第3話 聖女は扉の向こうで微笑む
扉の隙間から差し込む廊下の灯りが、倉庫の床を細く切り取った。
その光の縁に、白い指先がかかっている。
「……レティシア様。ここに、いらっしゃいますよね?」
セシルの声は柔らかい。けれど、柔らかいだけではない。
ひどく“確信”に満ちている。
エドガーの剣先が、鞘の中でわずかに鳴った。
抜かない。だが抜ける位置。彼の背が私を隠している。
「下がれ」
低く命じるような声。
それは近衛騎士が使う声だ。学園で見せたことのない、王宮のそれ。
扉が、さらに開いた。
白いドレスの裾が見え、次に金色の髪が覗く。セシルは一歩だけ中へ踏み込む。――ひとりで。
ひとり? 護衛はいないの?
その不自然さに、私の背中が冷たくなる。
この子は今夜、断罪の主役だったはずだ。彼女をひとりで歩かせる人間がいるなら、それは“守る側”ではない。
「エドガー様、ですよね。学園の広間でお見かけしました」
セシルは礼儀正しく頭を下げる。
その仕草は可憐で、無害に見える。けれど、目が私を探している。
「レティシア様と、お話がしたいんです。少しだけでいいの」
「拒否する」
エドガーは即答した。
セシルが困ったように眉を寄せる。
その表情は、学園で見せた“傷ついた聖女”そのままだ。
「どうしてですか? わたし、ずっと――」
「今夜、この場所に来るべきではない」
エドガーの声は変わらない。
だが、セシルは一歩も引かない。
「でも、レティシア様が危ないって聞いたんです」
聞いた。
誰に。
私の胸の奥で、最悪の想像が形になる。
(誰かが、この子を餌にしている)
刺客が“別口”なら、こちらを探す手段が必要だ。
そして誰よりも“レティシアを探す理由”を持つ存在がいる。――セシルだ。
私は、エドガーの背の向こうから一歩出た。
「お話?」
声が、想像以上に冷たく響いた。
自分でも驚く。けれど、驚いている暇はない。
セシルの瞳がぱっと明るくなる。
嬉しそうに微笑んで――その笑みが、私の喉を締めつけた。
「レティシア様!」
名前を呼ばれるだけで、胸がざわつく。
私は悪役令嬢として、彼女を虐めたことになっている。
その“物語”の中で、私が彼女に優しくする権利はない。
「あなた、どうしてここがわかったの」
私は端的に聞いた。
セシルは小首を傾げ、柔らかく言う。
「わかりました。……だって、わたし、導かれるんです」
導かれる。
その言い方は、あまりにも。
(聖女の力――?)
乙女ゲームの設定では、聖女には“癒し”と“浄化”の力がある。
そして、終盤にもう一つ――“道を示す”ような演出があった。
ただしそれは、プレイヤーの都合のいい演出で、現実の力として説明されたことはない。
けれど、今この世界では。
それが、現実として存在している。
エドガーが短く舌打ちした。
「お前が勝手に動くほど、状況は悪化する」
「ごめんなさい。でも……レティシア様を置いて帰れません」
セシルは、私に向かって一歩近づいた。
距離が詰まる。私は反射的に後退しそうになり、踏みとどまった。
「悪役令嬢を助けたいの? あなたを苛めた相手を?」
嫌味のつもりだった。
けれどセシルは、ためらわず頷く。
「はい。だって、わたし、レティシア様が本当は悪い人じゃないって……思うから」
思う。
証拠もなく。根拠もなく。
その無垢さが、私には凶器に見えた。
――そのとき。
倉庫の奥、積まれた木箱の影で、空気が僅かに揺れた。
見えない魔術の膜が擦れる音。エドガーの気配が鋭くなる。
「来るぞ」
低い声が落ちた瞬間、扉の外の廊下が暗くなった。
灯りが消えたのではない。灯りが“吸われた”。
影が、廊下を満たす。
黒い霧のようなものが、扉の隙間から滲み込んでくる。
「……っ」
セシルが息を呑む。
エドガーは私とセシルの間に立ち、剣を抜いた。
銀の刃が暗闇を切り裂く。
「下がれ、二人とも」
刃の先が、霧を裂いた。
しかし霧は刃を避けるように流れ、まるで意思を持つ蛇のように倉庫へ入り込む。
――狙いは私。
いや、今夜はそれだけじゃない。
霧が、セシルの足元へ絡みつこうとした。
「セシル!」
私は咄嗟に彼女の腕を掴み、引いた。
その瞬間、セシルの指先が私の手袋に触れ――
熱が走った。
指先から腕へ、腕から胸へ。
私の中の何かが、無理やり引きずり出されるような感覚。
目の奥に白い光が弾け、耳鳴りがした。
「……見えた」
セシルが、震える声で呟く。
「レティシア様……あなた――」
言いかけた言葉が、途切れる。
セシルの瞳が、驚きと恐怖と、そして――同情で揺れた。
私は、背筋が凍るのを感じた。
(やめて。見ないで)
見られたら終わる。
私が隠してきた“真実”の欠片が、今、この子に触れた。
エドガーが私の肩を掴んだ。
「お前ら、出口へ――!」
言葉が終わる前に、霧が凝縮した。
黒い塊が形を持ち、刃のように尖り――エドガーの胸元へ飛ぶ。
反射で彼が剣を振る。
刃が塊を裂く。だが、裂けた影が別の形になり、床を滑って私へ伸びた。
私は逃げるより先に、セシルを庇うように身を捻った。
悪役令嬢らしくない行動。けれど、体が勝手に動いた。
影の刃が、私の肩を掠めた。
熱い。
布が裂け、血が一筋、腕を伝う。
「レティシア様!」
セシルの叫びが響く。
その瞬間、彼女の胸元が淡く光った。祈るように両手を重ねる。
「お願い……やめて……!」
白い光が迸った。
霧が、怯えたように後退する。空気が震え、闇が薄れる。
――浄化。
ゲームの演出では綺麗な光で終わるはずのそれが、現実では“抵抗”だとわかった。
闇は消えきらない。むしろ、怒っている。
霧が、壁を叩いた。
木箱が弾け、乾いた薬草が舞う。倉庫の空気が、粉塵と魔力で濁る。
「二人とも、今だ!」
エドガーが私たちを押し、奥の小扉へ向かわせた。
私は肩の痛みをこらえながら走る。セシルがすぐ後ろをついてくる。
小扉を開けた先は、狭い路地だった。
冷たい外気が肺に入る。
背後で倉庫が軋み、闇の霧が外へ溢れ出した。
追ってくる。
「分かれない。俺の指示に従え」
エドガーが言う。
私は頷くしかない。セシルも唇を噛んで頷いた。
走りながら、セシルが私に叫ぶ。
「レティシア様! さっき……見えたんです。あなた、誰かに――」
「言わないで!」
私の声が、夜を裂いた。
自分でも驚くほど必死だった。
セシルが目を見開く。
その表情が、確信を強める。
エドガーが低く言った。
「後で話す。今は、生き残る」
私たちは闇に追われながら、王都の裏道へ消えていく。
そして私は理解した。
この夜、変わったのは刺客の数だけじゃない。
――聖女に、私の秘密が触れた。
もう“何も知らないふり”はできない。
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