閑話 第一王子の夢
「ちょっと聞いたかい? 魔物がまた攻めてきたんだって」
誰かの声が聞こえる。
ささやく様なその声は一人のようにも二人のようにも、もっと多くの者たちがささやいているようにも聞こえる。
真っ暗な道を、俺はひたすらに歩いていた。
「マジかよ。少し前に西の砦付近の村が壊滅したってのに、今度はどこだ?」
「それが今回は村どころか北の第一砦まで入ってこられたんだってよ」
暗闇からざわめきが聞こえる。
ざわざわと徐々に大きくなっていくそれは俺――ガイアの体に纏わりつく。
「おいおい、大丈夫かよ。だんだん中央に近づいてきてるじゃねーか。それに最近じゃ魔物由来の変な病気も流行っているっていうしな……」
うるさい。皆五月蠅い。
黙れ黙れ黙れ!!
俺はまとわりついた闇を振り払うように駆け出す。
「怖いねぇ。こりゃあたしらの住んでいるここも危なくなってきたんじゃないかい? ねえあんた。どこか遠くに逃げるのはどうだい?」
「いやそれもあぶねーぞ。外は魔物だらけだし、それに変な噂がある」
「変な噂?」
「ああ。先週向かいの家族が夜逃げしていっただろう? あの一家が惨殺されたらしい」
「? 魔物にかい?」
「いいや、目撃者によれば砦の兵にやられたって話だ」
必死に走っているのにざわめきは一向に減る様子を見せない。
それどころか今度は俺たち王族の噂にまで発展していった。
「なんだってそんなことになってるんだい!?」
「さあ、それは分からねぇ。だが王族は国民が逃げることを許さねえって話だ」
うるさい! 俺達がそんなことをするわけがないだろう!
不敬罪でさばいてやろうか。
俺はそんなことを思いつつ走り続ける。
そもそも平民ごときにそんな労力を割く余裕なんてありはしないのだ。
ギリリと歯を食いしばる。
口の中に血の味がにじむ。
「世も末だねえ。危険な思いをしている民を放っておいて自分たちは安全な城でぬくぬくとしてるなんて、どうかしてるよ」
「おいやめろ。誰かに聞かれたらどうするんだ」
一体いつからこんなことになってしまったのだろうか。
今まで民が王族を賛美しないことなどなかったのに。
今は貶され罵倒され非難される。
それらはいくら耳をふさいでも聞こえてきた。
セイア王家の信用ががた落ちしているのだ。
「ああ、すまないねぇ。でも本当に魔物はどうにかしてほしいよ」
「うちの聖女様が何とかするだろう。まだ入れ替わってからごたついてるんじゃねーの?」
……聖女?
その呟きに俺はぴたりと動きを止めた。
そうだ、聖女。
我が国には聖女がいるじゃないか。
こういう時こそ聖女の力を存分に振るうべきだ。
「いや、聞いたところによると昼の聖女なんて名ばかりの奴だって話だよ」
伸ばしかけた腕が止まる。
そうだ。今や昼の聖女は無能と名高い。
謹慎中は仕方がないとしても、解けた後も魔物の討伐は愚か民の治療にも赴かない。
何かを言えば逆上するプライドだけ高い女。
俺は既にそんなクレアに嫌気がさしていた。
「……ああ、まあな。こんなことになるんだったら夜の聖女がいた時の方がよかったな」
そうだ。夜の聖女。
この国がこうなったのは全部あの女がいなくなってからだ。
ギリリと手に力がこもる。
そうだ。全部あの女のせいだ。
そうに違いない。
「どうだろうね。夜の聖女は何もしてないって話だったし」
「いやでもこの国が変わったのって夜の聖女がいなくなってからじゃないか?」
「そう言われると……。王族もさっさと連れ戻せばいいのにね」
「ああそうだな。そうしてくれるといいんだが」
連れ戻す……連れ戻すか。
そうだな。あんな女、俺からの命令があればすぐに戻ってくるに違いない。
だって今までも俺の命令にそむいたことなどないのだから。
暗闇の中で俺は口角を上げる。
なんだ、簡単なことだったじゃないか。
闇が晴れていく。
まぶしい光が見えた気がした。
「……ん」
目を開くと下からかさりという音が鳴った。
体を起こせば下敷きになっていた書類がぱらぱらと舞い落ちる。
「……なんだ、寝ていたのか」
どうやら仕事の途中で寝てしまっていたようだ。
書きかけの書類が机の上どころか床にまで広がっている。
やたらとぼうっとする頭をガシガシと掻く。
一体、なんの夢を見ていたのだったか。
「……クソ」
やはり何も思い出せない。
何日もまともに寝ていないせいで体も怠く、俺はそのまま椅子にもたれ掛かった。
そもそも今俺がやっている書類仕事など下の者に任せればよいはずなのに、他の奴らは「王子の仕事だ」と言ってやろうとしない。
だから全て俺の元に来る。
前は全て夜の聖女にやらせていた仕事なのだから、誰にでもできるだろうに。
職務怠慢でしょっ引いてやろうか。
――コンコン
そんなことを考えていると部屋のドアが控えめにノックされる。
「し、失礼いたします第一王子殿下」
キョドキョドとした様子で若い兵が入ってきた。
どうにもたよりのないなよなよした新兵だった。
「どうした」
「は、はい。それが……北の……」
新兵は言いよどむ。
その様子が俺をイラつかせる。
よくもこんな奴が王城の兵として登用されたものだ。
兵の質が落ちてきている。
それは明白だった。
「なんだというんだ!」
俺は机に拳を打ち付けた。
バンという音に驚いた様子の新兵は視線を彷徨わせて口を開いた。
「その……北の第一砦が魔物に攻め落とされました」
「は?」
新兵から聞かされた言葉が理解できなかった。
何を言っているんだこいつは。
北の砦と言えば国で一番強固と呼べるほどの重要な砦だ。
国がおきた当時から一度も落とされたことのない砦だ。
その砦が落とされた? しかも魔物ごときに?
「なんの冗談だ?」
鼻で笑う。
セイア王国はそもそも魔物が少ない地域であるはず。
俺が生まれる前ならいざ知らず、ここ数十年は魔物による被害など出た試しがない。
「い、いえ! 冗談ではありません! 怪我人多数で死者も出ています。夜のうちに攻め込まれ、朝になった時には既に壊滅的被害を……」
鈍器で殴られたような気分だった。
頭が痛い。
これは本当にセイア王国の話なのか?
「……クレアを向かわせろ!!」
新兵は命令を受けても動こうとしなかった。
むしろ何かを言いたげにこちらを見つめている。
「なんだ!! はっきりと言わないか!」
「っ!! そ、その……聖女様には連絡を入れてあるのですが……自分がそんな場所に行く必要はないだろうとのことで……神殿に来いと言ってます」
「なんだと!?」
射殺さんばかりににらみつければ新兵はそそくさと逃げていった。
「くそっ!! 進んで国を守るのが聖女の役割だろうに!! どうなっているんだあいつは!!」
力任せに机を叩く。
なんであんな奴と婚約など結んでしまったか。
これでは俺の評判まで下がってしまうではないか。
頭を掻きむしり息を荒げる。
「くそくそくそっ!!」
何かがおかしい。
何かがくるってしまった。
一体いつからだ?
「……そうだ。あいつがいなくなってから……」
夜の聖女。
あいつが居なくなってからすべてが狂いだした。
ならば、もう一度連れ戻せばよいのではないか?
「そうだ。そうしよう。……グレノスの大公もイレーネなんかには飽きているだろうし、それを引き取ってやる。俺、なんて優しいんだ」
そうだ、簡単なことだ。
なくなったのなら元に戻せばよい。
そうすればきっとすべてが元通りになる。
「――兄さん」
「っ!?」
俺のすぐ後ろから声がした。
「俺になんの用だ。――セイブリア」
振り向けば予想通り、黒に身を包んだ大きな男が1人。
第二王子のセイブリアだ。
セイブリアはなんの感情も籠っていない目で俺を見る。
「父さんから連絡。今度の婚約記念パーティーに夜の聖女が来ると連絡があったって」
「婚約記念パーティー……。ああ、もうそんな時期か」
俺とクレアが婚約をしてから4ヶ月。
婚約したてのころはお互いに謹慎を食らっていてやれなかったパーティーを、謹慎が解けたのでやることになったのだ。
「……って、夜の聖女が来るのか?」
「うん」
相も変わらない無表情のまま返事をする弟に気味の悪さを感じつつ、俺はにやりと笑った。
「そうか。向こうからやってきてくれるのなら好都合。何なら大公が返品しに来るのかもな。ははっ」
「それともう一つ。夜の聖女を取り戻せたら王太子にしてやるって」
「なんだと!? それは本当か!?」
セイブリアは無表情で頷く。
こいつは冗談や嘘は言わない。
だから本当にそう言われたのだろう。
「そうか……ふふふ。これで全てがうまくいく……はは。ははははは!!」
俺は笑いが止まらなかった。
念願の王太子が目の前にぶら下げられたのだ。
思わぬ収穫だった。
あのイレーネを取り戻すだけで念願が叶うのだから。
「こうしてはいられない! おい! 誰かいるか? 盛大なパーティーの準備を急げ!!」
忙しく走り回る兵を捕まえ指揮を取る。
振り返ると、いつの間にか部屋からセイブリアの姿は消えていた。
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