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伊賀忍者に転移して、親孝行する。  作者: 風猫(ふーにゃん)
第八章 伊賀忍者 藤林疾風 戦国蝦夷征討
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閑話 津軽蝦夷征伐『柴田勝家』

天正3(1575)年6月20日 出羽国土崎湊 柴田勝家



 この日、出羽角館の雲厳寺では、軍師藤阿弥殿が鎮守府大将軍として、東国諸大名を集め『新政への臣従』及び、戦の禁止を告知しておる。

 儂は、それに背く日本海側の大名を討伐すべく、ここ土崎湊で待機しておるのだ。

 果たして如何ほどの東国大名が反旗を翻すのか、愉しみじゃわい。


 夕刻、藤阿弥殿から命が下った。津軽の大浦為信を討伐せよとの命である。

 さっそく、副将丹羽長秀らと軍議を開き、討伐の戦術を確認する。と言うのも予め、各大名ごとに、攻め込む戦術については藤阿弥殿から指示を受けており、手順を確認するだけだ。


 戦艦2隻と大型商船3隻は十三湊まで行き、35隻の小型船に迫撃砲と兵員350名余で岩木川を遡って大浦城に迫る。

 城は岩木川から4kmほどの距離にある。

 他の兵員1,600名余は、副将の丹羽長秀が率いて、西津軽の鰺ヶ沢湊で上陸し陸路で大浦城を目指す。


 

 大浦為信のこの頃の領地の石高は、表向き10万石だが豊作の年では実質30万石近いと言われている。

 豊臣秀吉に本領安堵された時には、太閤検地で、津軽合浦一円の4万5石のうち1万5千石を蔵入地として取り上げられている。

 南部よりも北にあるが、冷害の影響が少なくまた十三湊とさみなとの交易の実入りが少なくないからであろう。

 仮に20万石としても、動員兵力は5千人余。

 上洛を果たそうとして動員した兵力が2千人で、合戦に動員した兵力は不明であるが、敵対した敵勢の最大兵力は3千程である。

 予想されるのは、野戦で2〜3千か籠城か。

 まさか全く予期しておらんことはあるまいな。



 翌朝、土崎湊を出港する。1刻ほどで鰺ヶ沢湊に着き、陸路の兵1,600名を上陸させる。

 儂らはなお十三湊へ進み、岩木川を小型船で遡上する。昼過ぎに十三湊に着き小型船に乗り換えた。

 岩木川を遡上するが夕刻が近づき、一旦上陸して夜営した。

 夜営の準備をしておると、近隣の二村の村長が、藤林の『荒鷲』の旗印を見たと、訪ねて来た。


「お見掛けしたところ、天子様の軍勢かと存じますが。」


「如何にも、我らは北面の武士に任じられた織田家の軍勢じゃ。伊賀の者達もおるがな。」


「私どもは、以前こちらに参られました伊勢巫女の皆様から、いずれ天子様の軍が東国を平定なさりに来られると、だから戦に出て死んじゃなんねぇと、聞かされましてございます。」


「ほうそうか。安心せい、帝の新政に背く東国の大名どもは、我らが討伐致す。」


 それを聞いた村長達は、笑顔を浮かべる。


「伊勢巫女様には、怪我人や病人を治してもらったばかりでなく、伊勢のお芋の種をいただき、そりゃもう大変にお世話になりました。

 お礼に心ばかりですが、鍋料理でも差し入れさせてくだされ。」


「そうか、ありがたく頂戴するぞ。わっはっはっ。」


 半刻もすると、村人達が芋と野菜の入った味噌鍋を抱えてやって来た。遠慮なく馳走になり、土地の話を聞かせて貰った。

 年貢は、7公3民。不作はあまりないものの、米の作付を強要されており、蕎麦や粟の収穫が少なくて難儀しておるらしい。

 伊勢芋で子らが飢えずに済んだと、たいそう感謝された。儂の手柄ではないが、なんともこんなに、民から感謝されるとは、面映い思いだ。


「大浦為信の討伐が終われば、新政のための代官が参る。この地を豊かにするために参るのじゃ、皆も力を合わせて頑張るのじゃぞっ。」


「ええ、そりゃもう。お代官様の来られるのを楽しみにお待ち申しますっ。」


 


 翌日の昼過ぎに、大浦為信の居城である大浦城の近くに到着した。伊賀の連絡兵の知らせによると、陸路の兵は明日の昼頃の到着見込みだという。

 大浦側は、我らが現れたのを知ったようで、慌てて軍勢を徴集しているらしい。

 事前に津軽領入りしている数人の東国見回隊の話だと、伊勢巫女の話した不戦の噂が広まっており、村々は兵の供出を拒むはずじゃという。

 物見を出して、大浦城の様子を探らせたところ、城には400人余り、徴兵と他の城からの増援があっても1千が精々というところか。



 翌日の昼前には、陸路の兵達が到着した。

 我らは、籠城している大浦城を囲み、攻城戦に掛かる。降伏の使者など送らぬ、鎮守府大将軍の下へ参集しなければ、朝敵として討伐すると言い渡してあるのじゃから。

 

 攻城の布陣が終わったところで、城から白旗を掲げた使者が出て来たが、城門を出た所で足元に威嚇射撃を行った。使者は立ち止まったが、なお進んで来るので、引き返すように叫ぶが聞く耳を持たず、我が陣に半分程に近づいた時点でハチの巣にした。城兵達の息を呑むのが聞こえたようだ。



 そして、20門の迫撃砲から一斉に火炎弾が発射される。砲弾でなく火災で、城内の女子供が非難する刻を与えるためだ。裏門は監視の兵しか置いておらぬ。

 半刻待ち、今度は砲弾の雨を降らせる。4半刻もすると、大手門から一斉に打って出てきた、その数600余。しかし、正面で待ち受ける1千丁の鉄砲の前に、刃を交わすことなく葬られた。

 城が燃えるのを見守っていると、裏門で大浦為信を捕らえたとの知らせがあった。

 唐衣を頭から被った二人の女らしき者が城を抜け出そうとしたが、一人の腰に膨らみがあり怪しんで誰何したところ、武士だったとのこと。伴が差していた脇差が仇となった。



 まもなく、大浦為信が引き立てられて来た。


「為信殿かの。織田家家臣柴田勝家と申す。

 朝敵の身でありながら、城から打って出ることもなく、女に身をやつして逃げだすとは、どのような了見ですかな。」


「頼む、取りなしてくれ。恩にきるぞっ。」


「何を今さら。朝敵と成り果てた者は皆死罪。

 儂は、大浦殿の存念を朝廷にお伝えするだけに、ござる。

 申し分、承ろう。」


「下剋上の戦国に、朝廷など無用の長物だっ。ただ貢物をせびり、戦う力もない。現に将軍の言うことなど誰も聞かぬわ。

 俺を殺してなんとする。お主もいずれ誰かに殺されようぞっ。」


「勘違いなされるな。下剋上の世は終わるのでござるよ。 

 朝廷の下、真に力ある武家が揃い申した。

 下剋上の夢を追う者は消し去られ申す。」




 唖然としている大浦為信をその場で打ち首にして儂の東国蝦夷征伐は終わった。

 次の戦場は、九州であろうか。信長公や藤阿弥殿が天下平定を成すまで、儂は戦い抜くのみ。


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