第2話 冷徹騎士の隠れ家で、悪役令嬢は息をする
夜は、音を奪う。
走る足音だけが、私の心臓の代わりに鳴っていた。
エドガーの腕は強い。引かれているだけなのに、迷いがない。
学園の裏手、人気のない植え込みを抜け、石畳を渡り、門の陰へ――灯りの届かない道を選んで進む。
「息が乱れている。転ぶな」
「……心配してくださるの?」
悪役らしく皮肉を混ぜたつもりだったのに、声が震えた。
彼は振り返らず、短く言う。
「足手まといは困る」
冷たい。けれど、優しいよりずっと信用できる冷たさだった。
背後で、空気が再び歪む。
刺客の気配が追ってくる。魔術で位置を探っているのかもしれない。
エドガーは足を止め、私を壁際へ押し込んだ。
そして掌を私の肩の横の石に当てる。
「黙れ」
「……っ」
言い返そうとして、言葉を飲んだ。
彼の体温が近い。鎧越しでも、息が触れる距離。
次の瞬間、壁が沈んだ。
石が、音もなく割れるように開き、暗い隙間が生まれる。
隠し通路。王都の古い建築には、貴族や騎士が使う逃げ道が残っていると聞いたことがある。
「入れ」
エドガーは私を先に押し込み、自分も滑り込む。
背後で石壁が閉じ、外の気配が断ち切られた。
暗闇の中、私はようやく息を吐いた。
胸の奥に詰まっていた恐怖が、遅れて形になる。
「……学園の中に、こんな」
「学園じゃない。王都の古い地下道だ。騎士団が把握しているのは一部だけ」
彼の声は近い。暗くても、迷わない歩き方をする。
手を取られているわけでもないのに、私は彼の背に引き寄せられるように歩いた。
「追っ手は?」
「撒ける。ただし完全じゃない」
短い返答。
私は喉の奥が乾くのを感じながら、聞くべきことを整理した。
まず――彼は、なぜ私を救ったのか。
次に――刺客が“別口”だと言った根拠。
そして――私が知っている筋書きと、この世界の現実がどこで重なり、どこで違うのか。
(でも、今は……)
今は、崩れそうな足をどうにかしたい。
感情を押さえる仮面は、さっきからひび割れ始めている。
地下道を抜けた先は、狭い扉だった。
エドガーが鍵を回し、私を中へ入れる。
そこは――倉庫のように見えた。
積まれた木箱、古い布、乾いた薬草の匂い。だが掃除は行き届き、埃がほとんどない。つまり“使われている”。
扉が閉まる。
外の音が遠ざかり、静寂が降りた。
私は膝から力が抜け、床に座り込みそうになる。
その肩を、エドガーが片手で支えた。
「倒れるな。まだ安全じゃない」
「……わかってる、わかっておりますわ」
つい敬語が崩れかける。私は慌てて声を尖らせた。
悪役令嬢は弱ってはいけない。そうでなければ、私は私を守れない。
エドガーは私を椅子に座らせ、水の入った杯を差し出した。
「飲め」
「毒は?」
「入れてない」
「……入れてないと、どうして言い切れますの?」
「疑うのは勝手だ。だが、喉が渇いている」
淡々と事実だけを並べる。
私は、負けた気がして杯を受け取った。
冷たい水が喉を通る。
その瞬間、体が“生きている”と実感した。怖いくらいに。
杯を置くと、私は顔を上げた。
「エドガー卿。説明を。あなたは近衛騎士でしょう。なぜ私を連れ去ったのです」
「連れ去った? 違う」
「では?」
「保護した」
言い方の問題ではなく、彼の中での線引きなのだろう。
私は眉をひそめる。
「近衛が、断罪された令嬢を“保護”する理由など――」
「ある」
彼は即答した。
そして、私の前に膝をつくでもなく、ただ真っ直ぐ立ったまま言う。
「今夜の刺客は、王太子の命令じゃない。裁きに便乗した暗殺でもない。あれは、口封じだ」
胸が締まる。
「……口封じ、ということは」
「お前は何かを知っている。あるいは、持っている」
“お前”。
敬称が消えた。彼の声が少しだけ硬くなる。
私は背筋を伸ばし、悪役の笑みを作った。
「私が何を知っていると?」
「セシルの出自」
世界が、一瞬止まった。
私は表情を崩さなかった。崩せなかった。
だが心臓が、ひとつ強く跳ねる。
(……この人、そこまで)
セシルの出自――それは、乙女ゲームの終盤で明かされる秘密だ。
“聖女”が偶然現れたのではない。王宮が望んだ奇跡であり、そのために誰かが犠牲になっている。
だから私は、最初から“言えない”のだ。
「何のことかしら。私が、あの可憐な転入生に嫉妬して苛めた、ただそれだけ――」
「嘘だ」
エドガーの否定は鋭い。
彼は私の机上にある、私の手袋を見た。正確には、手袋の縫い目。
「その手袋。内側の刺繍が古い。貴族の装飾じゃない。王宮の――古い祈祷服の縫い方だ」
私は息を止めた。
手袋は、私が“持っている”唯一の証拠の一部。
誰にも見せないつもりだった。縫い方に気づく者など、いないと思っていた。
「……よく、ご存じで」
「近衛は、いろいろ見る」
彼は視線を逸らさない。
「俺は、王宮の内部に“もう一つの命令系統”があると疑っている。今夜の刺客は、その線だ」
王太子でも、宰相でもない。
それでも王宮に命じる力を持つ存在。
(原作で言う“黒幕”)
私は、指先を握り込んだ。
「……なら、あなたは何者ですの。近衛騎士が、そこまで踏み込めば――」
「踏み込む」
エドガーは簡潔に言った。
「俺は、真相に近づくために動く。そのために、お前が必要だ」
必要。
その言葉が、喉の奥に熱を残した。
私は笑い返すべきなのに、笑えない。
代わりに、冷たい問いを置いた。
「私が協力しなければ?」
「協力しなくてもいい。だが、今夜はここにいる」
「監禁ですの?」
「保護だ」
またそれ。
私は水の杯を指で弾き、わざとため息をついた。
「……では、条件を出しますわ」
「言え」
「私を“悪役令嬢”として扱わないこと。憐れむのも、正義を押し付けるのも不要。私を利用するなら、対等に」
我ながら強気だと思う。
けれど、強気でいなければ、私はこの先を生きられない。
エドガーは少しだけ黙り、やがて頷いた。
「いい」
たった一言。
それなのに胸の奥の緊張が、わずかにほどける。
――と、そのとき。
扉の外で、微かな金属音がした。
鍵に触れる、硬い音。
エドガーの目が鋭くなる。
彼は私の前へ一歩出て、腰の剣に手をかけた。
「動くな」
今度は、私が従う番だった。
次の瞬間、扉が――外から静かに開き始めた。
隙間から、黒い指先が覗く。
そして、聞き覚えのある甘い声が落ちた。
「……レティシア様。ここに、いらっしゃいますよね?」
セシル。
どうして。
追ってきた? それとも――連れてこられた?
エドガーが、低く呟く。
「最悪だ。……もう一手、早かったか」
私は椅子の背を掴み、立ち上がった。
悪役令嬢の仮面は、まだ剥がせない。
だってここに来た彼女が、味方か敵か――まだ、わからないのだから。
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