婚約破棄された魔力ゼロ令嬢は、王国一の鑑定士でした
「エレナ。君との婚約を破棄する」
王立学院の卒業舞踏会。
大広間の中央で、第一王子クラウスはそう言った。
ざわり、と周囲が揺れる。
わたしは手にしていたグラスを置いた。
「理由をお聞かせください」
「君には王太子妃としての資質がない」
「具体的には?」
「魔力が弱すぎる」
予想通りの答えだった。
わたしは生まれつき魔力がほとんどない。
魔法学の授業ではいつも最低点。
攻撃魔法も使えない。
治癒魔法も使えない。
魔道具を動かすことすら難しい。
そのため学院では、ずっと「無能令嬢」と呼ばれていた。
クラウス殿下の隣に立つ令嬢が、申し訳なさそうに口を開く。
「エレナ様……殿下を責めないでください」
侯爵令嬢ベアトリーチェ。
最近、殿下が頻繁に連れ歩いている女性だ。
「わたしはただ、殿下のお役に立ちたいだけなのです」
「そうですか」
わたしは頷いた。
「では、お幸せに」
「……え?」
ベアトリーチェが目を丸くする。
クラウス殿下も同じ顔をした。
「それだけか?」
「はい」
「君は自分が捨てられるんだぞ」
「捨てる、という表現は適切ではありません」
わたしは静かに答えた。
「殿下が婚約を破棄するだけです。わたしはそれを受け入れます」
「本当に……悔しくないのか?」
「特には」
わたしは微笑んだ。
「むしろ、これでようやく好きな仕事ができますので」
「仕事?」
「はい」
誰かが小さく笑った。
「無能令嬢が仕事だって」
「何を言ってるんだか」
その声は聞こえた。
けれど、もう気にしなかった。
なぜなら。
わたしは明日から、王宮魔道具管理局で働くことになっていたからだ。
◇◇◇
翌朝。
わたしは王宮の裏門から中へ入った。
向かった先は、古びた建物。
王宮魔道具管理局。
華やかな王宮とは正反対の場所だった。
埃っぽい倉庫。
壊れた魔道具。
用途不明の魔石。
誰も触りたがらない古文書。
「俺が言うのもなんだが、本当にここで働くのか?」
局長のグレンが尋ねる。
「はい」
「婚約破棄されたばかりの侯爵令嬢が?」
「婚約破棄されたからこそ、来られました」
「……変わった娘だな」
わたしは笑った。
「よく言われます」
机を一つ借りて、わたしは仕事を始めた。
やることは単純。
王宮に保管されている魔道具を鑑定し、価値と用途を記録する。
魔力のないわたしに魔道具が使えるはずもない。
けれど。
わたしには別のものが見える。
魔道具に触れると、その内部に刻まれた術式が読めるのだ。
誰にも教えていない。
幼い頃から持っていた、わたしだけの能力。
魔法を使えない代わりに。
魔法の意味を理解できる。
「これは……」
一つの古い指輪を手に取る。
「局長。この指輪、廃棄予定ですか?」
「ああ。三十年前から動かない」
「動かないのではありません」
わたしは指輪を裏返した。
「術式が逆です」
「逆?」
「正確には、刻印の一部が反転しています。製作者が途中で設計を変更したのでしょう」
小さな工具で指輪を開く。
中から黒ずんだ魔石が出てきた。
「あと、魔石が劣化しています」
「交換できるのか?」
「はい」
新しい魔石を入れる。
刻印を丁寧に反転させる。
すると指輪が淡く光った。
局長が固まる。
「……何をした?」
「修理です」
「鑑定魔法や透視魔法を使わずに?」
「はい」
「君、本当に魔力ゼロなのか?」
「ほぼゼロです」
「なら、なぜ動かせる?」
「動かしたのではありません」
わたしは指輪を見た。
「正しい場所に戻しただけです」
その日から、仕事が一気に増えた。
壊れていた魔道具。
使い方の分からなかった古代器具。
価値がないと思われていた魔石。
わたしが触れると、次々と本来の機能を取り戻していく。
そして三か月後。
王宮に一つの報告書が提出された。
「王国に存在する魔道具の約三割が、誤った鑑定を受けている可能性あり」
理由は単純だった。
これまでの鑑定士は、
「動かないから壊れている」
と判断していた。
わたしには、
「なぜ動かないのか」
が見えていた。
◇◇◇
問題が起きたのは、その翌週だった。
「エレナ!」
局長が血相を変えて飛び込んできた。
「王都中央魔力塔が止まった!」
「……全部ですか?」
「ああ」
王都の魔力塔。
街全体に魔力を供給している巨大施設だ。
止まれば、
照明が消える。
魔道具が動かなくなる。
工房も止まる。
そして最悪の場合、魔力塔そのものが暴走する。
「専門の魔導士は?」
「全員、原因が分からないと言っている」
「見せてください」
魔力塔へ向かう。
塔の内部には、数十人の魔導士が集まっていた。
その中には見覚えのある顔もあった。
「エレナ?」
クラウス殿下だった。
婚約破棄以来、会っていなかった。
「君がここに何をしに来た」
「調査です」
「魔力のない君に何が分かる」
わたしは答えなかった。
塔の中心部へ進む。
巨大な魔石。
複雑な術式。
何重にも重なった魔力回路。
普通の人なら、複雑すぎて見るだけで頭痛がするだろう。
けれど。
わたしには一本の線が見えた。
「……ここ」
「何か分かったのか?」
局長が尋ねる。
「魔力が逆流しています」
「そんな馬鹿な」
「原因は中央制御盤」
わたしは走った。
制御盤を開ける。
そこには、新しい術式が追加されていた。
「誰かが改造しています」
「改造?」
「はい。しかも意図的に」
その瞬間。
「待て」
クラウス殿下が近づいてきた。
「証拠はあるのか」
「あります」
わたしは制御盤の奥から、小さな魔石を取り出した。
「これは王宮の備品でも、この塔の物でもありません」
局長が確認する。
「確かに……」
「さらに」
わたしは魔石を光にかざした。
そして、魔石に刻まれた術式を説明する。
「この術式は、魔力塔から余分な魔力を抜き取るためのものです」
室内が静まり返る。
「誰がそんなことを……」
わたしは魔石に残った術式の署名を確認した。
そこに刻まれていた名前を見て、局長が息を呑んだ。
「ベアトリーチェ……?」
クラウス殿下の顔色が変わった。
「そんなはずはない」
「彼女一人ではありません」
わたしは続けた。
「協力者がいます」
その名前を読み上げる。
王宮魔導院の幹部。
そして。
第二王子派の貴族たち。
王都の魔力塔を利用し、余剰魔力を密かに自分たちの領地へ送っていたのだ。
ただし、彼らには誤算があった。
魔力塔は一定量を超えて魔力を抜かれると、内部の回路が自動的に逆流する。
それを誰も知らなかった。
正確には。
記録が失われていた。
わたしは古い資料を一枚取り出した。
「五十二年前の事故記録です」
そこには同じ症状が記されていた。
「前任者が残していた警告です」
局長が震える声で読む。
「『中央塔からの魔力抜き取りを禁ずる。術式逆流により塔が崩壊する危険あり』……」
わたしは頷いた。
「だから、急いで止めます」
「どうやって?」
「この術式を元に戻します」
「できるのか?」
「できます」
「君は魔力がないのに?」
「だからです」
わたしは制御盤へ手を伸ばした。
「魔力がないから、魔力の流れに干渉されません」
指先で術式を一つずつ戻していく。
一つ。
二つ。
三つ。
最後の術式を修正した瞬間。
轟音が響いた。
塔全体が揺れる。
「エレナ!」
「大丈夫です」
わたしは最後の線を書き直した。
光が走った。
止まっていた魔力塔が、ゆっくりと動き始める。
王都中の明かりが一斉に灯った。
誰も声を出さなかった。
ただ一人。
クラウス殿下だけが、呆然とわたしを見ていた。
「……君は」
わたしは振り返る。
「なんでしょう?」
「君は、本当に……無能だったのか?」
少しだけ考える。
「殿下」
「……」
「魔法が使えないことと、役に立たないことは同じではありません」
殿下は何も言えなかった。
◇◇◇
事件の後。
ベアトリーチェたちは全員拘束された。
魔力塔から抜き取った魔力は、貴族たちの私有魔道具を動かすために使われていた。
婚約破棄の原因になった「王太子妃としての資質」。
その判断自体も問題になった。
王宮の調査で、クラウス殿下がわたしの能力について一度も調べていなかったことが判明したからだ。
これに関しては、自分の能力を誰にも言っていなかったのだから仕方ないとは思うが。
殿下は王太子候補から外された。
そして、わたしには国王陛下から正式な爵位が与えられた。
けれど。
わたしが一番嬉しかったのは、それではない。
「エレナ」
王宮の庭園で声をかけてきたのは、魔道具管理局の副局長だった。
名前はセドリック。
以前、わたしが最初の指輪を直したときから、ずっと仕事を手伝ってくれていた人だ。
「これを」
差し出されたのは、一冊の手帳だった。
「新しい記録帳です」
「ありがとうございます」
「一つ、予定を書いてほしい」
「仕事ですか?」
「いいえ」
彼は少し照れながら笑った。
「来週の休日、一緒に王都の魔道具市場へ行きませんか」
わたしは手帳を開いた。
空白のページ。
これまでの手帳には、王宮の予定や報告書の締切ばかりを書いていた。
けれど。
これからは違う。
「分かりました」
「本当ですか?」
「はい」
一行書き込む。
セドリックと魔道具市場へ行く。
その文字を見て、なぜだか胸が温かくなった。
婚約者だった頃。
わたしの予定は、いつも誰かに決められていた。
王妃教育。
舞踏会。
お茶会。
殿下との面会。
けれど今は違う。
自分で決める。
自分で選ぶ。
自分の価値も。
自分の仕事も。
そして。
これから誰と歩くのかも。
「エレナ」
「はい?」
「何か嬉しそうですね」
「ええ」
わたしは手帳を閉じた。
「明日の予定を、自分で決められるのが嬉しいんです」
「それなら」
セドリックが笑う。
「明日も、その次の日も、一緒に予定を決めませんか」
わたしは少しだけ考えて。
「それは、予定がいっぱいになりそうですね」
「嫌ですか?」
「いいえ」
わたしは笑った。
「むしろ、楽しみです」
魔法が使えない。
だから、無能。
昔のわたしは、そう思われていた。
けれど。
人にはそれぞれ、得意なことがある。
魔法を使う人。
剣を振るう人。
人を癒やす人。
そして。
魔法そのものを理解する人。
誰かに価値を決めてもらう必要なんて、最初からなかったのだ。
わたしは手帳を開く。
まだ白いページがたくさん残っている。
これから先、何を書こう。
仕事のこと。
新しい魔道具のこと。
行ってみたい場所。
会いたい人。
そして。
自分で選んだ未来のこと。
わたしは最初の予定を書き終えた。
来週、好きな人と出かける。
その文字を見て、少しだけ頬が熱くなった。
婚約破棄された日のわたしは、自分の人生から何かを失ったと思っていた。
けれど今なら分かる。
あの日失ったのは、人生ではない。
誰かに決められていた未来だった。
そして、空いたその場所には。
自分で選んだ未来を、いくらでも書き込める。
わたしは笑って、手帳を閉じた。
――明日の予定は、わたしが決める。




