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伊賀忍者に転移して、親孝行する。  作者: 風猫(ふーにゃん)
最終章 伊賀忍者藤林疾風 戦国で維新をなす。
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第二話 新政から3年『文明開化と祇園祭』


天正7(1579)年5月上旬 京都朝堂院

藤林疾風 


 新政公布から3年目、京ー摂津堺、京ー尾張、京ー南都·伊賀·伊勢の三路線の鉄道が相次いで竣工し、昨年秋から開業している。

 引き続き、東海道、上越道、山陽道の鉄道敷設が続けられており、2年後には単線だがほぼ完成の予定だ。

 鉄道の開通に伴い、馬借や水運の者達或いは渡し舟の失業する者達を優先して、鉄道員に雇用している。

 

 鉄道の開通は、内陸への早期大量輸送をもたらし、輸送費軽減による物価低下や生鮮食料品の流通に革命をもたらした。なにせ、摂津大阪湾で朝漁の魚介類が夕方の京の市に並ぶのだ。

 安価で新鮮な魚介が民の栄養に寄与し、食文化の巾を広げている。


 鉄道敷設とともに開設したのは、郵便業務。今のところ、日数は掛かるが全国一律料金で届けるということを実施した。

 また、鉄道路線区間だけではあるが電信が試行されている。


 帝の教育役となった綺羅は、帝の要望によりかわら版の者達を集め、日本初の新聞社を作った。これには俺も付き合わされ、木版画に代り活版印刷を職人達に作らせることになった。

 活版印刷の実用化は、紙幣印刷へと発展し、それまで銭貨幣を製造する造幣局はあったが、紙幣も作ることになり、八重緑がそれを手掛けている。

 ちなみに、10円札は信長公、5円札は謙信公、1円札は正親町上皇らしい。小煩い公家共から、院を一番高額な10円札にと嘆願があったらしいが、一番使われる1円札で院のお顔を身近なものにするのです、何か文句ありますか。と凄んだとか。(1円札は令和の千円札だ。)


 同じく末妹の松も、帝に強請られて、雅楽の楽団を指揮していたが、各地の田楽舞や雅な舞を集めて、五節句に演奏舞踏会を開催してしまい、さらには婚約者の織田信忠京県長を動かし、京の都に演奏舞踏会のできる公会堂を造らせてしまった。

 なんとも、うちの三姉妹こそ、帝の威を借る新公家 三姉妹トリオではないかと俺は密かに思っている。


 まだ終わらない。宮中の女官の教育役となったははうえ台与とよは、山羊の乳の粉乳こなミルクや育児の教本とか次々と俺に難題を押し付けてくる。

 ああ、報告が遅れたけど、俺は一男一女の父親になった。一昨年生まれた長男は尊丸みことまる、今年生まれた長女はとうと名付けた。

 それで今も俺は、尊丸をおぶって育児父となって仕事をしている。まあ、傍に楓がついていてくれてはいるのだが、父親の顔を忘れさせないためだと、台与つまに言われて。



 とある伏見鉄道駅前の蕎麦屋で、仕事帰りの酒を飲んでいる男達三人連れがいた。

 

「大したもんだね新政は、5年前の都復興普請の時も驚ぇたが、去年と今年もすげぇ変わり様だぜっ。祇園の賑わいはともかく、室町や下京の至るところに新しい店ができてやがんの。

 一見すると、別の町に来たかと思うぜっ。」


「そりゃそうよ。うちの親方の組にゃ、20人ばかしだけどよ。おいらだって1ヶ月に3軒位建てているだぜ。規格工法プレハブのおかげよ。土台さえ石灰練コンクリートで固めてしまえば屋根も壁もあっと言う間にできちまうんだ。うちの組だけで1月に40軒も建てりゃ、空地は無くなるはな。」


「それにしても、10文もしねぇ一膳飯屋が沢山できて、ありがてぇ。焼きうどんに焼そば、お好み焼きに、汁粉や雑煮の餅屋、魚の定食屋までできるとはなぁ。小腹が空けばお焼きやたこ焼きもあるしなぁ。」


「なんだおめぇ、新婚なのに手弁当じゃねぇのか。」


「うちの飯は、専ら鍋よ。嫁も稼いでいるからよ、昼は外飯よ。その方が安上がりだとよ。」


「うちの古女房は、家事だけだけんど、毎日いろんな店を回って安くて旨いもんを見つけてくるぜ。昨日も晩飯は、最近取れ出した深層の鮟鱇の鍋よ。値段が安いのにすげぇ旨かったぜ、特に肝が絶品だった。」


「この新政だもの、漁師も発展してねぇ訳がねぇ。きっと深層にも届く網が使われ出したのさ。」


「おいっ、話に夢中になって気が付かなかったが、この酒旨いんじゃねぇか。」


「お客さん方、ようやく気がついてくれたかい。この酒はなぁ、我が町、伏見の酒よ。

 去年、宵の宮様がな。伏見の杜氏に教えなされてようやく完成した一番樽をうちにも試してくれと、回ってきたのよ。どうでぇ、味は。」


「うん、旨ぇぞぅ。癖がなくて香もいい。」


「おお、流石に宵の宮様のご指導の酒よ。旨くて気が付かなんだが、味わうとほんと旨ぇ。」


「この酒の名はなんちゅうんだ。」


「蔵元の話じゃ、評判が良ければお願いして『松姫』様と名付けるらしいぜっ。」


「そう聞くと、余計上品な酒に思えて来るぜっ。」




✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣



天正7(1579)年6月中旬 京都東山八坂神社

藤林疾風 



 俺は今、来月行われる祇園祭の会合に招かれて、八坂神社に来ている。

 毎年、町衆が祭りを広げようと勝手なことを言い出すので、町衆の抑えとして俺に来てほしいとの要請だ。

 京の都を復興させた藤林家の者には、町衆の誰も逆らえないので、どなたかお出で願いたいとのことだった。

 俺は初めてだが、八重緑とか家宰の城戸弥左衛門が出席していたようだ。


 別室から会場の広間に案内されると、一同が平身低頭平伏して迎えられた。まさか、殿上人の俺が来るとは思わなかったらしい。


「皆、ご苦労様。俺に遠慮なく始めてくれ。」


「ははぁ、宵の宮様にはお忙しい中、祇園祭の会合にお出で賜り、一同感激でございます。」


 会合は、各祭り行事の日時、当番の確認などが進められて行った。最後に質問提案が行われた。


「宵の宮様がお出でくだされた機会に、京の都を復興なさった功労者である宵の宮様方を祭りの祭神に加えてはどうかと思うんじゃが。」


 町衆の長老の一人が突然言い出した。なるほどと同意する者達がいる。困っているのは八坂神社の宮司殿だ。俺の面前で否定し難いのであろう。仕方ない、口を挟むか。


「皆の衆は、祇園祭を如何なるものと捉えておるのか。」


「古より伝わる祭りにて、我らはその風習を守り伝えておりまする。」


「ならば、どんなことがあっても守り抜くものであろうな。その時の者が変えては祭りの伝統に陰りが生じるであろう。その責任は取れるのかな。」


「 · · · · 。」


「伝統とは古の姿を伝えるから、価値がある。俺はそう思っている。

 もし、山笠の絵面を勝手に変えるようなことあらば、祇園祭など無くす。良いな。」




「宮司殿、先程は少しでしゃばった。許されよ。」


「とんでもない。そつじが申さねばならぬところ、宵の宮様が言うてくださり有り難く存じます。

 これまでも町衆の中からは、伝統を変えるようなことを申す者が出て苦慮しておりました。しかし、これにて、断ち切れることでございましょう。」


「宮司殿、話は変わるが、山笠の絵面に天竺、或いは、南蛮の人相があることに気がついておろう。如何に思うておられるのか。」


「当社は、斉明天皇2(656)年に高句麗から来日した調進副使 伊利之使主いりしおみの創建と伝えれられております。建立にあたっては秦氏が関わったようでもございます。

 また祇園祭の始まりは、貞観5(863)年に疫病の流行を鎮め宥めるため、神泉苑で初の御霊会ごりょうえを行ったのが始まりにございます。

 そしてまた、祇園祭が今の山笠などの形になったのは、室町になってから。従って、山笠の絵面なども財力のある貴族や商人が明などから輸入した品であっても不思議ではありませぬ。」


「なるほど、輸入品ですか。古から伝わる品ではないのですね。」

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