第10話 騎士の指先に残る熱、令嬢は「選ぶ」側になる
輪の光が消えた石室は、急に寒く感じた。
空気が元に戻ったのではなく、さっきまでの異常な熱が嘘みたいに消えたせいだ。
私はエドガーに支えられたまま、息を整える。
掌の刻印はまだ疼く。けれど、暴れ回る熱ではない。――“待機”の熱。
「レティシア様……」
セシルは泣きながら私の袖を掴んでいた。
怖かったのだろう。彼女の光は弱く、息に合わせて揺れている。
私は一度だけ頷き、セシルの手を外した。
「平気。あなたは、よく制御したわ」
「……うん。でも、わたしのせいで……」
「違う。あなたがいなければ、さっきの男はもっと楽に私を起動させた。あなたは止める側になった」
セシルが目を見開き、やがて小さく頷く。
その頷きは、今までより少しだけ強い。
エドガーは周囲を見回し、短く言った。
「ここを出る。長居はできない」
「追ってくる?」
「確実に」
私は輪を見た。
台座の上に戻ったそれは、ただの金属にしか見えない。けれど、触れれば地獄の扉が開く。
「……持っていけないの」
私が言うと、エドガーは即座に首を振った。
「持てば起動する。お前はまだ安定していない」
「じゃあ、壊す」
「壊せない可能性が高い。儀式具は、物理破壊を拒むものが多い」
その言葉に、私は舌の奥が苦くなる。
逃げ道が狭い。
私たちは石室を出た。
来た通路は複雑で、途中で分岐がいくつもある。エドガーが迷いなく進むのを見て、改めて理解した。
(この人、ずっとこの地下を調べてきた)
私のためではない。真相のため。
けれど結果として、私は救われている。
通路の角を曲がったとき、遠くで足音がした。
複数。軽い鎧の擦れる音。訓練された兵の足音。
エドガーが手を上げ、私とセシルを止める。
呼吸を止める。蝋燭の火もない暗闇。聞こえるのは自分の血の音だけ。
足音が近づき、誰かが低く言った。
「……起動は止まった。だが刻印持ちは近い。聖女の反応が出ている」
別の声が返す。
「礼服の方は撤収された。次は捕縛。生かして連れて来い」
捕縛。
殺すより、縛る。
“器”として生かす。最悪の優しさ。
足音が過ぎるまで、私たちは石の影で息を殺した。
やがて音が遠ざかる。
エドガーが小声で言う。
「今のうちに抜ける」
私たちは走った。
走りながら、私は思った。
(さっきの男は誰)
黒幕。あるいは黒幕の一部。
彼は王太子を軽んじ、宗教と通じ、私を“器”と呼んだ。
そして何より――私を“知っている”口ぶりだった。
通路の先に梯子が見えた。
上は薄い光。地上へ出られる。
エドガーが先に上り、周囲を確認する。
合図が来て、私とセシルが続いた。
地上に出たのは、王宮の外れの庭だった。
夜明け前の霧が薄く漂い、植え込みが影を作っている。
「ここから離れる」
エドガーが言い、私たちは庭の端を伝って走った。
壁の隙間、古い物置、石像の陰。巡回を避けて抜ける。
しかし、門の近くで足が止まった。
通路を塞ぐように、誰かが立っていたからだ。
外套を纏った男。
護衛は二人。王宮の兵装。
その男は、ゆっくりフードを外した。
――王太子クラウス。
私は一瞬、息を忘れた。
断罪の壇上にいた男が、こんな時間に、こんな場所に。
「レティシア」
王太子は私の名を呼んだ。
その声には疲れがある。だが目は冴え、迷いがあるようでない。
「……どうしてここに」
私が問うと、彼は淡々と言う。
「報告が上がった。地下で不審な動き。近衛の一部が勝手に動いているとな」
視線がエドガーへ向く。
「エドガー・グレイ。貴様、何をしている」
エドガーは剣に手をかけない。
しかし姿勢は微動だにしない。
「王太子殿下。これは王宮内部の問題です。あなたが触れるべきではない」
その言い方に、私は驚いた。
王太子に対して、ここまで率直に言える近衛がいるとは。
王太子は唇を歪め、笑った。
「触れるべきではない? 俺が王太子だ」
「王太子だからです」
エドガーの声は静かで、鋼みたいに硬い。
「あなたの周囲に、漏れている。今夜の刺客は王太子の命令ではない。だが王太子の権威を使って動く者がいる」
王太子の眉が僅かに動いた。
図星だ。
セシルが小さく息を呑み、王太子の方へ一歩出かける。
けれど私は彼女の袖を掴み、止めた。
まだ、信用できない。
王太子が敵ではなくても、彼の周りが危険だ。
「セシル」
王太子がセシルを見て、表情を和らげようとする。
「無事でよかった。君を探していた」
セシルの瞳が揺れた。
彼女は王太子を信じたい。信じていいかもしれない。けれど、今夜それは賭けだ。
私は王太子を見上げ、言った。
「殿下。私を追放したのに、今度は捕まえに来たの?」
王太子の目が細くなる。
「捕まえる? 違う。連れ戻す」
「どこへ」
「王宮へ。お前の処遇は――まだ終わっていない」
その言葉に、血が冷える。
(処遇。器。縛る)
私は一歩下がりかけて、止まった。
逃げたい。でも逃げれば、また同じ。
私はエドガーの手を見た。
さっきから彼の指先は、微かに赤い。熱の痕。私を止めるために触れた証。
私は決めた。
守られる側では終わらない。
選ぶ側になる。
「殿下。ひとつだけ聞かせて」
「何だ」
「三年前の“聖女選定”の夜。あなたは、どこにいましたの」
王太子の顔が一瞬だけ、止まった。
兵の気配が揺れる。セシルの光が、ほんの僅かに強まる。
王太子はゆっくり言った。
「……その話を、どこで聞いた」
答えない。
否定もしない。
私は確信した。
王太子は知っている。
全部ではなくても、“何か”を。
エドガーが私の前に立ち、低く言う。
「殿下。今ここで彼女を連れ戻せば、あなたの周囲にいる者が動く。彼女は今夜だけで二度狙われた。次は命がない」
王太子の表情が固くなる。
「……なら、どうしろと言う」
私は一歩前へ出た。
心臓がうるさい。でも、声は震えない。
「私が条件を出します」
王太子が私を見る。
「あなたが本当に私を連れ戻したいなら、まず私の話を聞いて。私を“器”として扱う者がいる。王宮の地下に装置がある。聖女と私が揃うと起動する」
言った瞬間、空気が凍った。
王太子の背後の兵が目を見開く。セシルが息を呑む。
王太子は、短く息を吐いた。
「……やはり、そこまで辿り着いたか」
やはり。
否定ではない。
私の背筋が冷え、同時に熱が上がる。
「殿下は、知っていたのね」
王太子は視線を逸らさずに言った。
「知っていることもある。知らないこともある。だが――この場で話す内容ではない」
彼は兵に小さく合図し、周囲の見張りを厚くした。
そして、私に言う。
「レティシア。取引しよう。お前とセシルの安全を確保する。その代わり、俺に協力しろ」
協力。
つまり、王太子の手の中に入れということ。
私はエドガーを見た。
彼は黙っている。止めない。私が選ぶのを待っている。
私は、ほんの少しだけ笑った。
「殿下。私はもう、誰かの物語の駒じゃありません」
私はエドガーの指先に触れた。
残る熱を確かめるように。
「協力するかどうかは、私が選びます。条件は――私の口を塞がないこと。私の身柄を勝手に動かさないこと。セシルを政治の道具として使わないこと」
王太子の目が細くなる。
「強気だな」
「悪役令嬢ですもの」
私は言い切った。
仮面ではない。私の意思だ。
王太子はしばらく黙り、やがて頷いた。
「……いい。だが、その条件が守れるかどうかは、俺の周囲を掃除できるかにかかっている」
掃除。
敵は王宮の内部だ。
私は息を吸い、言った。
「なら、まずあなたの周囲の“別口”を炙り出す。私とセシルは、その餌になる」
セシルが小さく叫びそうになった。
私は彼女の手を握って止める。
怖いのは分かる。
でも、怖いままでも進まなければならない。
エドガーが低く言った。
「……その役目は俺が引き受ける」
「いいえ」
私は首を振った。
「あなたは、守る側でいて。私は、選ぶ側になる」
エドガーの灰色の瞳が、静かに揺れた。
そして彼は、ほんの僅かに口元を緩める。
「……分かった。だが背中は離れるな」
私は頷いた。
夜明け前の霧の中で、王宮の影が長く伸びる。
私たちは、敵の城の中へ戻る。
今度は追放されるためじゃない。
壊すために。
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