着飾り令嬢 ~呪われた化け物公爵令息に嫁いだ没落令嬢ですが、旦那様を笑った連中は全員出禁にしました~
AI完全不使用です
アグネスは、金目当ての娘だった。
化物公爵に嫁げば、領地も一家も安泰だときいて、一も二もなく飛びついた。
貴族の子女に生まれたときから、聡いアグネスは心を決めていた。
(一番『得』なところに嫁ぐのよ、アグネス!)
ただ、普通の政略結婚と違うのは、アグネスが自分自身の個人の意思で決めたというところだった。
「エスメラルダ公爵家に嫁ぐなんて……!」
「考え直せ、アグネス。さすがに酷すぎるだろう、あれは」
と、父親と母親は泣いたが、アグネスは笑って言った。
「私もこれで公爵夫人よ!」
「だけど、お前……あの化け物と暮らすんだぞ」
「大丈夫、孔雀の扇子でも持たせてもらって優雅に暮らすわ! ……それに、これで領地に牧草も植えられるし、牛も馬も増やせるし、もしかしたら診療所だって誘致できるかも。母さんの薬も、弟たちの牛乳も」
「アグネス! やっぱり、やめましょう。こんなこと!」
「嫌。私は絶対に、公爵夫人になるの」
「何かあったらどうするの!」
「大丈夫、私は視力はいいのよ。食べられそうになったらサッと避けるわ」
「ふざけるのはいいかげんにして、アグネス!」
「大丈夫だってば。宝石がびっしりついたドレス着て、優雅に元気にやるわよ」
そんなことを言ってはいたが、アグネスは孔雀の扇子にも、宝石が散りばめられたドレスにも、興味はなかった。
貴族とはいえ、税収が殆どない末端の小さな領地では、病気の母の薬も、弟妹の牛乳さえろくに買えない。
自分が嫁げば家族が幸せになるならば、どこにだって行こうとアグネスは思っていた。
母譲りのすべすべとした白い肌、きらきらした緑の目。
細くふわふわしたアッシュグリーンの美しい髪の毛。
何よりも、まだ若い。
跡継ぎを擁立しなければいけない貴族の名門では、十代の若さは何物にも代えがたい。
『こういうもの』を気に入る求婚相手がいるうちに、疾く疾く嫁ぐのだ。
そこへ降って湧いたように求婚の話が来た。
半ば怪談じみた噂になっていた、年頃の令嬢に届く書状。
公爵家の化け物の求婚だ。
あのエスメラルダ家からの書状が――。
(やった!)
アグネスはすぐに自筆で返事を書き、明日からでも嫁ぎたいと意思を明確にした。
そして、とんとん拍子に事が進み、貧乏侯爵令嬢アグネスは、あの格上も格上の公爵、ナルヤ・エスメラルダと無事に婚約を果たした。
*
さて、身分は高いが、どの令嬢にも求婚を受けてもらえない男がいた。
名はナルヤ、王家に名を連ねる由緒正しいエスメラルダ公爵家の一人息子だ。
家名だけでみれば引く手あまたであろうナルヤが、なぜ売れ残っていたかというと、それは彼の外見が大きく関係していた。
昔は美しい少年だったナルヤは、ある歳、土蜘蛛を踏んで殺してしまった。
それは魔法の蜘蛛であり、哀れな少年は呪いにかけられてしまったのだった。
この奇妙な伝説めいた話を、国の貴族も平民も皆知っていた。
信じられないような話だが、この伝説は現実にちがいなかった。
その証拠に、ナルヤは全身奇妙にひび割れていた。
土のように茶色くカサカサした皮膚は異様に不気味だ。
動きの鈍い指は不格好に膨らんでいて、目以外は頭から爪先までをいつも薄く真っ黒い布に包んでいた。透けるような布のあわいから、粉をふいて乾燥した皮膚が見えるのがまた恐ろしい。
年頃の令嬢なら悲鳴をあげるのが道理だ。
それだけでなく、ナルヤはいつも足を引きずっていた。皮膚が突っ張るのか、指や腕もあまり曲がらないようだった。
若いくせに老人のようだと、意地の悪い女性たちは影で嘲笑った。
あんな化物と結婚するくらいなら、莫大な財産も公爵夫人の身分も要らないわ――。
分別のある貴族令嬢たちは、エスメラルダ家から届く求婚の誘いを、皆、体よく断った。
そんなわけだから、田舎の貧乏侯爵の娘のアグネスがナルヤに嫁ぐという噂が出回ったときも、周囲は興味本位に騒ぎ立てこそしたけれど、階級の差に疑問は持たなかった。
(化物に嫁いでまで金が欲しいのかね……。)
周囲は囁きあった。
いわゆる〘金目当て〙というやつに違いない。
今に見なさいよ、あの娘はそこそこ可愛い顔をしているけれど、あんな化け物公爵に嫁いで、いつか腹黒い化けの皮がはがれるに決まってるから……。
*
結婚式の当日。
教会に集まった公爵家の両親は長年の心配事が片付いたのにほっとしていたようで涙ぐんでいたが、アグネスの方の両親も別の意味で泣いていた。
アグネスは泣かなかった。
望み通りになったので、何の憂いもない。
たとえ、隣の新郎の顔がひび割れていて手足の動きが鈍くとも、全身を黒布で覆っていようとも。
縁に感謝しかなかった。
これで実家の母には薬が買えて、弟妹には薄めたレモン汁ではなく、ちゃんとした新鮮な牛乳を与えてやれる。
アグネスはナルヤ本人と言葉を初めて交わしたのは、結婚式の教会の祭壇の上だった。
「あのう」
「……何だ」
ナルヤは案外に凜とした若い声だった。
アグネスは、意外に思ったが、この小さな衝撃を好意的に感じた。
「私のような格下の侯爵家の者を貰ってくださってありがとうございます」
「……俺も、こんな化け物を拾ってくれてありがとうと言ったらいいか?」
アグネスは、婿になった相手をきょとんと見つめた。
黒い薄布から、猛禽類のような金の瞳が鋭くこちらを見ていた。
野生の獣のようだ。
人間を信頼していない。
(不思議な生き物みたい)
ナルヤの眼はアグネスが想像していたよりずっと綺麗だった。
アグネスは、長々と説法をする牧師に聞こえないように小さく笑った。
「ナルヤ様は化け物なのですか?」
「この姿が見えないわけではないだろう」
「ええ、見えております。では、化け物と結婚した私も化け物ですわ」
「……」
ナルヤは値踏みするように、黙ってじっとアグネスを見つめていた。
指輪を交換するときに、ナルヤはアグネスの手に酷く優しく触れた。
噂で聞いていた、血も涙もない化け物ではない。
ひとまわり大きなナルヤのひび割れた手に、アグネスは緊張のかなり解けた自分の左手を重ねた。
「それでは花婿と花嫁は、互いに誓いのキスを」
と、牧師が言った。
アグネスは、壇上に進み出てナルヤと向き合った。
聖なるミモザの枝が五つ束ねてある。
ミモザの神の前では何人たりとも真心を見せなければならない。
ナルヤは顔を覆っていたベールを取り去った。
アグネスの前に、全身の皮膚がひび割れた男が現れた。
参列者の諸侯たちや貴族連中が、口々に悲鳴や声にならない溜息を漏らした。
「酷い姿だわ」
「可哀想に」
「呪いというのは本当だったのだ」
といった声はましな方で、
「前世で何をしたんだ? 天罰だな」
「気持ち悪い。あんなのが婿になるなんて、考えただけでもぞっとするわ」
とあざ笑うものもいた。
中でも一番酷かったのは、はっきりと声に出して笑ったタングリー子爵の令嬢、エレノアだった。
「ほほほほ、貧乏侯爵の娘! 化け物にはお似合いだわ。金と引き換えにあれの世話係になるなんて傑作ね」
「静かになさい、エレノア。結婚式でしょう」
「どうしてですの、お母様? 私たちにも求婚の書状が届いたではありませんか! 勿論、即日でお断りしましたけれど」
「もうやめなさい」
と、母親は言うが、顔は笑っている。
本気で子どもを躾ける気など無いのだ。
「だぁってお母様、あの化け物を見てよ。あんな姿の人間を男として見るだなんて……絶対に無理よ。いくら金を積まれたって普通の令嬢なら断るわ。ふふっ、なんて滑稽な結婚式なのかしら!」
周囲は聞いているが、聞こえていないふりをしている。
だけど、公爵ナルヤとアグネスをはずかしめるには十分だった。
これでは花婿と花嫁の立場がない。
ナルヤの土のように茶色い顔は表面がパリパリと割れて、細かいひびが入っている。
まさに呪いと呼ぶに相応しい有様だ。
アグネスの母が口を抑えて、父親の胸へ倒れ込んだ。
父親はここで公爵家に失礼をしてはいけないと、唇を血が滲むほど噛み締めて無言を貫いていた。
公爵夫妻に笑顔はなく、ずっと唇を引き結んだままだ。
自分の息子たちの晴れ姿だというのに。
(ちょっと、これは、あまりにも……)
アグネスは腹が立ってきた。
自分の両親もだが、相手の親も親だ。
もうすこし祝ってもいいのではないか。
小声で悪口を言って嘲る参列者たち。
特にタングリー子爵家は目に余る。
こんな風にずっと、ナルヤは虐げられてきたのだ。
呪いを受けたというだけで、何も悪くないのに――。
そう思うと、アグネスは怒りがこみ上げてきた。
「いきますよっ」
と、小さな声でアグネスは宣言した。
襟元をつかみ引き寄せると、ナルヤは金色の目を僅かに見開いた。
「おっ、おい。ちょっと待て」
ナルヤは怯んでいたが、構わなかった。
むっちゅううううう……!!
ぐぐぐと唇を押し当てる熱烈なキスは長く続いた。
参列者たちは騒然とした。
公爵夫妻は顔を見合わせた。
アグネスの母が、手塩にかけて育てた娘の令嬢らしからぬ蛮行を見て、失神するという小さな事件が起こったが、たいしたことではない。
唇を離したとき、ナルヤは呆然としているようだった。
こうしてどうにかこうにか式はつつがなく終わり、アグネスは晴れて、公爵令息ナルヤの妻となったのだった。
初めてのキスはレモンでもマスカットでもなく、土と埃の味がした。
*
結婚式の後の夜。
公爵家の別邸に迎え入れられたアグネスは、丁重に扱われた。
貴重な湯を贅沢に入れた風呂に浸かり、全身をみがきあげられた。
(夫婦に……なるのか)
覚悟はしている。それに、噂でなく本物のナルヤに会った今となっては、それはあまり嫌なことではないようにさえ思えていた。
しかし、湯上がりのアグネスが部屋を訪れた時、寝台に腰掛けたナルヤははっきりと言ったのだった。
「アグネス。部屋に帰っていい。この先も、これからずっと、ここには来るな」
「はい?」
「君と結婚はしたけれど、これは形だけのことだ」
「なぜです」
アグネスが食い下がるとは思わなかったのだろう。
ナルヤは少し驚いたようだった。
「なぜって……俺は……この姿だ」
「理由になりませんわ」
ナルヤはぐっと言葉を飲み込み、また口を開いた。
「正直に言うけれど、君は金目当てでこの結婚をしたんだろう」
その通りだ。だけど――。
ナルヤにそんなふうに言われて、アグネスの心はちくりと痛んだ。
「ナルヤ様。包み隠さず申し上げますと、確かに――初めはそうでした。うちの領地は貧しくて、私が自分の一存で決めたのです」
「やっぱりな」
「だけど、今はあなたに嫁いで良かったと思っています。嫁いだのが他の方でなく、あなたで良かったと」
「……不思議なことを言うな。こんな醜い男なんて嫌って当然だろう」
「私の旦那様を悪く言わないで下さい」
アグネスはパサついたナルヤの髪にそっと触れた。まるで泥の上を寝転がったかのように土埃で汚れている。
皮膚は不気味にひび割れている。
そっと触れると、ナルヤは驚いたように少し身をひいた。
痛くないのだろうか。
「君が優しい子だということはよく分かったよ。アグネス。君の家には十分な支援をしよう。さすがに今すぐは体裁が悪いだろうから、幾らか経てば離縁してもいい」
と、ナルヤは静かに言った。
しかし、アグネスは首を振った。
(この人……ずっと、こうだったのかな)
ナルヤは諦めている。
結婚や跡継ぎや、そんなことより何より、女性に好かれることを。
そう思うと、アグネスは苛立ちを覚えた。
ナルヤがナルヤを諦めている。
こんなままでいいのだろうか。
いや、いいわけない。
「いいえ。私はナルヤ様と一緒にいたいのです」
「なぜだ」
「そう思ってしまったのだから仕方ないでしょう? 私はもうこちらの家に嫁いだ身です。誰と一緒にいるかは私が自分で決めます」
アグネスは腹が立っていた。
この人はいったいどんな扱いを受けてきたのだろう。公爵令息だというのに、使用人たちは髪もとかそうとしないし、顔を拭こうともしない。
湯浴みの準備も、介助もしない。
ほとんど、身体に触れない世話だけをしている。
「ナルヤ様、これからはあなたが行きたい場所、なさりたいこと、私がお供します」
「何を……」
「ナルヤ様は公爵令息です。相応しい扱いがあります。私が使用人に注意をしましょう」
「いや、それは、いい。彼らは彼らで良くやってくれている」
「湯浴みの際は、私が背中を流しましょうか」
「いや! 本当に勘弁してくれ!」
ナルヤは何か言いたげにしていたが、首を振った。
「分かった、アグネス。だが、俺と一緒に出歩くというのは勧めない。君まで悪く言われるぞ。化け物の妻だと」
「構いません。しょせん、『金目当ての女』なのですから。お気になさらず」
言葉通り、アグネスは翌日から、ナルヤが出かけるところどこにでも着いていくようになった。
貴族のパーティーにも、外商の催しにも、王城の用事にも、どこにでもだ。
ナルヤはいつも黒の布を纏っていた。
薄い布を頭から被る姿は異様で、道行く人々も出逢う貴族も皆、好奇の眼差しを向けてきた。
アグネスはすぐさま出入りの外商に頼んで、黒のドレスを七着注文した。
フォーマルなものを二つ。
セミフォーマルを二つ。
あとの三つは普段使いだ。
最高級の黒布は目が飛び出るほどの値段だった。
それに、これもまた目が飛び出るほどの値段の、キラキラした宝石をつけて仕立てさせた。
ナルヤ自身が着飾らなくとも、『妻』にかかっている金を、貴族たちは自然と値踏みする。
これで、ナルヤの『盾』になる。
夫が黒を纏うのなら、妻も同じ色を着てもいいだろう。
ナルヤの装束は質が良いが地味だ。
が、アグネスは違う。
酷く金がかかっていることを、見せつけてやればいい。
さらに、アグネスは常に大ぶりのネックレスを着けることにした。
公爵夫妻もアグネスに引け目があるのか、公爵家のコレクションの一つである大きなイエローダイヤを与えてくれた。
特に公爵夫人は何か言いたいことがあったのかもしれないが、全てを飲み込んだような顔をして、息子を頼みますと絞り出すように言った。
言われなくても、ナルヤはもうアグネスの夫だ。
夫のために妻が動くのは、自然なことだ。
アグネスは様々な集まりに出る際、イエローダイヤをこれみよがしに身につけた。
ただのダイヤではない。
希少価値でいえば王族の宝物庫にあってもおかしくない。
そんじょそこらの貴族には手が出ないはずだ。
これで、ナルヤが公爵であり、正当な『敬われるべき』身分だということが分かる。
着飾ったアグネスは、いつも従順にナルヤに付き従った。
夫が歩きにくそうにしていれば、腕を支えた。
聞こえるように噂や陰口を叩いた貴族がいれば、無視するナルヤに代わって、ギロリとにらみ付けてやった。
そうして、『ナルヤ様を馬鹿にした者どもリスト』にこっそりと名と家名を付け加えた。
いかにも金のかかっていそうな姿をしたアグネスは、社交界で好奇と嫉妬と羨望の眼差しの渦中にいた。
特にエレノア・タングリーはいつもアグネスを下に見ていた。
自分よりも下の者を標的にして悪口を言うのが生きがいだというような種類の女だった。
「あら? あの金目当ての化け物の世話係、またずうずうしくパーティーに来ているわ。なんて醜いのかしら」
アグネスは、エレノアのような人間たちは無視しておいた。
が、顔と名前は記録して、文書に残していた。
リストは日々増え、一枚の羊皮紙には収まりきらなくなった。
外商がやって来る日は、アグネスは公爵家の名義で買い物をした。
金で作られた猫の置物や、名画、宝飾品の数々。
珍しい高価な物を厳選して購入する。そして、全て綺麗なままで、公爵家のコレクションルームへ入れておいた。
自分でどうするわけではない。
しかしこうすれば、公爵家の立場が他の貴族に分かる。
格の違いは、買う品物を知れば一目瞭然だろう。
全く、公爵家はさすがだった。
アグネスが頭をひねっていくら湯水のように金を使っても、全く資金規模が変わらない。
どうやら、ナルヤは外国との貿易をしていて、資産を増やし続けているようだった。
そうと分かれば、話は早い。
アグネスはナルヤに頼んで、外国由来の高級な織物や香辛料をたくさん手に入れた。
そして、ナルヤに対して友好的で中立的な立場をとっている貴族に近付き、少しずつそのような貴重な品物を渡していった。
こういう話は当人同士よりも、外野が詳しくなるものだ。
ナルヤを軽んじる者は少しずついなくなってきた。
呪われた公爵は外見こそ酷いが、資産規模はさすがだ。
貿易も好調らしく、事業拡大もうなぎ登りらしい……。
「うまくやっていったほうが良さそうだぞ。あの奥方の格好を見ろ。あれだけの服飾品を買える財力! 国でも指折りの貴族だが、さらに外国とのパイプもある」
「新興貴族でも友好的なところには融通してくださるみたいよ。あそこの家には、黒豹の毛皮をプレゼントとして贈られたのだって」
「まあ、うらやましい!」
風向きが変わり始めた。
「アグネス。何かしたか」
「いえ、何も?」
「なんだか最近やけに貴族たちからの書状が多い」
「ナルヤ様への正当な評価ですね! 貿易も好調なので擦り寄ってきているのでしょう」
「人が……近寄ってくるようになった。変な奴もいるが……まともそうな奴も」
「ええ。ナルヤ様への正当な評価です」
「何をして……いや、いい」
また暫くして、ナルヤは訝しげに尋ねた。
「アグネス、うちでガーデンパーティーを開くのはいいが……正気なのか? 誰も集まらないと思うぞ」
「いいえ。もう招待状も送りましたし、皆出席したいと」
「……どうせ、この家の資産や見返り目当てなのだろう」
「ええ。そうですわ」
「なっ」
「貴族ですもの。多少なりとも打算がないといえば嘘になるでしょう。ですが、それでいいのです。私は結婚式の時からずっと書き留めておりました。どの家が礼儀正しく、どの家が不躾で、礼を失していたか」
「まさか、招待状を送ったのは……」
「ええ。ここまで接した中で、私なりに『貴族の中でも、我が侯爵家に対して最も礼儀正しく、常識とマナーと立場を持った方々』ですわ」
あのリストは非常に役に立った。
公爵家の私的なパーティーは大盛況のうちに終わった。
使用人たちは、ナルヤの身体の世話以外は細やかで、忠実に働いた。
招待客は夢見心地で、自慢げに友人知人に話した。
「いやあ、あれほど豪勢なガーデンパーティーは初めてでしたよ。品評会でも見たことないような、珍しい薔薇の花壇! 外国の貴重な魚卵の入ったサンドイッチ! ホスト役の公爵夫妻の仲睦まじいこと。特に奥様が献身的で……」
どうにかガーデンパーティーにもぐりこみたいと思った貴族連中が、何人も書状を送ってきたが、アグネスは徹底して取り合わなかった。
おかしかったのは、中にタングリー子爵からの書状があったことだ。結婚式でエレノアがどれだけの無礼を働いたか、覚えていないのだろうか。
ナルヤに対して失礼だった者どものリストは作成済みだ。
よっぽどのことがない限り、永久に出入り禁止だ。
次第に、公爵家のパーティーの付加価値は高まっていった。
選ばれし者だけが、本当の貴族と言える。
そんな噂さえ、一人歩きした。
こうして、エスメラルダ公爵家に招待されることは貴族たちの間では一種のステイタスとなったのだった。
実際に招待された『本当に品の良い』貴族たちは、男爵から侯爵まで様々だったが、皆マナーを弁えていた。
始めは驚いていたナルヤの見た目にも慣れ、それ以上に諸外国の貿易を知り尽くしたナルヤの経営手腕に舌を巻き、話をしてもらおうと必死になっていた。
令嬢たちは多くは無かったが、新婚や婚約者と結婚間近な者がいて、そのうちの何人かとアグネスは心置きなく話すことができた。
ある日、王城での薔薇の品評会に、ナルヤが招待されたのにアグネスが同行した帰りだった。
馬車ではなく、徒歩で帰ろうと、珍しくナルヤが提案した。
アグネスは一も二もなく頷いた。
本当に珍しいこともあるものだ。
「どうして誘ってくださったのです? 確かに歩けない距離ではありませんけれど、いつもなら馬車を呼ぶじゃありませんか」
「……昔、俺が王城によく遊びにきていた頃、帰りに見たものがまだあるかなと。小さいとき、王子と一緒に植えたんだ。あぁ、アグネス、そこ、水たまりがある。避けて通れるか。俺の腕に捕まって」
「はい、ナルヤ様」
布で見えないけれど、茶色くひび割れているであろう腕を想像する。
痛くないだろうか、と少し心配になったけれど、ナルヤは穏やかに支えてくれた。
それにしても、王子と幼なじみだったというから、格の違いが分かる。落ちぶれ令嬢だったアグネスにはいつまで経っても慣れないけれど、ナルヤにとってはロイヤルな皆様とのお付き合いは通常運転らしかった。
少し歩くと、木陰の傍に大きな切り株があった。
その上から、色とりどりの百日草が咲き誇っている。
「わあ……!」
息絶えた切り株に支えられて、小さな花々が生きている。
そんな光景を見たこともなかったアグネスは、素直に感嘆の声をあげた。
「昔、まいたんだ。種が……ほころんで、いつか咲くかもしれないと。もうこうして出かけることも少なくなったが、アグネスといて……想い出した」
「まあ。本当にきれいです! 薔薇もよかったですけど、これはまた違った可憐さですね。素敵な想い出をおすそわけしてくださって、嬉しいです。ありがとう、ナルヤ様」
笑って、思ったままに感謝を述べる。
ナルヤは一瞬驚いたように目を見張って、次に視線を落とした。
「……アグネス、俺は」
ナルヤが何か言いかけたときだった。
背後から馬車が近付いてきた。
全く速度を緩めず、わざと右に寄って傍の水たまりに突っ込んだ。
ナルヤが急いで道路の側に立ち、アグネスを守るように庇った。
バシャッと水が跳ね飛ぶ。
「ナルヤ様! 大丈夫ですか!?」
「だ……いじょうぶだ、触らないでくれ」
ナルヤは水に濡れた足を長いローブで隠す。
やはり、見られたくないのだ。
濡れたままなのに、着替えも無い。
公爵家の令息になんたる無礼を働くのか。
アグネスは怒り心頭で馬車をにらみ付けた。
走り去る馬車から、微かに高笑いが聞こえた。
白い塗装の上に、タングリー子爵家の紋章が描かれている。
「あれは……」
「エレノア・タングリーだな。うちが送った婚約の書状に丁寧に悪口雑言を書き連ねて送り返してきた貴族だよ。珍しく母様が怒っていた。公爵家のパーティーから外された腹いせかな」
「そんな! なんという恥知らずなっ……」
「もういいよ、アグネス」
「よくありません! ナルヤ様は正当な公爵家の跡継ぎです! 失礼過ぎますよ」
「本当に……もう、いいんだよ、アグネス」
ナルヤは静かに微笑んでいた。
その日の夜。
久しぶりに寝室に呼び出されたアグネスは、緊張の面持ちでナルヤの前に立った。
何の用事だろう?
いつも、何かを話す時は、食堂や居間ばかりで、絶対に寝室には呼ばないのに。
ナルヤは金色の目をじっとアグネスに向けていた。
ゆっくり微笑んだので、パラパラと細かい砂が落ちる。
「……ありがとう」
「ええっ!?」
「アグネスは……今まで俺のためにいろいろと気を配ってくれた。公爵家の威光を蘇らせてくれた。感謝している」
ナルヤは目を伏せた。
黒のベールが揺れ、フッと息をついたのが分かる。
パラリ、と砂が零れた。
「もう三月も経った。領地に戻ってもいい頃合いだ」
「え……」
離縁されるのだろうか。
支援金は絶やさないとナルヤは言うだろう。
実際にそうできる経済力も、ナルヤにはある。
だけど――。
「君はこれまでずっと、俺や俺の家のためによくやってくれた。離縁を――」
アグネスは、首を振った。
一緒に過ごすうちに、ナルヤが微笑むのが、静かに喜ぶのが、穏やかで冷静なその性格に、好意を抱いていた。
「嫌です!」
「最後まで聞いてくれ。俺は――離縁をしなければいけないと思っていた。君のために。こんな化け物と一緒にいれば、他の貴族からそしられる。嫌われる。だけど、アグネス、君は周りの評判さえ変えてしまった。いつも俺の傍にいて、指を動かしにくいときは代わりにグラスを持ってくれた。これは俺の我儘だ、アグネス。君と――君と離れたくない」
懐かない野生の獣のようだった金色の瞳には、恋慕の熱が篭もっていた。
「私もですよ、ナルヤ様」
アグネスは幸せな気持ちで呟いた。
「私たち、本当に夫婦になりましょう」
「こんな俺でも……いいと言ってくれるのか?」
「ええ。勿論です。だいすきですよ、ナルヤ様」
ナルヤは静かになった。
「ナルヤ様?」
「アグネス。君は俺が、どんな見た目でも、変わらず好きでいてくれるか」
今更だ。
「ええ、勿論」
「本当に?」
「ええ」
「だいすき、だと?」
じっと見つめるナルヤは可愛いといえば可愛い。
しかし、こんなに何度も聞かなくてもいいじゃないか。
「しつこいですね! 結婚式で口づけだってしたでしょう! ナルヤ様がお望みなら、今から証明しましょうか!?」
「ちょっと待て、なぜ上着のボレロを脱ぐんだ、着ていてくれ……視線のやりばに困る」
「ナルヤ様。私の妻としての忠誠心を試しているのですか? でしたら、いつでもどうぞ! さあ! 今すぐにでも!」
「アグネスのその侠気溢れるところは嫌いじゃないが、ちょっと落ち着いてくれ。胸を叩かないでくれ……俺は、アグネスに謝罪しないといけないことがある。順を追って話すと、元々は俺の祖父の遺言だったんだ。俺の――呪われた顔面を封じろと」
「どういう意味ですか?」
「分かった。見てもらった方が早い。……少し、待っていてくれ。湯浴みをしてくる」
これまで、湯浴みをした後のナルヤには会ったことがない。
夕食を食べたら、別々の寝室で眠っていたし、朝の食堂まで顔を合わせることがない。
それがナルヤの指示だったからだ。
だけど――。
アグネスはどことなく手持ち無沙汰にナルヤを待った。
あれだけ身体にコンプレックスのあったナルヤである。
目以外は必要最低限しか露出せず、アグネスにさえあまり触れなかった。
(だいじょうぶ、ナルヤ様がおびえないように、ゆっくり、触れて、慣れていただくのよ……! どんな風貌だって、妻の夫への想いに、忠誠心に変わりは無いと信じてもらうの)
人間不信におちいっていた夫の心が解ける、記念すべき日だ。
アグネスはどのように夫を迎えようかと思案した。
まずは抱きしめよう。
そして、どんな姿でも、あなたを好いていると伝えるのだ。
「……待たせた」
バスローブに身を包んだナルヤが戻って来た。
アグネスは口をぽかんと開けた。
「誰……?」
目の前に現れたのは、しっとりとしたミルク色の肌をした美貌の青年だった。
「ナルヤだ」
「いいえ、違います」
「違わないんだ」
「だ、だって、ナルヤ様は……つ、土蜘蛛の呪いが」
「そんなことあるわけないだろう」
「でも、ナルヤ様は、ずっと茶色い皮膚をなさっていて」
ナルヤは息をついた。
「……いや、ある意味、呪いだった。俺の祖父の遺言で、『ナルヤは素顔を見せてはならない』と」
「そんな、なぜ」
「公爵家の一人息子。自分で言うのも何だが、全てを持っていた。王には、女も男も引き寄せる顔だと言われた。証明するからのように、俺を巡って婚約を申し込もうとした幾つかの家でトラブルがあって……没落させられた家や、毒殺未遂さえあった。有力な家の子女たちが醜く争いあい、娘可愛さに親の貴族連中も拍車がかかって……俺はそんなことを望んでいなかった。両親もずいぶん悩んだようだ」
ナルヤはつるりとした剥き卵のような頬を、手首の内側で擦った。
「それで、化け物が生まれた。俺は毎日かかさず泥を塗りたくって顔を汚した。さすがに毎日、全身に塗るのは面倒で、服で隠れているところは省略していたが……腕や手、足や顔に塗りつけて乾かすと、化け物の完成だ。貴族たちは皆、一様に俺を避け、同情し、蔑んだ。皮一枚で急に態度が変わった。求婚はパタリとやんだ。俺は人間を信じられなくなった。後は、アグネス、君が知ってる通りだ」
「でも、それならどうして、手当たり次第に求婚の申し込みなんて……」
「祖父の遺言には続きがあったんだ。『化け物の姿でも、真実の愛を見つけられたら、そのときは素顔に戻っても良い』と。俺は別に結婚なんて要らないと思っていたが、父と母は違ったみたいで」
そりゃあ、可愛い息子が一生このままだと思えば、親心は複雑だっただろう。
「誰彼かまわずに求婚の書状を出して、ほとんど全員に断られた。この呪いや、不気味な見た目が理由でね。不吉なナルヤを君だけが貰ってくれた」
「……お金目当て、でしたよね。ごめんなさい」
「当然だと思ったよ。俺だって逆の立場なら、わけのわからないところに嫁ぐなんて嫌だ。すごいなと思った。よっぽどの度胸と覚悟がなければ、化け物の世話なんてしようと思わない。最初は確かに資金のためだったかもしれないけれど、うぬぼれじゃなければ、アグネス、君は俺自身に近付いてくれた。そして、妻としての務めを果たそうと動いてくれた。そんな献身的な姿に、俺はいつしか惹かれていたんだ」
「ナルヤ様……」
洗い清められたナルヤは、神々しいほどのまばゆさだ。
金糸の髪と同じ色の瞳に、その辺の草むらのような自分のぼんやりした緑の目が映っている。
「だいすきだよ、アグネス」
土は落ちない。
ひび割れなど皆無の頬に浮かぶ、甘い微笑み。
長い睫と、泥をおとした筋肉質の腕。
頬が熱くなって仕方が無い。
涙が出そうになる。
嬉しいとかほっとしたとか、そういう感情を飛び越えている。
(だ、だって、今日は、私がナルヤ様を、安心されてあげるって)
「今日から本当に夫婦になろう、アグネス」
と、美貌の公爵令息がとろけるような笑みを浮かべる。
夫婦?
この人と?
「……む」
「む?」
「無理です!!」
「ええっ!?」
脱兎のごとく駆けだしたアグネスの耳は真っ赤だった。
寝室のドアを蹴破る勢いで自分の部屋に帰ると、ナルヤのためにもやはり離縁をした方がいいのではないかと一晩中考えた。
金糸の髪の超絶美男子。
公爵家の莫大な財産も鼻にかけず、気品があり、何よりもアグネスをちやほやと慈しんでくる。
(あ……あんなの、聞いてないよ~……!)
そこからは、立場が逆転したかのようだった。
これまでは傍にいて尽くしていたのはアグネスの方だったのに、本来の姿になったナルヤは、たがが外れたかのようにアグネスに構うようになった。
それはアグネスが、これまでは意識していなかった気恥ずかしさから、目を逸らし、手を払い、口数を減らしたからだったのだが、寂しくなったナルヤがさらに追いかけるので、堂々巡りだった。
使用人たちも、ようやく身支度や湯浴みの世話の許可が出たので張り切っていた。
公爵夫妻の喜びようは
*
「あんなの聞いてないわ!!!!」
全身をぶるぶる震わせて憤ったのは、子爵令嬢エレノアだった。王城のパーティーで、また全身ひび割れの化け物息子と金目当てのアグネスをいびってやろうと思っていたのに。
「なんなのよ! どうして公爵令息があんなに美貌の男になってるのぉ!? 呪いが解けたですってぇ!? 先に言いなさいよっ! しかもいちいちベタベタイチャイチャして、どういうつもり!? 王子とも幼なじみなんて、聞いてないわよ!! あんな顔してるなら最初に言っときなさいよ! ママ、どうして断ったりしたの!? あの、アグネス、本当に身の程知らずだわ!」
一両日中に、公爵家にエレノアからの脅迫状めいた書状が届いた。
それは、
『アグネスと別れなさい。結婚してあげる』
という趣旨の不躾な書状だった。
しかし、呪いの解けた美貌のナルヤに近付こうとする貴族たちは数多くおり、アグネスによって『格下の擦り寄り』と判断された箱一杯の招待状の中の一通として、ナルヤ本人が読むことなく適切に処理されたのだった。
こうして、エスメラルダ公爵家の呪いは解け、後の世で社交界の蝶と呼ばれた、美貌の侯爵令息が解き放たれた。
美しく賢いナルヤはその美貌と経営手腕と気品で、数々の王族や貴族を虜にしたが、その傍にはいつも、誰よりも豪奢な宝石とドレスを身につけた夫人がいた。
そのため、アグネスの『ナルヤ様をバカにした者リスト』に名を連ねてしまった不名誉な貴族たちは、残念なことに多かれ少なかれ没落せざるをえなかった。
新妻仲間としてアグネスと親しくしていた令嬢たちは、公爵家に令孫が誕生する頃までずっと、『夫の隣でも赤面しなくなる方法』という馬鹿らしい相談に乗るはめになった。
しかし、彼女たちはずっと恥じらいを持ったアグネスを愛らしいと感じていたので、皆応援してくれていた。
新婚ならではの、様々な、時にはおせっかいなアドバイスがあったらしいが――。
それが良かったのか、どうなのかは判断に難しいところではある。
が、とにかく、呪いが解かれたエスメラルダ公爵家が子孫に恵まれ大きく繁栄したというのは、皆の知るところの事実なのだった。
END
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