閑話 父上と母上の、都見物いろいろ。
中断最後の投稿の翌日昼に、この作品が歴史日間ランキング10位に入りました。皆様のおかげです。
それで感謝の気持ちを込めて、この追加の閑話を書かせていただきました。
妹達が仕出かした都の改装の顛末です。
天正3(1575)年1月下旬 京都市中 藤林疾風
去年の4月に改修を始めた京の都は、農地の区画整理は3割止まりだったが、市中の修繕や新設は、まるでダムが決壊したかのように一斉に進められ、あっという間に見違える姿に変わっていた。
年末にはすっかり見違えるように修復された京の都を、父上と母上に見物してもらうことにした。
なにせこの修復は、綺羅と八重緑の妹達が心血を注いでやり遂げた一大イベントである。
後世まで彼女達の名が語り継がれることだろう。
そういうことで、天正3年の年始が明けた1月の終わりに、大改装された京の都に招待した。
母上には、生まれて初めての都見物でもある。
都の中心を南北に貫く室町通、平行に延びる東西の洞院大路などは、コンクリートで固めた石畳の路に変わり、その路の両側には越後の臭水から得た、アスファルト成分を麻布に塗布して作った防水布の仮小屋の露店が並ぶ。
露店の店先には、自作野菜や季節の果実、搾った果実水を売ってる店もある。食べ物屋なら伊賀から伝わった蕎麦切りやうどん、伊賀焼、饅頭や団子、おでん などの店が出ている。
各地の漆塗り物や陶磁器、瓶や壺、土鍋、鉄器のやかん、伊賀産の各種の鍋を売る店もある。
中でも人が溢れているのは、便利道具屋で便利な大工道具や調理器具、裁縫道具、洗濯鋏などが、三店舗通しの店先に多くの商品が並んでいる。
都では、まだまだ道路整備などの普請が行なわれているし、寺社や貴族、商家の普請や修繕もあり、働き口には事欠かかず庶民の懐具合も暖かいのだ。
そんなことで、都の大路は人々で溢れている。
この活気を生んだ要因の一つは、伊賀の産品を、格安で売る伊賀市場の存在がある。
大量まとめ売りのため、個人購入には向かないが露店の商売人には格好の仕入先となっているのだ。
「まあ、すごい人だかりね。あら、左側通行なの、皆の流れがそうなのね。」
「母様、これは自然にそうなっているのよ。人って不思議ね、皆と合わせて自然とそうなるのね。」
「あっ市場で逢った男の子よ。小さな露台を出して売っているのね。おーぃ、売れてますかぁ。」
「あっ姫様達っ。へへっ、100個仕入たのが、この3日で残り7個ですよ、すごいでしょうっ。」
「へぇー、そんな下し金なんて売れるんだ。」
「優れものでさぁ、大根下しやら人参下し、山芋のとろろなんか絶品ですぜっ、何でも下せまさぁ。
おまけに、何でも千切りもちょちょいのちょい、一家に一つ万能下し金ってね。」
「うふふ、口が上手いのね。それなら売れるわ。」
「うん、もう少ししたら仮小屋を買って露店を構えられる。その頃また姫様達も見に来てくださいな。良い品を揃えて置きますよ。」
この少年は戦で父親を亡くし、母親も病で亡くしたそうだ。下に幼い二人の妹弟がおり、兄弟三人の暮らしで、この少年が一家を背負っている。
伊賀の市場では、そういう人達の商売起業を組合に加入すると貸付をして助けているのだ。
都の外れには彼らのために用意した宿舎もある。寝るだけの狭い宿舎だが、子供や老人、母子家庭が居住して助け合って共同自炊をして暮らしている。
「あら、私の作ったお人形があるわ。売れてないのかしら。」
「お母様、あれは売り物じゃないみたい。なんか、拝んでる人達がいるもの。」
「垂れ紙になんか書いてある。『伊賀栞弥勒菩薩』ですって。」
「儂のはないんか。隣にありそうなもんじゃが。」
「無理よ、だって父上の人形なんて無いもの。」
「あらっ、あそこのお店には、母様の人形の隣に、狸の置物が並んでいるわ。」
「キャハハあれが父様なのね。確かに父様に似てるかもっ。」
綺羅と八重緑が京の都で行なった最大の功績は、衛生管理に関することだろう。
改修工事初期に火葬場と汚物処理場兼肥料工場を京の東の地に造った。というのは京の風向きで一番多いのが北風で、次が南風、西風の順で悪臭が町中に流れないようにしたのだ。
さらに、京の改修で出た古材を燃料に市中に46軒の公衆浴場を建てた。石鹸工場を作り、庶民に行き渡らせた。公衆トイレは500箇所を超える。
また、これらの公衆浴場の運営や糞尿の回収を、貧民達に就職の機会として与えた。
綺羅の想いが一番表れているのは、都中に造った小公園だろう。芝生の代わりに背丈の低い草を植え柿や梨桃や葡萄の木を植え、胡瓜草などの花が咲く薬草を植えた。
市中に植えられたこれらの果実や薬草は、飢饉の飢えを癒し、病や怪我人の一助になることだろう。
井戸や縁台を備え付けてあり、数年後には人々に涼しい木陰を提供するだろう。
八重緑の想いは、茶畑と製茶工房の造成に傾けられた。重労働ではない女子の仕事を、創設したいと願ったからだ。
元々京の宇治は茶の生産で有名であり、八重緑は宇治の茶師達に教えを乞い、京の周辺一帯に茶畑を広げることにしたのだ。
茶畑は山間の傾斜地を使えるし、茶は茶道の抹茶ではなく、庶民達にも安価な煎茶や番茶、焙じ茶を飲ませたいとの思いからだった。
後年、都で採れた煎茶の一番茶は『八重緑茶』と呼ばれるようになる。
父上は綺羅と八重緑と手を繋ぎ、母上は何故か俺と腕を組んで、都の高名な寺社めぐりをしている。
「わぁ高いっ、清水の舞台って想像してたより高いわっ。」
「そうじゃなあ、儂は、清水の舞台から飛び降りたつもりで、栞に求婚したが、こんなに高いと知っておったら諦めておったかも知れぬ。」
「まあ貴方、命がけの決心じゃなかったのね。許せないわ。罰を与えなきゃっ。」
「母上、父上は忍びのくせに高所恐怖症なのよ。
罰として、何か京土産に買って貰うといいわ。
ちょうど良いものがある。応仁の乱の西軍の本陣付近で、その名を取った西陣織りという絹織物が、すっごい高級品よ。買って貰いなさいな。」
【 あらら高(値)そう。『清水の舞台だけに高そう』
なんちゃって。父上も失言したね。】
宇治に来ている。ここは茶の産地であり、八重緑が茶畑や製茶工房を作るにあたり、お世話になった宇治の茶師 森彦右衛門殿に両親がお礼を言いたいと言うので来た。
平等院鳳凰堂が望める彦右衛門殿の屋敷で、宇治の抹茶をご馳走になっている。
「森殿には娘が大変お世話になり申した。おかげで八重緑も都の皆さんに、想いを届けることができたようにござる。」
「いえいえ何を申されますか、藤林の皆様には荒れていた都を見違える程にしていただき、某の方こそお礼申さねばなりませぬ。
それにしても、八重緑殿は見事にやり遂げられましたぞ。宇治の茶とは異なる茶葉ではありますが、庶民達の茶として、愛されるものになると確信しておりますぞ。」
「おじ様、でも八重緑はおじ様のこのお茶の味が、一番好きですっ。」
「こんなもので良ければ、いつでも飲みに来られると良ろしい。
綺羅殿もご一緒にな。若いおなごが来られると、若い弟子達も喜びますでなあ。ははは。」
「彦右衛門殿、これは伊賀焼の急須と茶碗なの。
娘がお世話になったお礼の気持ちです。」
「ほほう、これは奥方様。なかなか見事な出来栄えの茶道具でございますなあ。
ありがたく大切に使わさせて貰いますぞ。」
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天正3(1575)年1月下旬 京都仙洞御所 藤林疾風
「長門守よ、久しいのぉ。ここでは無礼講ぞ、奥方も皆も平生の言葉遣いで構わぬ。そなたらは、朕の友と思うておるでなあ。ホホホ。」
「畏れ多いことでございます。陛下に家族揃って拝謁を賜るなど前代未聞のことでございましょう。」
「藤林の家の者は疾風のみならず、妹らも民の為に尽力してくれておる。朕から改めて礼を言う。」
「勿体なきお言葉、恐縮至極にございます。
陛下に不敬とは存じますが、我らは朝廷のために為してはおりませぬ。あくまでこの国の民のためにございます。」
「わかっておる。疾風から耳にたこができる程に、聞かされておる。
朕とそち達は、あくまでも朝廷と民ぞ。だが朕とそち達が友になってもおかしくなかろう。」
【 いや、おかしいからね。そんなおねだりしか、
しないような友達は、欲しくありませんから。】
「長門守よ、朕には何もできぬ。ただ戦乱が鎮まり安寧の世となることを望むばかり。
そち達に託すばかりじゃ。すまぬ。」
「何を申されます、陛下はそれだけでよろしいのでございます。朝廷が政に直接関わっては朝廷が危うい目に会いまする。
政は民に寄り添う者に任せ、その者達が過ちを、犯さぬように見守っていただきたく思いまする。」
「ふむ、長門守の言、もっともである。朕が代々の帝に伝えおこう。」
「それはそれとしてな。遡って新年の初の朝議で、藤景 栞を正四位下の月宮守、綺羅を従四位下の華宮守、八重緑を従四位下の産茶宮守に任じることが決まった。
これで帝と話せることになっただけじゃが。」
「畏れながら、前例に重きを置く朝廷にあって、
かような授与をよろしいのでございますか。」
「構わぬよ。元々長門守も無碍の者として、存在しない者として扱っておる。
そなた達は朝廷の夢限の世界におる者。天照大神の子孫一族と同じじゃ。故に限られた者しか会えぬ道理となっておるのじゃぞ。ホホホ。」
「あのう、差し出がましきことですが、私は、何も為してはおりません。それなのに、官位をいただくなど、畏れ多いことでございます。」
「そんなことはないぞよ。民の為に大事を為す疾風と綺羅と八重緑を育てたのは、そちの力なくしてはできぬことぞ。
帝の乳母らも、是非にそなたから話を聞きたいと言っておる。誠に良き子供らを育ててくれたの。
あっ晴れじゃ。ホホホ。」




