第八話 五畿内騒乱と、噂の新政。その1
天正元(1573)年8月2日 京 二条御所 二条晴良
「院の勅命である、謹んで拝聴せよ。
『征夷大将軍足利義昭に申し付ける。東国諸国の戦を止めさせよ。また、二月以内に東国大名を幕府に参集させ仕置きをせよ。』」
「二条殿、如何に院の勅命とは申せ、不可能な命は聞けませぬ。誰ぞの差し金と存じますが、その者ができることならば、その者に申し付けられたく存じます。」
「そうか、できぬと申すのだな。ならばできる者に申し付けるは道理。それで良いか。」
「宜しゅうございます。異存はありませぬ。」
「ならば足利義昭よ。征夷大将軍の職を辞去せよ。
武家の頭領たる者が、武家を統治できぬのでは、示しがつかぬでおじゃる。よろしいな。」
「お待ちくだされ、大名の争うを止めることなど、誰にもできませぬぞ。」
「義昭殿、信長公が上洛の折、諸大名に織田を討伐せよと内書を下したの。信玄公が上洛した時にも方々へ出しておったの。
戦をするよう命じておるのはそなたではないか。ならば戦を止めるよう命じれば良いではないか。」
「大名達は命じても聞き入れませぬ。」
「だから、そなたには征夷大将軍が勤まるまいと、院は仰せなのだ。
三日以内に辞去せぬ時には、罷免をする。
それと、将軍職にあらぬ者が京に居ては困る。
どこぞへ退去してたもれ。」
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将軍足利義昭は、勅使二条晴良が去るとすぐに、諸大名へ内書を下した。
『将軍罷免の陰謀である。謀反人信長を討て。』
との内書である。
しかしそれは手遅れだった。二条御所を包囲していた甲賀者達によって、誰一人内書を届けることは叶わなかった。
勅命の期日が明けた6日、再び幕府に 二条晴良が遣わされ、『足利義昭の征夷大将軍職を解く。』との解任の勅が言い渡された。それと同時に二条御所からの退去を命じた。
義昭は解任は不当であると、二条御所からの退去に応じず、幕臣達の兵を参集して籠城を図った。
これを謀反と捉えた院は、信長公の北面の武士をもって討伐の勅命を下したのである。
二条御所に籠城した幕臣は1千余、対して信長は佐久間信盛に命じて、討伐軍勢5千余で二条御所を包囲した。
佐久間信盛は形だけの降伏を糺すと、ニ条御所の包囲を固め一向に攻め掛かる様子を見せなかった。
だがその夜半、二条御所に忍び込んだ甲賀者達の手により、ニ条御所の飲み水が断たれた。
ニ条御所の井戸と周囲の堀に真っ赤な染料と粉にした『どくだみ』を投げ込んだのである。
毒を投げ込まれたと思い、飲料水を断たれたことから、義昭は籠城わずか3日にして降伏し、その場で身一つのまま京の都から追放された。
【ちなみに『どくだみ』に毒性はなく、強烈な味が養○酒に近い。一度に多量に飲むと下痢になるが、元来生薬であり煎じて飲むと利尿作用、動脈硬化の予防、解熱や解毒などの効果があり、漢方の十薬として知られる。】
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京を追われた足利義昭は、摂津の石山本願寺を、頼ろうとしたが、石山本願寺は朝廷の謹慎を受け、これを拒んだ。
仕方なく大和の筒井順慶の下へ逃れた。
『シャンシャンシャン。巫女の口ききなさらんかぁ、病のご祈祷なさらんかぁ。』
遠くから、女人の唱和する声が聞こえ、白い巫女装束に桃色の羽織の美しい女人の一団が、近づいて来る。
ここは丹波国にほど近い摂津国北部のとある農村である。村の中央にある小さな社近くの道端では、数人の行商人が露店を広げているし農民達も付近で自前の野菜などを商っている。
辺りは女子を含む40人余の村人で賑わっている。
そんな場所に、歩き巫女一行が居場所を作ると、また、鈴の音とともに唱和して声を上げる。
『シャンシャンシャン。巫女の口ききなさらんかぁ、病のご祈祷なさらんかぁ。』
そんな巫女達の周りには、すぐに人だかりができ周囲から声が掛かる。
「巫女さん、どこから来なさったんだべ。」
「私達は伊勢神宮の巫女なのです。病や怪我の傷を癒しますよ。霊験あらたかな口寄せも。」
「お伊勢さんの巫女様かいな。そいじゃ、都から来なさったかや。都の様子はどやった、なんでも織田の殿様が再び上洛なさったとか。」
「都では帝が譲位なさって、織田様が北面の武士になられたそうよ。畿内は三好の若殿様が新政をなさるって話よ。改元がされて『天正』になったのは、聞いてるでしょ。」
「ああ、帝が戦のない世を願ってお付けになられた年号なそうな。ほんまにそうなりゃいいけんど。」
ほどなくして畿内一帯の村々に、耳寄りな『噂』が流れた。瞬く間に広がったその噂だが、曰く、
『改元で公方様が将軍で無くなったらしい。』
『畿内の新政を三好の若殿様が任され、従う領地は4公6民(現状6公4民)になるって話だ。』
『おまけに若殿様は新しい米作りをなされ、収穫が5割増になるってよ。』
『若殿様の賦役じゃ、飯を喰わしてくれて、手当もくれるって話だぜ。』
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天正元(1573)年11月、足利義昭は大和の筒井城で兵を上げた。
大和の筒井順慶、摂津国の荒木村重を従え、播磨の別所長治、丹波の波多野秀治や赤松政秀、但馬の山名祐豊らを味方に付けてのことだった。
義昭は1万の軍勢で大和の松永久秀の居城である多聞山城に攻め寄せたが、6千の兵で籠城する城を攻めきれず、後詰めに向かった柴田勝家率いる1万5千の織田軍に背後から攻撃を受け、手酷い損害を被り筒井城へ退却した。
一方、播磨、丹波、但馬の連合軍2万を三好義継率いる1万1千の軍勢が、山崎で迎え撃とうとしていた。義継の陣には佐久間信盛と俺がいる。
味方の陣には三好勢が2千5百、織田勢が8千。そして伊賀の迫撃砲部隊が80門4百名、他に通信隊や兵糧部隊が百名の陣容だ。
「義継殿、敵の軍勢は総勢2万余ですね。」
「3万にはなるかと思いましたが、思ったより少なかったですな。」
「佐久間殿、少ないと申されるのですか。籠城ならともかく、野戦で2倍近くですよ。」
「義継殿、我が軍師殿には10倍の軍勢でなければ、勝てませぬな。ははは。」
「疾風殿、策はどうされるのです。もう敵はすぐそこですぞ。」
「義継殿、この辺りの地形は山間が狭まり、大軍でも密集しなければ攻め寄せられませぬ。
さて、我が陣に辿り着ける者はどれほどおりましょうか。」
昼前に姿を現した三国の連合軍は、2km先で陣容を整えると一団となった魚鱗の陣形で攻め掛かってきた。先陣の兵達は鉄砲を防ぐ竹束を抱えている。
敵勢の先陣が500mまで迫った頃、二陣、三陣が続き、敵は本陣を残して皆攻め込んで来ている。
すると敵勢の二陣の先頭辺りに爆発が起こった。ひと呼吸おいて今度は先陣の中央付近で。
そして間もなく、先陣のいる全ての場所で爆発が起きて、先陣5千が壊滅した。
その後も騒然として混乱する二陣三陣にも80門の迫撃砲が火を吹き、戦場一面は土煙に包まれ爆発音しか聞こえなくなった。
四半刻のちに土煙が治まった戦場は、無惨に散った敵兵の残骸ばかりが広がっていた。
「義継殿、騎兵に本陣へ突撃を命じてください。」
「おう分かった。馬引けっ、者共っ我に続けっ。」
あれっ総大将が先頭に立って突撃しちゃったよ。
まあ、敵の本陣には5百名位しか残ってないし、騎馬隊は2千騎はいるから大丈夫か。
後で知ったが、総大将 自らが敵将の波多野秀治を討ち取ったんですと。
伊賀者20名が護衛してくれたらしいけど、冷や汗ものだよね。 あ〜あ、久秀殿に怒られるなぁ。
俺は、これまでもこれからもできるだけ、戦いにおいて兵である農民領民達の死者を少なくしたいと思ってきたが、征夷大将軍を罷免された足利義昭に組する者達は別だ。
その者達は朝廷に弓引く朝敵であり、そのような者達を生ぬるく扱えば今後に禍根を残す。
だから、見せしめの意味で一兵残らず壊滅させ、2度と立ち上がれないように叩いたのだ。
足利義昭との戦いは、この戦国時代を終わらせる狼煙なのだ。速やかに果断を持ってやらなけばならない。
この果断な戦いの狼煙が全国の大名達に伝わり、朝廷が戦乱の世を終わらせようとしていることを、知らしめなければならない。




