第113話 時間遡行
「ウィスリーから離れろ!」
白衣の仮面に向かって名も無き念動魔法を放つ。
「やめておけ。この子の安眠を邪魔するな」
俺の魔法はパシンと弾かれた。
「同一の魔法で相殺だとっ!? しかも、無詠唱無動作……!」
とてもではないが信じがたい。
魔法の発動には音声要素か動作要素のいずれかが必要のはずなのに、こいつは指先すら動かしていない!
「ウィスリーを害するつもりはないというのか?」
魔剣の柄に手を伸ばす。
とはいえ、ウィスリーを人質に取られているこの状況では……!
「落ち着け。私にその気があるなら、この子は結界に取りこまれた段階で死んでいる」
おそらく奴の言葉はハッタリではない。
俺ですら結界に取り込んだ相手を即死させる手段は複数有している。
くうくうと寝息を立てているウィスリーを見やる。
かつてないほどの緊張感を覚えつつも、白衣の仮面を改めて睨みつけた。
「……何者だ」
「少しは話を聞く気になったか」
口惜しいが、それ以外に状況を打開する方法がない。
先程から俺の魔法は確かに発動している。
だが、手応えがまったくない。
さっきから奴を魔法の対象に取れないのだ。
対象にできなければ、魔法は当然不発となる。
範囲魔法なら対象を取ることなく効果を及ぼせるし、ウィスリーだけ範囲から外すよう調整もできるが、奴の魔法構築速度はずば抜けて早い。
おそらく念動魔法と同じくすべて相殺されるだろう。
今は喋らせておくしかない。
「私の姿に覚えはないか?」
白衣の仮面が妙な質問をしてきた。
惑いの戯言と切って捨てるのは容易い。
だが、今は少しでも情報が欲しい。
月明かりに照らされた奴の姿を凝視する。
俺の趣味とは真逆の真っ白なローブ。
これみよがしに見せけるような装飾品の数々。
それに、あの仮面には見覚えがある。
たしか、賢者の変装をするために姉妹とあの露店で――
「いや、馬鹿な。有り得ない」
全身からどっと汗が吹き出した。
目の前の人物がどうして『賢者アーカンソー』のコスプレをしているのか。
どうしてまったく歯が立たないのか。
たったひとつの答えに思い至ってしまった。
「貴様は、まさか未来の俺か!?」
決して突飛な発想ではない。
現にあるのだ。
時間遡行という魔法が。
時を遡り過去へと至る秘儀。
俺だけが使えるオリジナル魔法。
「そのとおりだ。この時代の私……つまり、貴様の次元倉庫に干渉して『賢者アーカンソー』の装備を媒介とし、過去へ飛んだ」
だったら奴を魔法の対象に取れないのは当然だ。
敵に危害を及ぼす魔法は自分を対象にできない。
「未来の……俺……」
研鑽を積んだ未来の自分をいつも想像していた。
――勝てるわけがない。
目の前にいるのは俺の目指すはるか先、天の頂に立った男だ。
こちらの手札を知り尽くしている上に、魔法にも精通している。
おそらく剣の腕においても神域に達しているだろう。
だからこそ、わからない。
未来の俺が、どうしてこんな無意味なことをしているのか。
「何故この時間に来た! 時間遡行は、あくまで過去に行くだけの魔法だ! しかも、代償は――」
「自らの死。もちろん覚悟の上だ。既に仮面の下で肉体は崩壊を始めている」
「なんてことを……」
未来の俺が自らの破滅を他人事のように語るので、思わず呻いてしまった。
「案ずるな。私は今生を最後まで生き抜いた。やり残しはない。だが、未練を思い出した。だから、人として生きる最期の日に時間遡行を発動したのだ」
納得しかなかった。
確かに時間遡行を使うなら俺でも寿命を迎える直前にするだろう。
「確かにこの時代に干渉したところで私の現在は変わらない。仮に元の時代に帰れたとしても、世界は何ひとつ変わっていないだろう。だが、お前は違う」
未来の俺がこちらを指し示した。
その手が光の粒になって崩れ去る。
「お前はこの時代を生きている。俺から知識を得れば未来を変えられる。ククク、そんなことはすべきではないと考えているな? まだまだ青い」
「俺に何をさせる気だ」
「させる気などない。選ぶのは貴様だ」
「早く言え!」
無駄な問答を交わしている時間はない。
崩壊へ向かう肉体を押し留めるだけでも途方もない苦痛を味わっているはずだ。
一刻も早く目的を果たさせてやる必要がある。
「シエリをひとりで王選に行かせないほうがいい」
「何……?」
眉をひそめる俺に向かって、未来の俺は事もなげに告げた。
「彼女は真っ先に死ぬ。最初の王選脱落者としてな」
その言い草は、本当にあっさりしていて。
これっぽっちも現実感が湧いてこなかった。
「嘘だ。そんなことになるわけがない」
「お前は王選を甘く見ている。あのシステムは黑龍神シェラールの生み出した妄執そのものだ。魔法の嬰児というだけで勝ち抜けるほど生易しくはない」
「だったら、俺はシエリを連れてこの国を出る!」
「無駄だ。メールシア・エルメリク・レ・サージョの王国貢献度は現時点でトップ。だから、彼女を王にしたくない者によって殺されるのだ。ダンジョンの最奥に隠してもお前の望む平穏はやってこないぞ。それにあの子は放っておいてもエルメシアの女王となる。そうなれば、王選システムによって連れ戻されて不死となる。そして、次の王選候補者を揃えるために、あらゆる男性サンプルがあてがわれ続けるのだ。はたしてそこにお前の望む未来があるかな……?」
なんなんだ、それは。
それでは王というよりは、まるで――
「王選システムとはなんなんだ! 教えろ!」
「それはお前が自ら知るべきことだ。私がお前に伝えたい情報はひとつ。お前が王選に挑まなければシエリは死ぬ。それだけだ」
「誰だ! 誰がシエリを! 残りの王選候補者はどこのどいつだ!」
「知りすぎるな。変えなくていい未来まで変わってしまう。それにお前は私だ。わかるだろう? 自らの未来は――」
「……自分自身で勝ち取るしかない」
「そうだ。それにどれだけ逃げたところで過去は必ず追いかけて来る。それだけ理解したら後は好きにしろ。お前に使う時間はこれで終わりだ」
未来の俺が背後のベッドを振り返り、身を低くする。
むしろ、俺のことなどついでだったといわんばかりの速さだった。
「ウィスリー……」
未来の俺が、愛おしそうに少女の頬へ手を伸ばす。
「すまなかった。俺が、もっとちゃんとしていれば。あのとき、お前の手を離さなければ……」
まるで置き忘れた記憶を手繰るように、一言一言を丁寧に紡いでいく。
かけがえのない、砂細工のように脆い時間がそこにはあった。
「約束を破ってしまって本当にすまない。ずっといっしょにいてやれなくて……」
その意味を理解したとき、俺は呆然と呟いていた。
「お前はウィスリーと生きていくことを選べなかった俺だというのか……?」
自分の立場で想像しただけで心が張り裂けてしまいそうで。
まだ経験してもいないウィスリーとの別れの日を幻視してしまった。
無論、そうなるとは限らない。
目の前の彼は、無数にある結末のひとつに過ぎない。
だけど可能性がひとつでもあると提示されて、心が激しく揺さぶられた。
「……ありがとう、ウィスリー。それでも俺はお前のおかげで人として死ねた」
最期にそう呟いて、未来の俺は跡形もなく崩れ去った。
白衣と仮面だけを、ウィスリーの傍らに残して。




