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3 金色のナマズ

 いくら、昼間のように明るい満月の夜でも、やぶの中は足元も見えないくらい暗い。


 信八(しんぱち)は手探り足探りで、先に立ってやぶを揺らす、鳶丸(とびまる)のものらしい小刻みでせわしない音を追いかけた。最初に信八と鳶丸をおどろかせた大きな音の主は、その後はがさりともしなかった。まるで、煙のようにその場から姿を消してしまったかのようだった。


「鳶丸!」


 どうにか戻ってこないかと、信八はやぶを透かし見るようにしながら、もう一度大声で呼んだ。そうしながら、足で探って次の一歩を踏み出した。

 しかし、その場所が悪かった。


「うわっ!」


 信八の足は、木の根か何かに引っかかったらしい。ぐっと押し戻されるような固い感触に、信八の疲れ切った足はこらえきれず、横ざまに倒れこんでしまった。

 さらに間の悪いことに、そこは谷筋に向かって切れ込んだ斜面になっていた。勢いがついてしまった信八の身体はごろりごろりと転げ落ちていく。


 気づくと、信八はやぶを抜けて、小さな池のほとりにしりもちをついていた。


 黒い小さなかたまりが飛びつくようにして信八のひざによじ登ってきた。鳶丸だ。疲れ知らずの黒犬は、軽く息を切らしながら、信八のほおをべろべろとなめた。


 なんだか楽しそうなことをしてますね、信八ちゃん! 鳶丸も一緒にいたしましょう!


 能天気(のうてんき)な鳶丸の声が、頭の中に響いてくるようだ。


「鳶丸、降りろよ。遊んでるんじゃないんだぞ」


 その時だった。


 ――ほう。ほう。


 ため息のような小さな声が、かすかに聞こえたのだ。

 獣や鳥の声とは全く違う不思議な響きに、信八は辺りを見回した。


 ――ほう。くるしや。ほう。


 声は、先ほどよりも、もっとはっきり聞こえた。


「誰かいるの」


 ――ここじゃ。ここじゃ。たすけておくれ。


 頭の中に、直に響いてくるような声だった。その異様な気配に、信八は、お化けだろうかと考えた。でも、なぜか怖くはなかった。

 その声が、心の底から困っているように聞こえたからかもしれない。


「どこ。どうしたの?」


 鳶丸も、耳をぴんとたてて辺りを見回した。それから、ぱっとある方向を見つめると、尻尾を上げて走り出した。


 池のほとりに、泥が積み上げられて小山になり、すっかり乾いたらしいところがある。鳶丸はその山にむかって小さく吠えた。


 信八は改めて池を見渡した。


 池の縁には、枯れかけた(あし)の隙間に、竹を編んだ細長いかごに大きな石をいくつも詰めた蛇篭(じゃかご)が並べられているのが見えた。岸辺を固めるためのものだ。ため池普請(ふしん)がされているのだ。蛇篭の竹はまだぴんと(かど)が立って新しかった。古く見積もっても、せいぜい一年程度だろうか。


 どうしてかわからないけれど、最近手入れされたばかりの、村のため池の一つにたどり着いてしまったらしい。


 ――はよう、はよう。たすけておくれ。(いと)うてたまらぬ。


 その声は、確かに、鳶丸が前足でひっかいたり、鼻面を突っ込もうとしたりしている泥の山から聞こえてくるのだった。積み上げられた位置からして、春先の池さらいで池の底を掃除したときに()い出した泥のようだった。


 信八も泥の山に近寄った。鳶丸の掘っているあたりの泥をそっと手で押し分けたとき、泥の中から、ぴかぴかと光って出てきたものがあった。


 ――はあ、幾月(いくつき)ぶりの、外の風じゃ。ああ、生きた心地もせなんだぞ。


「な、な、ナマズ?! ナマズがしゃべったー!」


 信八は腰を抜かしてしまった。ぴかぴかと光っていたのは、片手の手のひらにすっぽり収まってしまいそうなほど小さな、金色のナマズだったのだ。


 ――お前、村の小童(こわっぱ)か。お前の村の衆はそこつじゃな。春先の池さらいで、わしまですくうて、こうして積み上げてしまいよった。それも、金気(かなけ)(くわ)を使いよったから、ほれ、このとおりじゃ。


 ナマズは身体をひねると、信八に左の顔を向けた。その目のあたりにはひどく傷がついて、使い物にならなくなってしまったように見えた。そのむごい傷口に、信八は思わず、顔をしかめた。


「痛そう」

 ――(いと)うてたまらぬと、言っておる。(わっぱ)、手当てをせぬか。


 そう言われても、信八だって、ナマズの世話をしたことはない。ましてや、ナマズの顔のケガの手当なんて、何をしたらいいのかさっぱりわからない。

 信八が途方(とほう)に暮れていると、ナマズはぴちぴちとはねて、信八の革袋を指し示した。


 ――その中に、何ぞないのか。まずは、塩湯で身体と傷口を清めねばのう。

「塩ならあるよ。塩湯って、どうするの。池の水を汲んできて塩を溶かせばいいの?」

 ――久しぶりの行水(ぎょうずい)じゃ、水ではのうて、気持ちのいい湯に入りたいのう。


 このナマズ、ぜいたくだ。


 信八はむっとした。信八だって生まれてこのかた、ためた湯に浸かるなんてぜいたくは、覚えてもいない産湯をのぞけば、したことがない。偉い御大名(だいみょう)様や奥方様、若君様たちや、大きな街に住んでいる金持ちのお(たな)の人々はそんな風にすると聞いたことはあるけれど、夢物語みたいなものだ。


 ――おお、痛いのう。村の衆のそこつのせいでケガをして、辛いのう。


 ナマズは、信八の苛立ちを感じ取ったらしく、わざとらしく泣き伏せて見せた。

 そこをつかれると、信八も弱い。なんといっても、このナマズは、大事な目をやられてしまったのだ。


「今しばらく、待っててもらえるんなら」


 信八は言って、できることを始めた。

 できるだけ乾いた地面を探し、やぶの中から枯れ枝と枯れ葉を集めてくると、清めの火打石を使って焚火を起こした。このところ雨がちっとも降らなかったせいか、思ったよりもずいぶんたやすく、焚火はしっかりと燃え盛った。


 空になっていた飲み水用の竹筒に、池の水を汲み入れた。少しでもにごりが取れるように、砂を敷いたフキの葉を竹筒の上に置いて、水をこしながら入れたので、少々(いとま)がかかった。

 その間に、焚火の横の地面を少し掘っておく。水が十分にたまったところで、竹筒が軽く火にあぶられるよう、掘った穴にぐっと差し込んでしっかりと下を埋め、倒れないように石で押さえた。


 信八のすることをじっと見ていた鳶丸も、やぶの中から、枯れ枝をくわえて次々に拾ってきてくれた。信八は慎重に、枯れ枝を火にくべ足して、焚火をつづけた。


 ――熱すぎてもいかんぞ。ナマズの塩ゆでになってしまう。

「わかってるよ。ちゃんとするから、信じてよ」


 ぐちぐちとしたナマズの文句に言い返しながら、信八は、温まった竹筒の中の水を、お神酒を入れていた椀に注いだ。指でさわって、熱くないのを確かめてから、塩を一つまみ溶かし入れる。


「お風呂、できたよ」


 信八が言うや否や、ナマズは大喜びで、椀の中に飛び込んだ。


 ――はあ、ぬくぬく、いい湯加減じゃわい。小童(こわっぱ)、どうじゃ。背中を流さんか。

「もう。そのくらい、じぶんでしなよ」


 呆れて信八が言うと、ナマズはまた、よよと泣き崩れる真似をした。


 ――最近の若いもんは、これだからいかん。ケガをした年寄りをいたわるちゅうことを知らん。


 ケガのことを言われては、信八も逆らえない。


「泥を流せばいいの?」


 信八はしぶしぶ、椀に手をつっこんで、ナマズの背中やひれをそっと指の腹で撫でた。


 とぷんとぷんとお湯がゆれる。せっかくのナマズの風呂の湯が減らないように、静かに手を動かしているうちに、こわばってへばりついていた泥が、少しずつゆるんで、流れ落ちていった。


 ――おお、うまいもんじゃのう。乱暴にするでないぞ。これ以上ケガをしてはたまらんからなあ。




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― 新着の感想 ―
[一言] こ、このナマズ……喋れたり光ったりするところからして神様の類だとは思うけど、それでもケガとかを引き合いに出すのはちょっとムカッとしますねぇ(;'∀')
[良い点] 鳶丸がすごく可愛かったです! 生贄に出したくない信八の気持ちにものすごく共感できました! あまり役に立たないワンちゃんとして最初描かれていましたが、どうしてどうして。薪を拾ったり、ナマズに…
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