第116話 王選前夜
一方そのころ。
シエリの離宮ダンジョンの一室で、チェルム・ダークレアがある人物と会っていた。
正確には、その幻像とであるが。
「ご機嫌麗しゅう」
いつもと変わらぬ笑みをたたえながらチェルムは優雅に一礼した。
「チェルム・ダークレア。お勤めご苦労様。あいも変わらず煌めくような黒の輝き、見事です」
声を発した幻像は、長身の竜人族女性だった。
黒髪を足元まで伸ばし、やや赤みを帯びた漆黒の角と尻尾も非常に太く長い。
顔立ちは途方もなく美しかったが、目元を隠す丸眼鏡が凛々しさの方をよりを強調していた。
最上質の侍従服に身を包んだ立ち姿は、もはや王侯貴族の貫禄だ。
メイド長ラスキー・シェラール。
奉仕竜族の一族を束ねる長であり、お屋敷ダンジョンの最奥ボスであり、ウィスリー・シルバースを追放した張本人。
そして、王選の管理者。
すなわちエルメシア王国の真の支配者である。
「ありがとうございます。メイド長の角と尻尾の色艶、常より映えております」
竜侍従同士の社交辞令を済ませたふたりは早速本題に入った。
「チェルム。例の首尾はどうなっていますか?」
「はい、メイド長。お喜びください。ちょうど本日、姫様からアーカンソー様が王選に参加するとの報告がありました」
「そうですか!」
メイド長の尻尾が大きく揺れた。
ズレた丸眼鏡を直しながら、コホンと咳払いをする。
「……失礼。続けなさい」
「はい。アーカンソー様は王選について調査を開始しています。おそらく近日中にはすべてをつまびらかにされることかと思いますが」
「かまいません。なんならもう、あの御方が王選システムを破壊できるだけの力をお示しになるなら、私の中にある一抹の不安も晴れましょう。すべてはあの御方の心のままに」
チェルムはメイド長との付き合いが長い。
おおよそ数百年。
メイド長の影として、さまざまな人物の“お掃除”を実行してきた。
それでもメイド長がここまで特定の『主人』に心酔する様子を見せたのは初めてだった。
チェルムは考える。
本当にアーカンソー様はメイド長のいうところの『真主様』なのだろうか?
奉仕竜族にとって『真主様』は信仰の対象であり、人類種における神に相当する。
しかしチェルムは『真主様』は竜侍従の心の奥にひとりひとり存在するものであり、特定の個人として実在するとは考えもしていなかった。
とはいえ自分を負かしたアーカンソーあれば『真主様』であっても不思議ではないという想いもある。
しかし、チェルムにはメイド長の真意より先に確認しないといけないことがあった。
「……それはそうと。これでもう姫様を暗殺する必要はなくなったと存じますが?」
チェルムにとって、この点こそがもっとも肝心だった。
アーカンソーが王選への参加を渋った場合、自らが育てあげた少女を他の候補者の仕業に見せかけ暗殺するよう命じられていたからだ。
いくら一族を束ねるメイド長からの指令とはいえ、チェルムには葛藤があった。
シエリが表向きの主人に過ぎず、なんなら忠誠なんてまったく誓っていなかったとしても。
「もちろんです。メールシア・エルメリク・レ・サージョの暗殺は、あの御方が王選に参加してくださなかったときの保健であり最終手段。どのような結末になろうと誹りと怒りは免れないでしょうからね。やらずに済むなら、それに越したことはありません」
メイド長の言葉に心の底からほっとする自分に気付いて、チェルムは驚いた。
たかだか十六年の歳月を共にした程度でこれほどまで標的に感情移入してしまうとは、過去の自分からは想像もつかない。
しかしそんな内心はおくびにも出さず、メイド長にさらなる疑問をぶつける。
「チェルムにはわかりません。どうしてそこまでしてアーカンソー様を王選に参加させなければならないのでしょう? 別に王選を経ずとも『真主様』であらせられるかどうかは確かめられると存じますが」
チェルム・ダークレアはメイド長の返答に期待していなかった。
真主に関する正しい情報は奉仕竜族にとって最重要機密であるからだ。
しかし、意外にもチェルムの予想は裏切られた。
メイド長が熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。
「試すだけでは駄目なのです。今度こそ目覚めさせなくては」
今度こそ?
目覚めさせる?
「……喋り過ぎましたね。忘れなさい」
「はい」
無論、忘れはしない。
頭の中で考える分には自由だとチェルムは笑みをたたえる。
「では、ご奉仕計画を次の段階に移しましょう。チェルム……エルメシア国王に連絡して、王選の準備に入らせなさい」
「もうですか? 最年少候補者の中にはまだ赤子もおりますが……」
「ああ、いいのです。そんなことはどうでも。あの御方が参戦される以上、最後の勝者は決まっているのですからね」
アーカンソーが与するメールシア王女の勝利を確信しているのだろうか。
しかしシエリは暗殺予定だったはずだから、チェルムは何かが違う気がした。
「ああ……もうすぐ逢えるかと思うと、二千年ぶりに胸がワクワクしてきますねぇ。今から本当に楽しみです」
頬を紅潮させるメイド長の姿は、完全に発情した奉仕竜族のそれだった。




