死神ですけど、きみの死亡処理ミスっちゃいました
雨が降っていた。
止むでもなく、強くなるでもない、どこか中途半端な雨だ。
信号が青に変わった。
反射的に足を踏み出した、その瞬間だった。
視界の端に、何かが突っ込んでくる。
思考より早く、体が凍りつく。
真横から来たのは――トラック。
……のはずだった。
でも、それは止まっていた。
地面からわずかに浮いたタイヤ。
空中で静止した雨粒。
音のない世界。俺の心臓の音だけが、ドクンと響いた。
すべてが、動かない。その時
「ひゃーっ、ギリギリぃ!死ぬとこだったね!って、もともと死ぬ予定だったんだけどね!」
背後から、少女の声がした。
「はーい、タイムストップ完了っと」
振り返ると、黒いフードのレインコートを着た少女が立っていた。
銀髪、手にはスマホみたいな端末、その画面にはこう表示されていた。
――『死亡記録:常磐トウマ 時刻:14時22分15秒 原因:交通事故(即死)』
「えーっと、常磐トウマさんですね。死神省・転送課のシエルでーす。
……はい、ぶっちゃけます。処理、ミスりました!」
「……は?」
「いや、ほんとごめん。マジでごめん。
本当は昨日の昼に“回収”される予定だったんですけど、ちょっと上司の無茶振りで別件に回されちゃって。えへっ」
にこにこしながら謝ってくる。フードの中から銀色の髪がのぞいてる。
言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、脳がいまいち追いつかない。
「……いや、待て。まず、“回収”ってなんだよ」
我ながらベストな質問ではないと思うが、とりあえず聞いた。
「死亡確認&霊体転送です。あなた、昨日死ぬ予定だったんですよね」
「だったら、なんで今助けた?昨日死ぬんだったら別に今日死んでも一緒じゃね?」
「ほんとは、回収だけすればよかったんですけどね。
でも、直前のあなたの顔が、ちょっとだけ、悔しそうに見えたんです。
……だから、つい止めちゃいました。個人的判断です。あと単純に顔がタイプです!」
「なんだよそれ……」
「とにかく!あなたは、本来昨日死ぬ予定だった。
でもその処理が漏れたから、こうして――余計に、生きてます」
「余計にってなんだよ」
「本来の“命の記録”から逸脱した状態ですからね。
簡単に言うと、あなたの命は、今“余命”です。余計な命って書いて、余命」
“余計な命”で“余命”って……。
「あー、うん、まぁいいや。お前が普通の人間じゃないのはこの状況見りゃ一目瞭然だし。
で?俺、どうなんの?」
「おー、理解が早くて助かりますー!
それがですねぇ……今は“未回収処理”状態なんで、
“監視対象”として、しばらくはあなたのそばにいまーす」
「は?」
「つまり、今日からあなたの生活をぜーんぶ見守ります!
なにか異常があれば、即・再回収。
記録と報告、しっかりやりますんで、よろしくお願いしますね!」
シエルはレインコートの裾を軽く跳ねさせて、ぺこりと頭を下げた。
「……いや、ふざけんな。俺のプライバシーは?」
「すでに“生きてること自体がバグ”なんで、もはや存在自体が観察対象、ですねっ!」
「観察対象ってお前……俺、国の重要文化財かよ……」
「残念ながら、重要も文化も感じませんでした!」
「なんだお前、ムカつくな」
「よく言われます!」
「……ところで、なんでお前、人間の姿してんの?死神ってもっとバケモノみたいなイメージだったんだけど」
「そのほうが、臨終時に怖がられないんで!
ま、たまに“見た目のせいで油断した”とかクレームもありますけど」
「死んだあとにクレーム入れられんのかよ……」
「まぁ、死後アンケートってやつですね。命の星5段階評価!」
「クチコミサイトかよ……」
「はい、まぁ、ということでね!今日からあなたと一緒に生活しまーす!
シエルさんの“密着24時 in 人間界”!今夜は特に、睡眠時の呼吸リズムが楽しみですね!」
「……悪質なストーカーじゃん」
「そうです!死神は、あなたの“最期”をじっくり楽しむストーカーなのです!」
「ホラーなのかコメディなのか、どっちかにしてくれ」
トラックは、まだ止まっていた。
シエルが端末を操作すると、世界がカチリと音を立てて、また動き出す。
ギィィッ――
トラックが、ギリギリのところでブレーキをかけた。
ドライバーが何か叫んでるけど、もう聞こえなかった。
俺の世界は、もっと面倒くさい何かに突入していた。
翌朝。
目を覚ますと、部屋の隅に黒い塊が転がっていた。
「……なにしてんだお前」
「監視でーす。睡眠中の寝返りログ、39回でした!」
「こっわ。もう出てってくれ」
「トウマくんの観察が私の使命なんで!」
「通報すんぞ」
死神が居座って、三日が経った。
「だから、そんな近くにいなくていいって!」
「いえ、監視対象は常に視界に入れておかないと!」
「ちょっとは目、そらせよ!」
「その瞬間に死なれたら困るでしょ!」
ソファに寝転んでる俺の足元で、死神が正座してる。
もう慣れてきた自分がいちばん怖い。
父親は出張中。数日帰らない。
この奇妙な共同生活は、まだ誰にも知られてない。
シエルはやたら喋るし、着替えにまで付き合おうとするし(拒否)、寝言まで録音しようとするし(削除済)。
でも、時折――ふとした瞬間に、彼女の顔が止まる。
「……きみは、あの日、本当は死ぬ予定だったんですよね」
低い声で、そう呟く時の彼女は“本当に死神”に見える。
「トウマくん、死ぬ直前って、何を考えてましたか?」
「……は?」
「なんでもいいですよ。くだらないことでも。最後に、頭に浮かんだことって、なんでした?」
少し黙ってから、俺は答えた。
「……信号、青だったのにな、って思った」
それだけだ。でも、ずっと頭に残ってる。
朝飯も、登校も、ぜんぶがだるかった。
学校は、行っても行かなくても変わらない。
だけど、家にいるのも面倒だと思った俺は、とりあえず学校に行くことにした。
その道中。
「信号、青になりましたよー。今度は渡っていいです」
「うるせぇ」
「トラックは来ません!来たら、私が止めますし!」
「へー」
「トウマくんの前に私が飛び出しますからね!」
「いや、そこは昨日みたいに、時を止めろよ。
死神が無駄に命張るな」
「推しには、全力で貢ぎますから」
「“生”を推す死神ってなんだよ」
学校に着いた。
いつもと変わらない、教室のざわめき。
でも俺の耳には、どこか“遠くの音”みたいに聞こえた。
「トウマ、なんか顔色悪くね?」
友人のユウキが声をかけてくる。
「いや、寝不足」
「それはお前、いつもだろ」
「まぁな」
友人と話してるはずなのに、心ここにあらず。
まるで、自分だけ現実とズレて生きてるような感覚がある。
その感覚の正体を、俺は知っている。
「そりゃそうだよな。俺、死ぬ予定だったんだし」
放課後。
俺は人気のない屋上で、シエルに言った。
「なぁ、ほんとに“死に損なった”ってだけなのか?」
「え?」
「いや、なんつーか……何も変わらないってのが、逆に怖いんだよ」
「……わかります」
シエルは風に揺れる銀髪を押さえながら、ぽつりと答えた。
「“死ぬはずだった”って事実だけが、自分を置き去りにしていくんですよね。
……なんか、そういう人、何人も見てきました」
「……お前、ホントに死神か?」
「たまに“人生相談員か?”って言われます」
「俺も今、ちょっと思った」
「ふふっ」
ほんの一瞬、シエルが“人間らしく”見えた。
その帰り道、
教室でひとり、こっちを見ていた子がいた。
アオイ。クラスメイトで、顔と名前くらいは知ってる。
でも、これまで話したことはなかった。
でも、その日、なぜか彼女は近づいてきて言った。
「ねぇ、常磐くんって、なんかさ……」
「なんか、なに?」
「なんか……雰囲気、変わったよね?」
「……そりゃ、死にかけたからな」
「え?」
「いや、なんでもない」
俺は笑ってごまかした。
「……ふーん。なんかよくわかんないけど、おもしろそう。君に何があったの?知りたいな」
そう言ったアオイの顔は、笑っているような、戸惑っているような、少し悲しそうな、何ともいえない表情だった。
「説明すんの難しいんだけど。
まぁ死んで、いや死にかけて。変なやつにストーカーされて、ってうん。そんな感じ?」
「何それ、意味不明っ」
アオイは無邪気に笑った。
「いやほんと意味わかんないと思うけど、そんな感じなんだよ。
で、今俺は“余命”を生きてる」
「余命……。
そっか、なんかごめんね、いきなり話しかけて。楽しかった、ありがとう」
そう言って、アオイは教室を出て行った。
その夜、俺はシエルに聞いた。
「余命ってさ、いつまで持つんだよ」
「ケースバイケースです。数日、数ヶ月、運が良ければ数年」
「……意味を見つけなきゃ、やっぱ回収?」
「うーん、意味、というより、“作用”ですね」
「作用?」
「他者に何かを与えたり、生んだり、変えたり――
“生きてたことで世界が少し動いた”って記録があれば、
命は“正規のもの”として認められます」
「つまり、誰かの“記憶”に残ればいいってことか」
「ええ。記録より、記憶のほうが、ずっと強いですから」
シエルはそう言って、
初めて、ほんの少しだけ目を伏せた。
その日、いつもより早く目が覚めた。
カーテンの隙間から、朝焼けの光が差し込んでいる。
時計を見て、思い出す。
今日は、“死ぬはずだった日”から、ちょうど七日目だ。
シエルが言っていた。
「余命はケースによる」
数日、数週間、あるいは数年。
じゃあ、俺のは――?
そんなことを考えていたら、
廊下の向こうに、シエルが立ち尽くしていた。
端末の画面が、真っ赤に点滅している。
「……トウマくん」
「……それ、なに?」
「再通知です」
言葉を聞くまでもなかった。
“再回収予定:常磐トウマ 13日後、18時00分”
彼女は画面を隠すように、そっと胸に抱えた。
「まじかよ」
「……止められない。私にも」
あれだけ軽口ばかりだったシエルが、今は黙っていた。
その沈黙が、いちばん重かった。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「“誰かを救った記録”があれば、回収は取り消されるかもしれません」
「そんな都合よく誰か救えるわけ……」
「いいえ。可能性はあります」
シエルが、俺の手をとった。
そして、端末の映像ログを再生する。
画面に映ったのは――数日前。
帰り道、俺がアオイに話しかけられた日の放課後だった。
「トウマくんが“そりゃ死にかけたからな”って言った日、覚えてますか?」
映像が切り替わる。
校舎の裏、誰もいないベンチ。
そこに、アオイがうずくまっていた。
手には、小さなカッター。
震える声で、彼女が言った。
『……もう少しだけ、生きてみようかな……』
「何?この映像。これ、アオイ、だよな?これがなんだって言うんだ?
てか、アオイ、こいつ何しようとしてたんだ?」
状況がよく飲み込めない俺にシエルがニヤリとし、呟く。
「もしかしたら、もしかするかもしれませんよ?」
次の日、学校。
アオイが話しかけてきた。
「ねぇトウマくん。この前さ、
こないだ、“死にかけたからな”って言ってたでしょ?」
「……ん?うん」
「あのとき、あれ聞いてさ、
なんか……わかんないけど、
生きててもいいかなって思ったんだよね」
いつの間にか日が傾いていて、アオイの髪が淡く光っていた。
「……それって?」
「ごめん、いきなり過ぎて意味わかんないよね。ほんと、変なこと言ってるかもだけど……。
けど、言っておかなくちゃって、思って」
アオイは、笑った。
それは、少しだけ泣きそうな笑顔だった。
「……そっか。よくわかんないけど……ありがとな」
俺はそれだけ言った。
その夜。
「お前、見てたんだろ?」
「はい。バッチリ。草葉の陰から」
「草葉の陰て」
「あくまで監視ですので!」
「ストーカーめ」
「“トウマくんの生”は、推しがいがありますから」
「……なんだよ、その推し理論」
「誰にもバレないようにそっと見守って、
本人が気づかない小さな一歩で涙する――
それが推し活です」
「いや、熱心なファンか」
「あなたは、私にとっての“余命アイドル”です」
「どんな称号だよ」
「でも、正直、本当にあの一言が作用になるとは思ってませんでした」
「……俺も、まぁ、正直テキトーに思ったこと言っただけだったからな」
「命を救う言葉って、いつもそういうもんですよ。
狙ってない言葉のほうが、刺さるんです。
たぶん、生きるって、そういう“バグ”の積み重ねなんでしょうね」
シエルがふいに、そんなことを言った。
「……お前、やっぱ死神じゃねぇだろ」
「死神ですよ?」
「いや、人間より人間っぽいんだよ。
しかもさっき、“余命アイドル”って言ったよな。
どの死神がそんな単語使うんだよ」
「令和の死神はSNSに強いんです」
「時代に合わせんな」
「あとで“#今日の推し生きてた”でトウマくんのログ上げときますね」
「やめろ」
次の日。
教室に入ると、アオイが席でノートをめくっていた。何もなかったかのように。
その姿を見て、
“俺の余命が、誰かの生に変わってた”ってことが、
ようやく、少しだけ――実感になった。
人は、誰かの中に“作用”として残る。
それが、命ってやつなんだろうか。
放課後、シエルが言った。
「トウマくんの今回の“作用記録”、死神省に提出しました」
「なんか、良いことあんのか、それ」
「回収対象から、“再評価対象”にランクアップ!……の可能性があります!」
「へぇ?」
「これで死亡予定、いったん保留されるはずです。
さらに、今後の生き様次第では、“正規生”として認定される可能性もあります」
「……それ、何パーセントくらい?」
「うーん……2.3%?」
「低っ」
「でも私、トウマくんには伸びしろしか感じないので!」
「その体育会系の褒め方やめろ」
そして、その夜。
シエルの端末が、いつもと違う“音”を立てた。
ピコン、と、ひとつだけ。
赤く点滅する文字が、画面に浮かぶ。
―“作用記録確認中”
その表示を見て、
シエルの笑顔が、ほんのわずかに曇った。
朝。
起きてすぐ、シエルが深刻な顔で言った。
「……出ました、
今回の作用、記録されました。回収予定、一旦延期です」
「……けど、まだ終わりじゃないんだろ?」
「ええ。
死神省では、“記録保存対象”という判定制度があります。
本来の死亡予定者であっても、
“生きることで他者に作用し続ける見込みがある”と判断されれば――
命の延命が、正式に許可されます」
「それって……」
「死亡記録を、抹消できます」
「……それって、お前、できるの?」
「私の一存では不可能です。
でも、私が提出する“推奨報告書”が、判断の参考になります」
「……じゃあ、頼む。俺の命――推してくれ」
「もちろんです!」
シエルは、これまででいちばん、まっすぐな笑顔を見せた。
「私は“推しの生”に全力を尽くす死神ですから!」
「推し活、やりすぎだろお前……」
「うちの推しが、正規生にならないわけないじゃないですか!」
「なんだその自信……」
「今日、この後、正式審査が入ります。
あなたも同行義務があるので、死神省・臨時審議室までご一緒にお願いします」
「なんかもう、面接か何かに向かう受験生の気分なんだけど……」
「大丈夫です。面接官、推しに弱いタイプです」
「それ、審査機関としてどうなんだ……」
部屋の空間が、スッと暗くなる。
シエルが手をかざすと、空間の向こうに“扉”が浮かび上がる。
「じゃあ――行きましょう。
トウマくんの命を、“余命”じゃなく、“正規生”に変えるために」
「おう。
……なんか、行ってきます、って言いたくなるな」
「じゃあ、言ってください」
「行ってきます」
「いってらっしゃい、推し」
死神省・臨時審議室。
そこは、“生と死の境界”に存在する空間だった。
時間は止まり、音も、重力も、現実感も薄れている。
唯一、確かに存在するのは――一枚のテーブルと、
その向かいに座る、“審査官”と呼ばれる存在だけ。
「対象者:常磐トウマ。死亡予定:過去処理漏れにつき再回収保留中。
本件に関して、担当死神による“記録保存推薦”が提出されています」
審査官の声は、人間のものではなかった。
だが、不思議と、冷たくも温かくもない――“無”をまとった響きだった。
「推薦者、発言を」
「はいっ!」
シエルが勢いよく立ち上がった。
「死神省・転送課、シエルです!
私はこの数日間、常磐トウマの監視を通じて――いえ、観察ではなく、“応援”してきました!」
「応援、とは」
「この命は、“余った”ものではありません。
作用がありました。確かに誰かを救いました。
でも、それだけじゃない。
私は見たんです。“これから生きてくトウマくん”の中に、まだまだ多くの作用が眠ってるって!」
「主観による評価は、判断材料になりません」
「わかってます。でも、それでも言いたいんです!
私はこの命を、推します!
余命アイドル・常磐トウマ、正規生として、私は全力で推薦します!」
一瞬の静寂。
審査官が、トウマのほうを見た。
「本人にも確認する。
貴殿は、自身の命を“生きる”と、明確に選択するか?」
俺は答えた。
「……する。
正直、今まで生きることについて真剣に考えたことなんてなかった。
いっそ、どうせいつか死ぬんなら、今死んだほうが楽なのかもって思ったこともある。
でも、生きてたら、誰かがちょっと笑ったり、
誰かがちょっとだけ、今日を踏ん張れたりする。
だったら俺は、その“ちょっと”のために、
生きてたい。」
「……記録完了。審議結果――」
審査官が静かに手を掲げた。
「“記録保存対象”として承認。
常磐トウマの死亡記録、正式に抹消。
本件は、閉廷とする」
その瞬間、空間が弾けた。
気づいたときには、
俺は自分の部屋のベッドの上にいた。
シエルが、すぐ隣で、ぽけーっと座っている。
「……あれ、戻ってきた?」
「戻りましたー。おかえりなさい、推し!」
「……推し活、報われたな」
「はいっ、“正規推し”になりました!」
「よくわからんな」
「でも、ほんとに……よかったです」
そう言ったシエルは、笑ってた。
ほんの少し、泣きそうに。
「……お前、泣いてんの?」
「泣いてません。推しが尊すぎて、目が溶けてるだけです。」
「もっとヤバいやつじゃねーか」
数日後。
教室の隅、アオイが俺に話しかけてきた。
「ねぇ。……なんか、雰囲気変わったね」
「またそれかよ」
俺は少しだけ笑った。
「ああ。俺、正式に“生きること”になったんだよ」
「……ふーん……じゃあ、また誰かに何か残しちゃうかもね?」
「……なんだよ、その言い方。
そんなの、わかんねーよ、とりあえず
ただ、生きてくだけだ」
「ふふっ、良いね。
私も“ただ生きてみよう”っと」
彼女は、そう言って――
まっすぐ、歩き出した。
夜。
シエルが、端末のログを閉じながら言った。
「本当は、私――この任務が終わったら、次の担当に行く予定だったんですけど」
「おつかれさん」
「でも、ちょっとだけ、データ不整合って扱いにして、ここに残ります」
「おい、公務員の不正処理かよ」
「愛ゆえに、です」
「愛ゆえに」
「だって、あなたの命、私がいちばん近くで見てきたんですから」
シエルは、ふわっと笑って、
俺の隣に、また当たり前みたいに座った。
たぶんこの先も、
この“死神”と一緒に、
俺は、俺の命を――ちゃんと、生きていく。
命は、意味があるから残るんじゃない。
残したいと思われる命が、意味になるんだ。