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くちなし

作者: 遠吠負ヶ犬
掲載日:2026/04/03

はじめまして。遠吠負ヶ犬です。「まけいぬ」ではなく「まがいぬ」と読みます。


花と花言葉の話です。

 言葉は現実を作る。だからこそ、その扱いには気をつけなくてはならない。

 だが、現実には不用意な言葉が(あふ)れている。

 モラルを欠いた発言、人を傷つける表現、笑えない冗談。TPOに適さない言葉を扱うナンセンスな人間の、なんと多いことか。非常に嘆かわしい。

 特に俺が気に入らないのは花言葉だ。世間一般の人々は洒落(しやれ)た言葉として認識しているが、俺は違う。

 第一、全ての人間が花言葉を知っているわけではない。だというのに、「洒落た」連中はお構いなしに使ってくる。他者に対する思いやりというものがないのだ。

 花が出てくる度にバカの一つ覚えみたいに花言葉を語り出す。まさに愚の骨頂である。




「や、久しぶりだね」

 春から夏へと移り変わる狭間(はざま)、彼女は久々に俺の元を訪ねてきた。

 光を反射する真っ白なワンピース。熱風が裾をふわりと揺らし、見る者にどこか(もろ)さを印象づける。俺に向かって上げられた腕さえ、半透明と見紛(みまが)うほどだ。

 俺は遅いぞと心の中でぼやきつつも、態度には絶対に出さない。それが客人に対する、守るべき最低限のモラルなのだ。

「最近はすっかり暑くなったね」

 まだ初夏だというのに、日差しはギラギラと地面を照らし、忌々(いまいま)しくも彼女の白い肌を突き刺している。

 いくら暑いとはいえ、こんな日に肩を出した服を着るのはオススメしないな。日焼けをすると後で後悔することになるぞ。と心の中で忠告する。

「一応日焼け止めは塗ったけど、やっぱり不安だなー」

 日焼け止めは外出の三十分前に塗るのが効果的だと言われているが、恐らく彼女は出掛ける直前に塗りたくっているのだろう。以前、それは効果が薄いと指摘したら不機嫌になったので、今回も黙っておいてやることにした。

「そっちはどう? 君は頑固だからあんまり周りと馴染めてないんじゃない?」

 人間は正論を言われたときが一番傷つくというのを、俺は彼女に教えていなかったか? そんなことでは将来が思いやられるぞ。

「あーあ、ホントに暑いなー。……そっちは涼しいのかな?」

 そう言って彼女は俺を叩く。なんと罰当たりな。

「ごめんごめん! 痛かった?」

 か弱い女子の力だ。痛いわけがないだろう。強いて言うなら、そのアホさ加減をここまで放置してしまった罪悪感で心が痛い。

 ケラケラと笑いながら、だんだんと俺を叩いていた手の力が抜けていく。

 やがて子供を相手にするかのように、俺を優しく()で始めた。

「まぁ、君なら大丈夫でしょ。頭も良いし面白いし、それに優しいから」

 恐らく彼女は俺の人間関係について言っているのだと、少し考えてから理解した。

 誰にでも当てはまりそうな特徴だ。語彙力(ごいりよく)も心配だな。

「まぁ、ちょっと性格がひねくれてたり、細かいことにメチャクチャ指摘入れてきたり、思ったこと全部口に出しちゃったり、人を小馬鹿にするのが習慣化しちゃってたり、そのくせ自分はセンスの塊だって自慢するような人だけど……」

 言いたい放題言いやがって。どうやら語彙力は心配なさそうだな。

「それでも君は、とても優しい人だから」

 その一言でさっきの暴言が挽回(ばんかい)できるとでも思っているのか。そうやって、かつてのように言ってやりたかった。

 それがもう、叶わぬ願いということは分かっている。

「ねぇ、まだそこにいるの?」

 俺は何も言えない。言葉を(つむ)ぐ権利がない。

「私は、前に進むよ」

『そうか、元気でな』も『行かないでくれ』さえも、今の俺には許されない。

 何を言っても、今の俺には無意味な言葉だ。

「これ、君が好きだった花だよ。ホントはここに持ってくるべきじゃないけどね」

 冷たく角張った俺の領域に、彼女は一輪の花を供える。白いバラに似たその花は、太陽のような優しい香りで俺を包み込んだ。

「クチナシ。花言葉は──」

『とても幸せ』。忘れるはずがない。

「花言葉なんて一つも知らない私に、君が教えてくれた。君が教えてくれたんだよ。これだけじゃない。君は私にたくさんのことを教えてくれた」

 こちらを見据える彼女の瞳は、初夏を照らす太陽のようにまばゆく、その姿はあの花のように可憐(かれん)だ。

「だから私、幸せになるよ。たくさんたくさん、君がこっちに出てくるくらい幸せになって、それから……会いに行くから」

 彼女は立ち上がった。

 今にも壊れそうな笑みをたたえながら、それでも彼女は俺に言葉を紡ぐ。

 その先には何もないと、分かっているはずなのに。

「じゃあ、またね」

 彼女の手が俺から離れる。その手の温かさも、指先の感触も、離れたときの冷たさすら、感じることができない。

 砂利を踏みしめる音。遠ざかっていくそれだけが、確かにそこにある。

 もし、物語のような奇跡が許されるとしたら。今の俺が彼女に言葉を伝えることができたら、一体何を選ぶだろうか。

 性格がひねくれた俺にふさわしい皮肉だろうか、それとも、らしくない素直な感謝だろうか。

 彼女にとっては、何が最善なのだろうか。

 俺はどうすべきなのだろうか。簡単だ。どうすることもできない。

 これが答えで、現実だ。

 風は俺を素通りし、日差しは身体を突き刺さず、あの花にも手が届かない。

 それでも、何かを残したい。

 前に進む彼女の背を押すなんてことは、おこがましくて言えない。それでも、悪あがきをしてみたい。

 誰にも届かない言葉を。

『死人に口なし』

 俺にふさわしい、非情な言葉(げんじつ)

 何もかもが遅かった。


読了、ありがとうございました。

またよろしくお願いします。

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