* 呼ぶものと応えるもの
ディーナが呼ぶことによって、様々な方面に影響がでてしまったようです。ディーナはといえば、存在をお披露目してしまった事になったのですが、気がついてもいません。折角、きてくれた獣にすらシィーラ呼ばわりかよ!と、ガックリきています。
***
――今宵はまだ新月から数えてまだ二日目。
星明かりのほうが冴えている、静かな夜だ。
春の真夜中らしく、いまだ風が少し冷たい。
それが、昼に陽射しで暖められた大地と大気を鎮めて行く。
風にさらわれた日なたのほこりっぽさが、春の独特の気配の残り香を感じさせる。
そぞろ歩くにはうってつけ・・・・・・。
そんな、静かな夜。
その静寂が突如、豹変したのに気がついたのは、能力のある者達だった。
それは普通であれば、感じられることは無い。
だが、少しでも能力のある者ならば、無視することは出来ない。
多かれ少なかれ、影響を受けるからだ。
***
「どうなっているんだ!?ダグレス!」
動揺は隠せないままに、獣を呼びつけて叫んだ。
「あいつ等みんな、行っちまったぞ!何がどうなっている・・・・・・?」
胸が騒いで仕方がないが、それでも何故かしら心が躍るのも感じる。
それが声にも現われて、最後の方は笑ってしまった。
“我等を呼ぶものが、我等を求めた。”
ダグレス――。名を呼ばれ、漆黒の獣は姿を現す。
傍に控えていたわけではない。
この夜の暗闇より現われた。そうとしか言い表せない。
呼ばれた時のみ、ダグレスは闇より出でる。いつもだ。
闇を好んで、属する獣。彼自身が闇の一部分だと思う。
獣との長い付き合いですっかり慣らされたギルムードは、そんなダグレスの登場の仕方にいちいち驚かなくなっていた。
“それに応えたいと望むのは、本能だから皆それを目指し行く”
己の額のてっぺんの一角が、視界を邪魔するからとわずらわしそうに、小首を傾げて獣はギルムードを見据えた。
「聖句を、振り切ってか!?」
“そうだ”
ダグレスは、ありのままを答える。
「おまえも・・・。望むのか?」
“確かに抗いがたい。たいそう魅力的で在らされるからな”
目を細めて、ダグレスはうっとりと耳を澄ませているようだった。
「おまえも、行っちまうのか?」
“・・・・・・否。もう呼び声は止んでしまわれた。しばらくは、大丈夫だろう”
(しばらく?じゃあ、時間の問題なのか――?)
ギルムードは、己の中で何かが弾けた気がした。こんな事が出来る唯一人の、たたずまいを嫌でも思い出す。
「間者の報告と一致している。そう考えるのは、早合点ではないな?」
“おそらくは。――あの御方とまるで同じ気配がした”
「そうか!レド達が帰って来たら確かめてみよう」
“無理だ”
「何!?」
“レドたちはもう、戻ってこない”
この黒い獣は、ありのままでしか語らない。
ギルムードは、それをよく知っている。
***
期待で目をらんらんと輝かせた獣を、ディーナは力なく見た。
もういい加減、うんざりきているからだ。
「呼んだわ。確かに呼んだのは、この私“ディーナ”よ。・・・シィーラではないわ」
“そうなのか?気配ですら、シィーラなのに?”
(――気配ですら・・・・・・?!)
何てことだろうか。冗談じゃあない。ディーナは強く打ち消しにかかった。
「シィーラはもう、どこにもいないんじゃあなかったの?髪の色を見てよ。あと、瞳の色も。違うでしょう?よく見て、よく思い出して!」
獣は身を低く構えて、上目遣いで窺っている。納得いかないようだ。
鼻にしわを寄せて、唸るから鋭い牙が覗いている。
ディーナは譲る気など、全くない。毅然として構える。
よくよく見ればこの獣、どこかで見たと思ったら、シィーラの肖像画に一緒に描かれていたコだった。
巨体の猫型の獣。後ろ足で立ち上がれば、ディーナとたいして変わらぬ身の丈だろう。
白い毛並みに浮き出た、淡い金色の斑点模様が美しい。
三角にとんがった耳の先を、飾り毛が長くふちどって可愛らしかった。
前足の爪は立派過ぎて、しまいきれずに指からはみ出して見える程だった。
その鋭い鍵爪に、一撃でもくらったら、ディーナなどひとたまりもないだろう。
それは知識として意識に上るが、恐れは感じなかった。
――この鋭い爪も牙も使われるとしたら、「私」を守るためだ。
すなわち「私」が、使おうと思わなければ獣は力を振るったりしない・・・・・・。
(なぜ「私」そんな事を「知っている」の?)
その疑問もすぐ現われたが、同時に消えてしまい、後は全く気にも止まらなかった。
だって当たり前じゃないか。そんな事は。いちいち不思議に思う方がどうかしている。
ぼんやりとした意識を取り戻すと、獣と視線を合わすべくディーナはしゃがみこんだ。
獣の顔を両手ではさみ込んで、その不服そうな瞳を捕らえる。
「あんた、シィーラのお利口さんだったコ?」
“そうだ。レドはシィーラの「カワイイこ」だったのに。ずっとシィーラは呼んでくれなかった。・・・・・・久しぶりにレドを呼ぶ声は、シィーラに違いないと思ったから来た。赤毛のシィーラは、シィーラじゃないのか?”
「そう。あんた、レドって言うのね?お利口さん。私はディーナよ。シィーラじゃないの」
“レドを呼べて話も出来る。それはシィーラだ。シィーラだけだった”
「・・・・・・そうなの?」
“レドはシィーラが好き。ずっと待っていた。シィーラはどこ?”
「私にもわからないわ」
“どうして赤毛は!!シィーラじゃない、などと言うのだ?”
「私がディーナ以外の何者でもないからよ」
なるべく強く言い渡したが、少しばかり胸が痛んだ。
レドの無垢な瞳と向き合っているのが辛くなり、ディーナは立ち上がって背を向けた。
どうして誰も彼も、シィーラを押し付けたがるのだろう。答え様もないことばかりを、尋ねてくるのだろう。
どうして?――どうして?
シィーラになってはあげられない。なる気もない。
その事で、なぜに罪悪感を覚えねばならないのか?
“――ぐう・・るうぅ・・う・・・”
レドは低く喉を鳴らして、部屋の中をウロウロしている。
「レド。あんた、もう好きなところに行っていいよ」
そう声を掛けたディーナに、レドは後脚で立ち上がって飛びついてきた。
「わっ!わあ、何、なにっ?」
思わずよろめいたが、壁の助けを借りて何とか受け止める。
“わかったぞ!赤毛のシィーラは、ディーナだという事だな!では、何をして遊ぶ?ディーナよ”
レドなりに妥協したらしい答えなのだろうが、ディーナは再びよろめく。
今度はレドの巨体のせいではない。
これからこんな訪問者がどんどん、やって来ます。
ディーナは強情にもがんばって、言い切って行きます。シィーラになる気なんてないよ!他人の身代わりなんて、冗談きついよ。そこがディーナの、原動力といえばそうです。