第一話 こどもの国の王子さま
先生は、微かな戸惑いの色を見せながら、その特殊な転入生の話をした。
その子は棄て児で、お父さんも、お母さんも居らず、
生まれてからずっととある【施設】に入れられて育ってきたのだという。
その施設では子どもの虐待が常態化してて、
彼はずっと、とてもとても、非道い目に遭わされ続けて来て、
でもその【施設】が、最近警察の摘発を受けて壊滅した事でやっと自由になれた。
彼が普通の生活に慣れるまで、長い時間がかかるかもしれない。
長い目で見守ってあげて欲しい
私たちはそれを神妙に拝聴し、この教室よりひどい所なんてそりゃ相当だなどと考えていたがもちろん口には出さなかった。
それは私たちが御華に出会う一週間ほど前の事だった。
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そのちょっと特別な転入生は、夏休みが明けて一週間経った微妙な時期にやって来た。
府属御華君の雰囲気や外見は、わたしが事前の先生の説明から想像していたのとはまるで違っていたと言える。 クラスの他の皆も、驚きを以って迎えたようだった。皆、もっとこう、荒れた、不良のような外見と立ち振る舞いを想定してたのだろうが、実際やって来た『転入生』は、この惨めなクラスではダントツに美人だった。体つきは華奢だし身のこなしも丁寧だし、全体的に漂うなんだか知的な雰囲気もその格差を際立たせている。
華奢で背が低くて酷く可愛らしいその子は、怜悧そうな切れ長の目やビーズの髪飾りもあいまってなんかお姫様みたいでした・・・
姫は警戒心を露わにクラス (私を含む野卑野蛮なる先住土民の群)を見渡し、キュッと結ばれた唇を微かに震わせると、【ピーー】フゾクギョカです、 【ピーーー】から来ました、と自己紹介した。クラスの皆がギョッとして、御華君本人もちょっと驚いたような表情を浮かべる。
あーそれじゃみんな分からないね、と先生が笑って口を挟むと、御華さんは、眉間に皺を寄せて、怪訝そうな顔をした。
困ったようにしばらく黙っていたが、やがて何かを思いついたように悪戯っぽい笑みを浮かべると、
【ピーーー】のギョカです、『こどもの国』から来ましたと言って、土民の皆にぺこりと頭を下げた。
「席は・・・ そうね、川口木之実さんの隣に座って貰える? あの、二人用の机に一人で座っている子の隣ね」 わたしはドキッとした。 彼は私を見て頷く。
彼が私の隣に座る時、上擦った声でよろしくね、と言って迎えたら、失笑と共に、媚び売るな、とか何であんな子の隣に、とか妬みの声があちらこちらから入ってきた。 御華君は薄ら寒いその雰囲気に気付いてるのか気づかない振りをしてるのか、 普通に宜しくと返してくれた。
私は血流量が増大して頬が熱くなるのを感じる。最後に誰かと会話してからだいぶ経っていた事もあり、たったこれだけの遣り取りでも一気に疲れてしまう。心臓がばくばく言っていた。
それにしても、前持ってこうなるって分かっていたら、先週の席替えの時に余りの席が私に回される事はなかっただろう。
休み時間、洗面所で手を洗いながら、なんてラッキーなんだとか密かに思っていたら、いきなり誰かに背中を殴られた。
「ラッキーじゃん、木之実」
振り返ると京香ちゃんだった。
「汚らしい孤児がくるって言うから譲ってやったのに、あんなお姫様みたいなのの隣に座れるなんて」
ニコニコしている。珍しく機嫌がいい日なのだろうか?
そしてやっぱり、『お姫様みたい』というのは共通した感想らしかった。
「う、うん。でもいいのかなあ、私みたいなのの隣で?」
「良い訳無いじゃん。あんた馬鹿なんじゃないの?」
ぐうの音も出ない。というか、声が出なくなる。
「あーあ、御華くんも可哀想にね。やっと助け出されたと思ったらあんたみたいなのの隣になっちゃって。あ、でも、気をつけなさいよ」彼女は私の肩をポンとはたいて、「まともそうに見えても、親無しなんだから」と言い捨てると、パタパタと可愛らしい足音を立てて忙しそうに走り去って行った。
京香ちゃんの背中を見送りながら、わたしはお前なんか死ねばいいと小さく呟いた。
昼休みになると、御華君の席の周りにはみるみる人だかりが出来た。私がなんと無く居辛くて席を立つと、直ぐに京香ちゃんが私の席に陣取った。
聞き耳を立てていると、御華くんの口調が意外とぶっきらぼうなのにびっくりする。
いや、普通の男の子に比べてそう荒いわけではないのだけれど、外見が繊細過ぎるせいで荒く感じるのだろう。
「ねえねえ、御華って、変わった名前だよね」
「失礼だな!」
「え〜? よく言われない?」
「言われない」
「だってえ、変だよ、『ギョカ』なんて名前。なんだってこんな名前になったの?」
「悪かったねこんな名前で! 多分外国の名前だから変に感じるんだと思うよ」
「? 日本人じゃないの?」
「日本人だよ」
「じゃ外国人じゃ無いじゃん」
御華君は怪訝そうに京香ちゃんを見た。京香ちゃんは今言った事を繰り返す。
「日本人だったら、外国人じゃ無いじゃん」
「外国人だよ」
「えー? じゃ、何処の国の人なの?」
「何処の国って・・・ えっと、『こどもの国』?」
一瞬呆気にとられて、次の瞬間京香ちゃんを始め人だかりの面々は噴き出した。
ゲラゲラと笑う。私も、ちょっと身じろぐ。気難しそうに見えて、冗談とかも言うということか。
「もう! おっかし〜!」
私とすれ違い際、京香ちゃんは何かをぼそりと呟いたが、良く聞こえなくて聞き返すが、答えは無かった。
予鈴が鳴って、人だかりがばらけ始めるのを見計らって、私はこそこそと席に着いた。
御華君は、さっきと一転して、陰りのある難しい顔をしている。考え事をしているようだった。
私が前回までのノートをあらためていると、御華君が誰かに話しかけているのが聞こえて来た。
まだ初日なのに友達がたくさん出来て羨ましい事だ。
あ。
やばい。今日宿題が有ったのか。
当たったら死ねる。どうしよう。
「あの、おーい! えっと、川口、だったっけ?」
私か! 私に話しかけているのか!
「な、なんでしょお!?」
慌てて笑おうとするも、皮の剥げ切れていない髑髏のような不自然な笑みになっている自信が有った。
「あはは、川口さん、面白い顔。えーっと」
彼は言葉を選んでるようだった。
やめてくれ。こんなゴミみたいな女をそんな真っ直ぐ見ないでくれ。
彼は訊いた。
「君たち、僕について、何か聞いてる?」
私は戸惑った。
知ってる事など殆ど無い。先週先生に話して聞かされた事が全部だ。
「・・・えっと、御華くんが以前は孤児院に預けられてたこととか・・・ 変な宗教が流行って、それで・・・警察の人たちが御華君たちを保護して、今は里親に預けられてるって・・・」
「『コジイン』?」
御華くんがあからさまに変な顔をした。
「・・・違うの?」
「うーん・・・ いや、【ピーーー】は確かに孤児の受け入れもやってるし、確か【ピーーー】の人口の20%くらい孤児だった筈だから、孤児院と言っても別に間違いでは無いっちゃ無いんだけど・・・ 里親? そうか、あの人たちは里親だったのか・・・ でも、僕は孤児じゃないよ? 【ピー】生まれの【ピー】育ちで、ちゃんと先輩もいるし、それに」
ひどい騒音の連続に私はビビる。周囲の皆も驚いて振り返った。
私は慌てて彼を制した。
「先輩がいるいないと孤児である事に何の関係があるの。ってゆうか雑音混じりで話されてもわかんないよ、わかる言葉を使ってよ」
彼はまた変な顔をする。
話の食い違いを感じて、なんだか怖い。 フィルターにお構いなしに話されて、悪意を感じる。
「雑音?」
「さっきからフィルターが反応しまくりで騒音公害状態じゃん!」
「フィルターって何?」
「フィルターはフィルターだよ!」
「・・・意味が分からない。僕はフィルタリングなんてしてないぞ」
彼は困ったように綺麗な顔を歪める。まるで本当に外国の人と話しているようで、私はイライラした。 「そりゃあなたは掛けてないでしょうよ」
「じゃあ君が掛けてるの? 切ればいいじゃ無いか」
「『掛かってる』のよ!」
思わず大きな声が出てしまった。あちこちから訝しげな視線を突き立てられるのを感じる。
先生が何時の間にか教壇に立っていて、怒気を含んだ目を私に据えていた。
御華君は、一人動じた様子も無く、ただ頬杖をついて訝しげに訊いた。
「・・・君たち、検閲されてるの?」