第5話 近衛騎士の刃は闇を裂き、令嬢の嘘は守られる
扉が軋み、木が裂ける音がした。
次の瞬間、鍵穴のあたりが内側へ弾け飛ぶ。
暗闇の裂け目から、黒い布に包まれた男が滑り込んでくる。
顔は覆面。手には短刀。躊躇のない殺意。
エドガーが一歩前へ出た。
剣が鞘を離れる音は短く、鋭い。銀の刃が灯りのない部屋に、一筋の月光みたいな線を引いた。
「近衛の犬め」
刺客が嘲る。
その声は低く、湿っている。口の端に毒を含んだような声。
「犬でいい」
エドガーの返答は淡い。
感情を見せないまま、刺客の手首に刃を当てる。
カン、と金属が鳴った。
短刀が弾かれ、床に転がる。刺客の腕が痺れたのか、指が一瞬開く。
速い。
私が目で追えたのは結果だけだった。
刺客が後退しながら、口笛を吹いた。
すぐに二人目、三人目の影が扉から入ってくる。数が多い。狭い部屋に、殺意が満ちる。
セシルが息を呑み、私の袖を掴んだ。
私は、その指をほどかない。ほどけない。
「奥へ」
エドガーが短く言う。
私たちは部屋の隅、机の影へ退く。出口はひとつ。ここで押し負ければ終わりだ。
刺客たちは連携していた。
正面から二人、左右から一人ずつ。四方からエドガーを削るように迫る。
――騎士団の訓練とは違う。
戦場の手際。命を奪うことだけに慣れた動き。
(王宮の“別口”。本物だ)
エドガーは守りに入らない。
むしろ一歩踏み込み、敵の呼吸を切るように動いた。
剣筋が閃く。
ひとりの肩口を斬り、もうひとりの足を払う。致命傷ではない。だが戦意を奪うには十分。
「殺さないの?」
思わず漏れた私の声に、エドガーは振り返らずに答えた。
「生かす」
「……どうして」
「口を割らせる」
冷徹な正解。
恋愛小説の騎士が言うような甘い言葉ではない。
なのに、その冷たさが、今の私には救いだった。
刺客が一瞬の隙に、私とセシルへ狙いを変えた。
短剣が飛ぶ。
エドガーの剣が弾く。
刃は床へ刺さり、石が欠けた。
「令嬢を差し出せ。騎士よ。貴様が守っても、結末は変わらん」
覆面の男が言う。
その言葉が、私の背骨に沿って冷たく落ちる。
(結末は変わらない――原作の台詞みたいに)
エドガーは間髪入れずに踏み込んだ。
覆面の喉元へ刃を当て、囁くように言う。
「お前の主は誰だ」
覆面が笑った。
笑って、舌打ちした。
「主? 主など――」
言い終わる前に、覆面の口元が黒く滲んだ。
毒。歯に仕込んでいたのだろう。口封じのための自害。
「……っ」
エドガーが舌打ちし、覆面を床へ押さえつける。
だが、泡を吹いた男の瞳はすぐに焦点を失った。
残りの刺客たちが一斉に後退する。
仲間が死んだのを合図に、撤退。
「逃げるぞ!」
私は叫びかけた。
だがエドガーは追わない。追うよりも――こちらを守る。
「……まだいる」
彼の目が、扉の外を見据える。
私も耳を澄ませた。地下道の空気が、変に重い。
次の瞬間、通路の奥で“何か”が鳴った。
鈴のような、薄い音。聖堂で聞く祈りの音に似ている。
セシルが、青ざめた顔で呟く。
「……呼ばれてる。わたしの力が……引っ張られる」
引っ張られる?
聖女の力を、誰かが遠隔で動かしている?
エドガーが歯を食いしばる。
「来るぞ。浄化じゃない。逆だ――」
言葉の途中で、通路の先から白い光が差した。
あの、優しい光ではない。眼を刺すような白。
光が、闇を呼ぶ。
矛盾した現象。けれど現実に起きている。
白の中心から、黒が滲んだ。
霧ではない。もっと粘り気のある影。人の形を模した影。
――影が、立ち上がる。
「……聖女の器」
影が、セシルの方向へ顔のない顔を向けた。
声は、耳の内側から響く。男とも女ともつかない。
セシルが震え、私の腕にすがった。
「こわい……」
私は、知らず彼女を抱き寄せた。
さっきまで憎まれるべき“悪役”だった私が、聖女を庇っている。
可笑しい。
でも、可笑しさより怖さの方が勝つ。
「レティシア」
エドガーが私の名を呼んだ。
低い声。決断を促す声。
「セシルを連れて、奥の抜け道へ行け。俺が止める」
「あなた一人で?」
「止めるだけだ。勝つ必要はない」
私は唇を噛んだ。
合理的だ。正しい。
けれど、置いていくことが怖い。
(この人が死んだら、私は――)
思考が途中で切れた。
私が今、彼の生死を怖がっていることに気づいてしまったから。
「……嫌よ」
口をついて出た。
悪役令嬢らしくない、子どもみたいな拒絶。
エドガーの目が、一瞬だけ揺れた。
それは驚きではなく、何かを飲み込むような揺れ。
「我儘を言うな」
「我儘じゃない。合理性の話なら――あなたが倒れた瞬間、私たちは終わる。あなたが要なのよ」
私は必死に言い訳を並べた。
本音を隠すために。
エドガーは私を見たまま、短く笑った。
「……そういうところが、悪役令嬢か」
「褒めてないわね」
「褒めてる」
その一言で、胸が熱くなる。
こんな状況なのに。
影が、ゆっくりと近づいてくる。
空気が冷え、壁が濡れたように重くなる。セシルの胸元が眩しく光り、彼女自身が“道標”にされている。
「セシル。息を整えろ。祈るな。今は祈りが餌になる」
エドガーが命じると、セシルは涙を浮かべながら頷いた。
「うん……やってみる……」
影が伸ばした腕が、私たちに届く距離になる。
その瞬間、エドガーが剣を振り抜いた。
刃が影を裂く。
――裂けたはずなのに、影は笑うように形を保ったまま、刃の周囲にまとわりつく。
「剣では切れない……!」
私は声を上げた。
「切れないなら、足止めする」
エドガーは剣を逆手に持ち替え、床へ刃を突き立てた。
金属音。
刃を中心に、薄い光の紋が広がる。古い結界。
「近衛の結界……」
セシルが息を呑む。
影が紋に触れ、弾かれた。完全ではないが、速度が落ちる。
「今だ」
エドガーが私に視線を寄越す。
私は頷き、セシルの手を引いた。
奥の壁際に、また隠し扉。
エドガーが用意していた逃走路。
扉に手をかけた瞬間、影が結界を破るようにうねった。
白い光が増し、セシルが呻く。
「……引っ張られる……!」
私は歯を食いしばり、彼女を抱えるように引いた。
そのとき、私の手袋の内側――あの古い刺繍が、熱を持った。
――反応している。
セシルの光に。
影に。
そして、私の血に。
胸の奥で、忘れていた記憶が、鈍い痛みと一緒に叩いた。
(“聖女選定”の夜……)
私の中にあるものが、目を覚まそうとしている。
扉が開く。冷たい風が吹き込み、階段が下へ続いていた。
私はセシルを先に押し込み、自分も続こうとして――振り返った。
エドガーが結界の前に立っている。
影と対峙しながら、私を見ていた。
「レティシア」
呼ぶ声は静かで、強い。
「お前の嘘は、今夜は守る。だから――生きろ」
私は喉の奥が熱くなるのを感じた。
言い返す言葉が見つからない。
代わりに、私は悪役令嬢の笑みを作った。
震えを隠すために。
「当然ですわ。私を誰だと思ってるの」
そして、扉の向こうへ身を滑らせた。
閉まる石扉の音が、重く響く。
闇の気配が遠ざかる。
それでも胸の中の熱は消えなかった。
――守る。
その言葉が、毒みたいに甘く、私の中に残っていた。
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