・・・・なんで?」
“いじわるするから。あいつ、シィーラに近づくモノに容赦しない”
「容赦・・・・・・しないって?」
“怖くて言えない”
なんですと?!
ディーナは改めて、ここから立ち去る決意が固まった。
フィルガはディーナをシィーラとして、迎えたがっている。
相当の執着をもってして、臨むその姿勢には嫌悪以外の感想が浮かばない。
レドの話からすると獣達に対する態度も、ディーナの受け入れられる範ちゅうを超えていそうだ。
「ね、レド。さっさと逃げちゃおっか」
“それがいい”
そうしてレドの背に身を預けたのだ。
***
――脱出はうまくいった。
もっと早くこうすれば良かった。こんなに解放された気分になれるのならば。
何はともあれ、自由だ!自由!
浮かれているので、足取りも軽い。
出で立ちも、もとからしていた旅装束なので、足さばきも良い。
なんとも身軽で嬉しいったらない。
小走りに駆け出したディーナの速さに、レドも合わせてくれる。
“楽しいな!シ・・・・・・ディーナ”
「楽しいねえ!」
本当に楽しい。
自由に走れる事が、こんなにも楽しいという事を思い出せた気分だった。
さして月明かりもない夜だったが、時おり雲間から射し込むか細い月光が、少女と獣を照らす。
一人と一匹は互いの影とも連れ添って、心強い気持ちで駆け続けた。
まだ温み切っていない追い風に、背を押してもらいながら――。
***
ディーナは橋を渡ろうとして、たじろいだ。
いくらか夜闇に目が慣れてきたとはいえ、今宵は月明かりもままならない。
――見通しは制限される。
あの霧深かった日とは別の条件で、その先に何が待っているのか。
わからない(と、思いたい)が、気配はしている。
そのなじみのある気配に、浮かれた気分は一気に沈んだ。
「――!?・・・なんでっ、ここにいるのよ!!」
思わず声が引きつって、裏返った。恐怖のあまり悲鳴に近い。
人影が歩み寄りながら、答える。
「それは、俺の領域内ですから」
彼の言葉が、単に管轄する領土の中だからと言っているわけではなさそうだ。
なにせ彼はシィーラの息子なのだから―。
おそらく、フィルガにも何かしらの『能力』があるのだろう。
それをどうして見落としていたのだろう。
見抜けずにいたのは、自分の手抜かりとしか言い様がない。
この男はディーナを、この橋のたもとでこうやって、待ち構えて居たではないか。
あの全てが始まった霧深い、あの朝とまるで同じ・・・・・・。
「やあ、ディーナさん。夜のお散歩ですか」
「そんなところ、よ」
フィルガの口調は意識してのものか軽く、語尾は柔らかい。
それでいて、表情はけしてそれに見合ったものではなかった。
その冷め切った瞳と合っていない声音は、不気味に感じられる。
――わかるのは多分彼が相当、腹を立てているという事だ。
ディーナは自分よりも頭二つ分程、高くから睨み下ろす視線を睨み返しながら、決めた。
その取り澄ました態度を崩す。嫌われるに限る。
館を黙って後にしたことで、なぜか後ろめたさを感じてしまうが、それをフィルガに悟られたくは無かった。
第一、ディーナは責められるいわれなどないのだ。
そこを気取られれば、付け込まれるだろうから、見抜かれてはならない。
強い姿勢を崩すまいと、ディーナはより一層力を込めて、フィルガを見据えた。
レドがそっと自分に身を寄せたのを感じて、安心させるために背に庇う。
「そこ、どいてよ。通してちょうだい」
「・・・――何がお気に召さないのですか?」
「何もかもよ!」
噛み付きかねない勢いで叫ぶ。
「何もかも?」
フィルガが理解できないといった調子で繰り返すので、苛立ちが増す。
おとなしくしていた分、不満は大きくたまっていた。
「お綺麗でキュウクツなドレスから、豪勢な部屋から、贅沢な食事から、何から何まで全部よ!!一番嫌なのは、フィルガ殿!あんたのそういった態度が、一等ガマンならないわ」
「では、一体どうしろと言うのですか?」
「解放して」
強引な客人としての扱いは、彼らなりの好意の表れだ。
それくらい、頭ではわかっている。
しかし、自分は必要としていないから、素直に受け取れないのだ。
ディーナの望むものは、かれの差し出すものなんかじゃない。
それに、彼は暗に要求している。
見返りとして、ディーナにシィーラであるかのように振舞う事を・・・・・・。
冗談じゃあない。自分はディーナだ。
「解放?それでディーナさんは、どこへ行かれるというのですか?当てはあるのですか」
「関係ないでしょう」
「そんなにシィーラに、似ているのに?」
「それこそ!関係ないでしょう。私はただの通りすがりで、他人の空似よ」
「――能力だって・・・・・・」
レドを一瞥すると、フィルガは続ける。
「・・・・・・同じじゃないですか」
「ただの偶然でしょう」
訴えかけるようなフィルガを、うっとうしそうにはね付けて、強気な態度を保ち続ける。
だが、内心は少々焦り始めていた。
いざとなったら、レドを嗾けて道を空けさせようか、また背を借りこの場を突破しようか。いろいろ考えてみたが、通用しなさそうだ。
白い獣を前にしても、彼は動揺していない。
流石にシィーラの子供なだけあって、どうやら彼も『知っている』のだろう。
獣達の爪や牙は、無害な事を――。
しかも彼は自分の領域内だと、言っていたではないか。
はったりだと思いたいが、下手に動いて彼の手中で転がされる恐れもないとは言えない。
さて、どうするか?
一番いいのは、彼に根気強く訴えディーナに全くその気が無いと、理解してもらい納得の上で解放させることだ。
「やれやれ。つれないですよ、ディーナさん。折角の出会いを運命だとして、一緒に盛り上がってくれてもいいじゃないですか」
「一人でやってなよ」
ディーナの切り返しに、わざとらしいくらい盛大に、フィルガはうな垂れる。
軽口だったが、どうやら本気の申し出だったらしい。
ディーナには理解できない、迷惑な話だ。
「貴方にはこのフィルガの差し出すもの等は、なんの魅力もないようですね」
ジャスリート家の、地位だの、財産だの。
その跡継ぎの妻。行く行くは領主の奥方。
「そうよ。最初から、言ってるじゃない」
だいぶ、弱気になってきているようだ。この勘違いの若君は。もう、一押しか?
ディーナはフィルガを冷たく見続けながら、しゃがみこんでレドの首に両腕を回した。
レド、大丈夫?隙を見て、走りぬけよう?
その耳元で音には出さず、くちびるの形だけで告げた。
“・・・・・・ディーナ”
レドは体をディーナに摺り寄せる。
可愛く、愛しいのでディーナも精いっぱい抱きしめ返した。
「じゃあ、あなたは何になら心動かされて下さるのですか?」
様子を不機嫌そうに見守っていたフィルガが、尋ねてきた。
「気分」
すっぱりと、言い切ってディーナは顔を上げた。
「気が乗らないの、フィルガ殿のこと。だから、そこ。――どいて」
内容こそは容赦ないが、聞き分けの悪い子供に語りかけるように、せめて優しい口調を心がけてみた。
やっと、第三章入りました。よろしくお願いします。
ここからディーナ、いろいろと対決を強いられていきます。ばっちり、彼女が不利ですが・・・・・・。
(いやいや、そうでもないか)何気に彼女は戦い好きで、仕掛けていくタイプなので応援してやって下さいませ〜。