第九十八話「不可能な希望、逃れられない絶望」
イラトがじりじりと一歩ずつ歩み寄ってくる。
思わず、それに合わせて俺も一歩ずつ後退りしてしまう。
もう一度逃げてみよう。
もしかしたら、見逃されるかもしれない。
もしかしたら、追いつかれないかもしれない。
もしかしたら、魔王城に帰られるかもしれない。
もしかしたら、
俺は一気に反対方向へと振り返り、持てる力全てを振り絞って、イラトから逃げるように走る。
こんな奴の相手なんてできるわけがない。
「おはよう、僕の友達」
だが、イラトはまた俺の目の前へと姿を見せた。
まただ、またこれだ。
逃げようとしても、すぐ追いつかれる。
「くっそ!」
俺は爪で、目の前の奴の喉を切り裂く。
確実に喉元に穴は空いて、血が溢れ出る。
普通の人族なら生きているはずがない。
何なら、魔族だって死ぬに決まっている。
本当に厄介な奴だ。
イラトの視界を封じるため、唾を吐きかける。
酸の強い唾を吐きかけ、目を焼く。
「ぐぅっ!目がぁぁ!」
イラトは痛そうに目を抑える。
どうせ痛くないのに、こういう演技だけはやるのが、実に腹立たしい。
けれど、隙が生まれていることは確かだ。
再び俺は全力で逃げ始める。
「あぁ、面倒だなぁ。いや、面倒じゃなかった。濃厚な時間を過ごせるってことだもんね」
イラトはまた俺の前へと出てきた。
勘弁してくれ。
あまりにもしつこすぎる。
「そっちが僕の動きを邪魔するなら。僕もそうさせてもらうけどね」
イラトは少し屈んで、何やら力を溜め始めた。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
何はともあれ、これまた隙が生まれた。
俺はもう一度全力で逃げ始める。
「はぁっ!」
だが、逃げ始めた途端、イラトが大声で叫んだ。
それと同時に、周囲がとてつもなく強力な光に包まれる。
イラトの全身から光が発せられているようだ。
光は背後から襲ってきているはずだが、それでもあまりにも眩しすぎる。
俺は思わず、両腕を自分の前へと出し、光で完全に目が潰れるのを防ぐ。
「隙だらけだよ」
「ぐあっ!」
イラトの言葉と一緒に、自分の左足にとてつもない激痛が走る。
一瞬では、何をされたか全く分からない。
俺は痛む自分の左足を見てみる。
いや、正確に言えば、左足の痛む場所を見ることはできなかった。
「う、うぅぅ!」
俺の左膝から先が完全に消滅していた。
まるで、丁寧に鋭利な刃物でしっかりと切り取られたかのように、まるでそこから先は元から無かったかのように、綺麗な切断面のようなものができていた。
消滅した瞬間、俺の血液も足が消滅したことに気づかなかったのだろうか。
おかしな話だが、出血していない。
「あああああぁぁぁぁ!」
少ししてから、さらなる激痛と共に、無くなった足の部分から、大量に血が溢れ出る。
足を片方失っては、立ち上がることもできない。
自分の身体を羽で支えるのは苦しいが、仕方がなく俺は羽で飛ぶことにした。
「飛べるんだね!素晴らしい!素晴らしい!片足を失う絶望に打ち勝てる、希望の持ち主!ポジティブな性格の持ち主が、僕は本当に好きなんだ!」
イラトは恍惚な笑みを浮かべて、興奮する。
俺が苦しむ姿を見て、ポジティブなんて言葉が出るなんて、異常者じゃないのか。
「はぁ、はぁ!」
力を振り絞って、何とか空高くへと逃げようとする。
正直、空を飛ぶのは地上を走るよりも遅く、格好の的になりかねないと思って避けていたが、もうやむを得ない。
「それも、隙だらけだって」
イラトは右手を俺の方へと向けて、光線を二本放つ。
その光線は俺の両翼を正確に貫いた。
翼に穴が開いてしまい、制御が効かなくなってしまった。
「ぐはぁっ!」
空中で俺を支える物が無くなり、俺は地上に落下し、身体全身が地面に叩きつけられる。
血も流れ続け、走ることも飛ぶことも許されず、俺は地面に伏せたまま、動けない。
まずいな、本当に死んでしまうかもしれない。
「ほら、立ち上がって!絶望的状態かもしれないけど、前向きに!ポジティブに!明るく!希望を持って!」
イラトはなお興奮した様子のままだ。
この状態でどうやって前向きになれるというのか。
ことごとく狂った奴だ。
立ち上がれるなら立ち上がりたい。
希望を持てるなら、希望を持ちたい。
それでも、ディザ様やアイリス様が何とかこの場から逃げることができただけ良しとするか。
魔王城は自分の大切な場所だ。
そこの住民を守ることができたなら、悔いはない。
「つまらないな。絶望から一切立ち直ろうとしない。そんなネガティブなのは僕は嫌いだ」
イラトは見下した視線を俺に向ける。
悔いはない・・・・・・なんて、嘘だ。
本当はもっと生きていたい。
まだ魔族が安寧の暮らしを得たとは言えない。
俺の管理のもと、魔王城の魔族全員が平穏に暮らせる未来をこの目で見たかった。
志半ば、ってところか。
「もういいや。終わりにするよ」
イラトは右手を俺の方へと向け、光が溜まり始める。
ディザ様、アイリス様。
どうか、魔族の敵であるこいつをぶっ倒してやってください。
そして、魔族に平和を与えてください。
私はもうここで終わってしまいますが、想いを託します。
どうか、お願いします。
イラトの右手から、光線が放たれる。
その光線は俺の心臓を貫いた。
「死んだ、か。全く動かなくなったね。結局絶望に打ち勝つのは難しいか。友人の死は、やっはりとても悲しい悲しい・・・・・・いや、悲しくないな。魔族になんて生まれてしまった現世から、生まれ変われば人族になれるかもしれないんだ。もしかしたら、幸せな未来が待っているかもしれないんだ。だから、もし人族に生まれ変わったなら、その来世でまた友達になろうね」




