弓道 筆箱 Love
Loveがちょっと無理があるかも;もっと文才が欲しい。
初めてかっこいいなこいつ。って思った友人に送る。
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まず、深呼吸をする。
目を閉じ、自分の意識を的だけに集中していく。
研ぎ澄まされた精神は、まるで波の立たない湖のように、穏やかに、静かになる。
明鏡止水。
鏡のようになるほど波立たない水の事を指す言葉だ。この時の心のようすをこういうのかもしれない。
十分に落ち着くまで眼を閉じていたら、今度は眼を開き、呼吸を止める。
呼吸を止めたことで、自分の心臓の音が頭に響く。ドクン、ドクンと。刻一刻と大きくなっていく。
慎重に的に狙いを付けると、心臓の音が最も大きくなるタイミングをはかって矢を放つ。
「――ふっ」
短い呼気に合わせて放たれた矢は、風を切りながらも狙い違わず的に向かって飛んでいく――。
わけではなかった。
鋭い音を立てて飛んでいった矢だが、それは的に近い壁に殴りつけたような音を立てながらぶつかり、そして軽い音を立てて落ちた。
学校のすみっこにある弓道場、誰も人がいないときにこの射方をして外したことなんて無かったのに…。
心を乱したものに心当たりは、ある。
今日の昼休み、学食から帰ってきて筆箱を開くと、一通の手紙が出てきた。もちろん、自分で入れた記憶はない。
中身を開いてみると、それは直球のラブレターだった。
『好きです。Loveの方の好きです。私と付き合ってください。』と、白い紙に書かれたそれは、確かに女子特有の丸い文字で、可愛らしい物だったが、いかんせん、名前が書かれていなかったのだ。
差出人不明のラブレターほど相手が誰か気になるものもめったに無いと思う。そのせいか、筆箱にそんなモノを入れる余裕のあった人、つまりは大体クラスメイトだが。の誰かが自分に気があるのかと思うと集中なんてできるわけがない。おかげで今日あった授業やら小テストやらは散々だった。
クラスメイトが居ない弓道場ならしっかりと集中して練習できるかと思っていたのだが、どうやら思ったよりも心を占めているらしい。
このままじゃ練習にならないと感じたので、道場の床に座り込んで眼を閉じ、雑念を払うために、瞑想を始める。
しばらくして、誰かが歩いて来る音がした。こちらへ向かってくる。こんな敷地の隅にある辺鄙な弓道部に来るようなやつなんて一人しかいないが。
歩いて来る気配が俺の隣に来ると、すっと、何かが頬のあたりに当てられる。
ここは普通、冷たいものじゃないのか?
「――――っつぁ!!」
冷たいものを当てられると覚悟していたのだが、頬に当てられたのは予想とは正反対。逆に暑いものだった。脳が熱いと認識するまで数瞬掛かったのだろう。時間差で来た熱さに俺は思わず飛び退いてしまった。
「あはは! 先輩。こんちゃっす!」
俺の頬に熱い缶を当てた人物は、缶を持ったまま腹を抱えて笑い始めた。
「お前なぁ。やけどするかと思ったじゃねぇか。」
俺の咎めるような視線やら言葉もなんのその、相変わらず体をくの字にしたまま、なんとか声を出す。
「いや、はは、っふ、走って持ってきたかいがありましたよ。先輩いいタイミングで瞑想してたしね。いや、それにしても…。あっははははは! あの先輩の顔って言ったら!」
いいながらまた笑い出したので、むかっときた俺は、さっと後ろに回ると、瞑想をしている間にめっきり冷え切ってしまった手をやつの首に当ててやる。
「うひゃぁ! ちょ、先輩! なにするんすか!? セクハラですよ!!」
後輩は飛び退き、目を吊り上げてこちらを睨む。その視線をものともせず、俺は元の位置に座ると再び眼を閉じた。
「セクハラなわけないだろ。何言ってんだこの後輩は。」
「あー。そんな事言うと私やめますよ? 先輩のお世話してあげる人がいなくなりますよー?」
「おーおー。やめろやめろ。一人の部活にマネージャーがいてもそこまで変わらん。去年は全部一人でやってたわけだしな。第一、抜けたらお前が困るんだろう?」
――マネージャー。
そう、こいつはマネージャーだ。しかも、何を酔狂なのか俺一人しか活動していなかった弓道部のマネージャーをしている。本人曰く、『私は男性恐怖症で、両親に言われてマネージャーでもやって恐怖症を治さないといけないんですよ。でも男子部員が多いところはマネージャーも忙しそうで嫌だし、なにより男子が多いと怖かったし、その分先輩一人しかいない弓道部は男子恐怖症を直す上でもマネージャーをやる私としても都合が良かった。』とのこと。俺としてはマネージャーなんかより活動する部員として入部してくれたほうがありがたかったのだが。男性恐怖症を治すのが目的なら部員でもマネージャーでも変わらないだろうと思うんだがな。
俺の言葉にうっ。と息をつまらせたと思いきや、即座に頬をふくらませて反論してくる。
「そうやってすぐあげあしをとろうとするからもてないんですよ。」
「もてないのは関係ないだろう?」
「いいえ! 関係あります!」
「どこがだよ?」
「決まってるじゃないですか!」
俺の問いに、へへんと胸をはる。薄い胸をはられてもなぁ。
「胸は関係ないです!」
胸をかばうように手で隠す。俺の心を読むとは、こいつやりおる。
後輩はわざとらしく咳をすると、改めて口を開く。
「つまり、あげあしを取られた側としてはそこまで面白くないんですよ。」
「なんだ、その程度か。」
「その程度じゃないですよ! 話が盛り上がらないんですよ!? トークスキルがない人と一緒にしても暇でしょう!?」
確かにそのとおりかもしれない。っていってもどうしようもないわけだが。
「わかっていただけたようでなによりです。それよりも、先輩。」
俺が納得したことがわかったのか、何度か小さく頷きながら、少し表情が真剣になる。
「なんだ?」
「今日は集中力がないみたいですね? どうかしました?」
「何を言っているんだ? 俺はいつも通りだぞ。」
瞑想のおかげか、痛いところを突かれてもあまり表には出なかった…はず。
「またまたぁ、先輩の事なんて見てたらすぐわかりますよー。筆箱にラブレターでも入ってたんじゃないですかぁ?」
「ぶぁっ。」
的確すぎる。こいつ見てたんじゃないのか?
「んんっ? その反応、図星ですね? 誰からですか? 誰からですか?」
吹き出してしまってはさすがにバレたようで、片手で口元を隠してぷぷぷと笑いながら俺の顔を覗き込んでくる。
「だまらっしゃい。教えねぇよ。」
本当は知らないんだけどな。
「ははーん。差出人の名前がなかったのかぁ。それは気になりますねー?」
「人の心を読むんじゃねぇよ!」
「本当に名前なかったんですか。先輩が読みやすい顔をしているのが悪いんですよ。」
無表情のはずなんだがなぁ。
後輩は再びわざとらしく咳をすると、腰に手を置いて絶壁のような胸をはる。
「さっきより表現がひどくなってますよ!」
後輩がなにやら騒いでいるが、ここはスルーしよう。
「まったくもう…。恋のことならラヴの匂いがするところに私ありと呼ばれた私にお任せくださいな。」
「聞いたことねぇな。」
「それは先輩の周りにラヴの匂いがしないからですよ。割と知られてるんですよー、私。たまに三年生から相談を受けるほどです。」
「そんなこと言われてもなぁ。」
すごいのかどうかわかんないな。
「先輩に理解してもらうのは諦めています。そんなことより、その手紙を見せて下さいよ。どうせなら差出人を探してみましょう! どうせ弓はもう集中できないでしょう?」
確かにそのとおりなので、俺は隣に置いておいた弓を片付けると、道場の隅っこに放っておいたかばんを持ってきて、中から件の手紙を取り出した。
「ほうほうシンプルでなかなかいい便箋ですね…って!これはっ!!」
後輩は俺が渡した手紙を開いて読むなり、顔を真赤にしてひっくり返ってしまった。
「どうした?」
いきなり倒れこんだ後輩に駆け寄って声をかけてみる。後輩は、よろよろと手に持った手紙をかざすと、口をわななかせながら声を出した。
「こ、こここここれ、せ、せん、先輩のふ、筆箱の、中にはいっ、ってたんですか?」
なんとかそれだけを言うと、瞳いっぱいに涙を貯めてすがるように俺を見てきた。
「なんだ、それ、お前が書いたのか。」
割と深い溜息と一緒に口を開く。対して後輩は、赤い絵の具を顔に塗ったかのように顔を赤くしていく。
「そ、そそそそそそそんなわけなな無いじゃないですか! な、何を言ってるんですか先輩は。」
「お前の態度的に俺に宛てたものじゃないってのはなんか察した。それで、誰に宛てたものなんだよ? というか少し落ち着け。ほら、深呼吸しな。」
すー、はー。すー、はー。と何回か後輩に深呼吸させて、わずかながら落ち着きを取り戻させた。
しばらくして落ち着いた後輩に、詳しく話を聴くために道場隅にこれまた放ってあるベンチに腰掛けた。普段は床に正座したり瞑想したりなので使う機会は殆ど無いものだ。使うのは一年生が見学に来た時くらいだろうか。
「んで、誰に宛てた手紙なんだよ?」
「それは――」
がこん。と音を立てて年代物の南京錠がロックされる。今日は部活も終わりだ。
「それじゃー先輩! よろしくお願いしますね!」
俺が協力してやるって言っただけでこのテンションの上がりっぷり。ほんと、現金なやつだ。
「はいはい。わかってるよ。」
ため息をつきながら、後輩の後を追う。校門を出るまではだいたいいつも一緒だ。初めの頃はマネージャー入部したくせに避けられてるようで大変だったっけ。
「あー。何をニヤ付いているんですか。気持ち悪いですよ。」
「うるせぇ。協力しねぇぞ。」
「すいませんでしたお代官様ぁー。何卒よろしくお願いしますー。」
即座に頭を垂れる。うむ。いい心がけだ。
「それにしても、お前があいつを好きだったとはなぁ。」
「い、いいじゃないですか別に! 私が誰を好きになろうとも!」
俺のからかう言葉に、すぐに顔を真赤にして突っかかってくる。
「まぁいいんじゃねぇの。誰が好きでも。」
後輩をいじっている間に校門を抜ける。いつもはこのままお互い背中を向けて歩いて行くのだが、後輩は立ち止まって再び俺に頭を下げてきた。
「それじゃ先輩! 明日からよろしくお願いしますね!」
「あぁ、ま、がんばれよ。」
俺のおざなりな励ましには、満面の笑顔で。
ある程度離れてから、ポツリとこぼす
「アレが俺宛だったら、多分受けてたんだろうなぁ。」
しかし、あの後輩が俺にそんなモノを出すことはないんだろうなぁ、としみじみと思う。
「男の人だったら、きっと先輩以外は選びませんよ。」
ふと、追い風が小さく声を運んできた気がした。
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