第1話 断罪のその夜、悪役令嬢は冷徹騎士に攫われた
拍手が起きた。
誰かの正義が勝ったときの、軽い音。
「公爵令嬢レティシア・ヴァルモンド。貴様は幾度となく侯爵令嬢セシルを陥れ、学園の秩序を乱した。よって――婚約を破棄する」
王太子クラウスの声はよく通る。広間の空気が震え、私の指先がわずかに冷えた。
壇上には、物語の中心が揃っていた。
王太子。聖女と呼ばれる転入生セシル。彼女を守るように並ぶ宰相の息子、騎士見習い、名門魔術師の嫡男。――乙女ゲームの攻略対象たち。
(ここまで台詞も立ち位置も、原作通り)
前世で読んだ画面が、現実の光に塗り替えられていく。
私は悪役令嬢。断罪され、追放され、そして――最後は“事故”で死ぬ。
だから泣いてはいけない。取り乱せば観客は満足するだけだ。
私は悪役の仮面を被るしかない。
「弁明はあるか」
王太子が問う。
弁明なら、ある。真実も証拠も、私の手元にある。
けれど――言えない。
真実を口にした瞬間、王宮の奥にいる“誰か”が動く。
そうなればセシルは消され、攻略対象たちは口を塞がれ、私はより確実に殺される。
「……ございませんわ」
私が微笑むと、広間がざわめいた。
泣き叫ぶでもなく、取りすがるでもなく、淡々と肯定する悪役令嬢は珍しいらしい。
セシルが一歩前に出る。白いドレスが灯りを受けて淡く光った。
「レティシア様……どうして、あんなことを。わたし、ずっと仲良くしたかったのに……」
声音には確かに悲しみが混じっている。嘘ではないのだろう。
彼女は彼女で、真実を知らない。
(あなたも駒よ、セシル)
私は胸の奥の棘を飲み込み、わざと唇を弓なりにした。
「仲良く? 面白い冗談ね。あなたみたいな身分の子が、私と?」
残酷な役目。けれど、私がこの役を全うすればするほど、彼女の立場は強固になる。少なくとも今夜、彼女は守られる。
攻略対象たちが私を睨む。
その視線の中に、ひとりだけ温度が違う者がいた。
壁際。黒い近衛の制服に銀の飾り。誰にも混ざらず立つ男。
エドガー・グレイ。
攻略対象ではない。原作でも“背景にいる強い騎士”程度の扱いだった。
(……なのに、どうして見ているの)
彼の視線は私に刺さっているというより、私の“背後”を見ているようだった。
まるで、今夜この場で起きる次の出来事を知っているみたいに。
「レティシア・ヴァルモンド。貴様は王都を離れ、北辺の修道院へ送られる。財産の一部は没収。身柄は明朝、護送隊に引き渡す」
王太子が判決を下すと、拍手が二度目に起きた。
終幕を祝う音。私は深く礼をした。
「承知いたしましたわ。皆さまのご期待通りに、消えて差し上げます」
その瞬間、背筋の寒さを感じた。
“期待通りに”。この言葉を合図に、原作では暗殺が動く。
夜。学園の裏門。護送の前。
追放者が事故で死んでも、誰も困らない。
(……来る)
私はゆっくりと踵を返した。
広間を出る。廊下に出る。灯りが減り、音が遠のく。足音だけが自分のものになる。
角を曲がったとき、冷たい気配が肌を撫でた。
魔術の気配。空気が薄くなる。
――来た。
次の瞬間、背後で“何か”が弾けた。
火花でも風でもない。音のない衝撃。鋭い刃を空間ごと投げつけるような殺意。
避けられない、と判断した刹那。
「動くな」
低い声。
腕を引かれ、私は壁に押し付けられる。黒い影が私の前に立った。
カン、と金属が鳴った。
視界の端で、細い短剣が床に転がる。さっきまで私の喉を狙っていたはずのもの。
「……エドガー、卿?」
名を呼ぶと、男は振り返らずに言った。
「あなたを連れて行く。今夜ここにいたら、死ぬ」
冷静な声。命令に近い。
それなのに、不思議と怖くなかった。
「なぜ……私を? 私は悪役令嬢で、皆の敵で――」
「あなたが悪役かどうかは知らない」
エドガーは淡々と言う。
「だが、今の刺客は“断罪の結果”じゃない。別口だ。王宮の匂いがする」
胸の奥がひやりとした。
やっぱり、この騎士は――気づいている。
私は息を吸い、悪役の仮面のまま笑った。
「私を助ければ、あなたも巻き込まれますわよ」
「構わない」
エドガーが初めてこちらを見た。
灰色の瞳。冷たい石のように静かで、それでも確かに“私だけを”捉えている。
「あなたに生きていてもらわないと困る」
困る?
なぜ。何のために。
問いを口にする前に、彼は私の外套の端を掴み、闇へと引いた。
「来い。説明は後だ」
背後で、もう一度、空気が裂けた。
刺客が増えている。
私は躊躇を捨て、彼の背に身を預けた。
悪役令嬢の幕引きは、まだ終わっていない。
そして――私の運命は、ここから“攻略される側”へと書き換えられていく。
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