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伊賀忍者に転移して、親孝行する。  作者: 風猫(ふーにゃん)
第七章 伊賀忍者 藤林疾風 戦国に暗躍する。
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第三話 長島一向一揆と雑賀焼失。その1

元亀4(1573)年7月上旬 伊勢国伊勢湊 百地丹波



 〘 百地丹波の回想 〙

 去年の8月、上杉謙信公が加賀越中一向一揆勢に大攻勢を掛けたのに呼応し、浅井長政殿の軍勢1万2千と柴田勝家殿率いる織田家の1万5千の軍勢が加賀の一向一揆の本拠地に攻め入り、加賀、越中の本願寺派一向衆を殲滅なされた。

 我が藤林家の御曹司が、諸大名を纏められ成した離れ業でござる。

 今年2月には、宮中の帝に拝謁なされ、この国に蔓る戦乱の早期終焉を図らなけばならぬと進言なされた。

 そのお覚悟は臣下で家族のように接している儂にとって、見事でこの上なく誇らしい限りである。



 御曹司は不思議な御仁である。熊野山中での修行から帰られるや否や、畑に石灰と堆肥を撒いて豊穣な実りある土地に変えて見せると、他国にも少ない水車をいとも簡単に作り上げ、水路を引き荒れ地を田畑に変えてしまった。

 そしてそれを惜しげもなく、伊賀中の民達に教え広めたのである。

 その当時の伊賀は、百地家わしと千賀地家(服部家)、そして藤林家の三家が上忍家として重きを置かれてはいたが、実態は100家を越える大小土豪の集まりであり、皆貧しく諸国へ忍び働きに出なければ食うて行けぬ暮らしぶりであった。

 だから、一年二年と経つ内に、誰にでも気さくで子らや年寄りに寄り添う人柄もあり、伊賀中の民達が御曹司に感謝し慕うようになるまでには、然程の時間も掛からなかった。

 

 それからも麦から新酒を造り便利で多様な農具を広め、牛馬を農民に与えるなどして、瞬く間に伊賀の民の暮らしを豊に変えて行かれた。

 百地丹波(わし)と服部半蔵は、当然の帰結として伊賀に豊穣をもたらす藤林家と、より強い盟を結ぶことを選択した。公平公正であり、私欲を持たぬ藤林家の人々を信頼し力を合せて行くことを選択したのだ。

 何かと相談しながら、御曹司の行いや考えを傍で見聞し話をするうちに、とても敵わない天の才をお持ちだと知った。そして心酔して行った。

 そんな頃、豊かになった伊賀を我が物にしようと隣国の大国北畠家が侵攻して来た。

 御曹司は逆に留守の北畠の本拠を急襲し、北畠勢を退却させる戦略を実行されたが、慌てて帰還した北畠勢を待ち受けて、単に損害を与えようとしただけなのだが、何十倍もの軍勢を用意していた兵器で見事壊滅させてしまったのである。

 それを期に伊賀の土豪諸家、そして上忍の百地家も服部家も皆、藤林家に臣従し、伊賀が一つになることを選択した。

 家臣とは言え皆対等な身分の仲間であるとされた伊賀の中忍達は、さらに仲間である領民を増やすために、伊勢の代官として各地で農地や産品の開発を進め、伊勢もわずかな間に豊かな暮らしの国と変わって行った。


 数年前、(ももち)半蔵(はっとり)殿は御曹司から熊野の修行中に未来の出来事の予知夢を見られ、また未来にある品々の知識を授かったのだと打ち明けられた。

 それは儂も含めた周りの家族と言える者達を護るために使うと言われていたが、生来の優しさからか諸国の虐げられている民達のあり様を見られ、少しでも救いたいと変わられたのであろう。



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 7月5日昼、伊勢湊で備える我らと伊賀水軍に、明朝出陣して『雑賀五カ郷へ報復を開始せよ』との命が下った。

 この日の朝方には長島の一向一揆勢が伊勢に侵攻を開始し、半蔵殿のいる中野城へ攻め寄せる一軍の中に『八咫烏』の旗印の雑賀衆がいるとの知らせが届いていた。


 

 去年の暮、雑賀衆には御曹司が直々に赴き、長年友誼を交わした近隣の間柄であり、争うことになるのは本意ではない。だから、長島の一揆勢が伊勢に攻め寄せることになっても、雑賀衆が加わることがないようにと申し入れた。

 雑賀衆の有力者である土橋重隆殿は、申し入れを了解し雑賀衆の皆に周知するとのことであった。

 御曹司は、もしそれを違えることがあれば、雑賀の地を攻め滅ぼすことになるとも警告なされた。

 だが雑賀衆はその警告を無視し、伊勢に攻め入る一揆勢に組みして、我が伊勢に銃口を向けたのだ。

 報いを受けさせねばならぬ。平穏に暮らす伊賀の民の領地を奪い取ろうとしたことに。

 容赦はせぬ。雑賀衆が二度と敵対できぬように。

他国が伊賀を攻めるなど無謀と知らしめるために。




「嘉隆(九鬼)殿、命が下った出陣じゃ。」


「おう、鉄砲隊一番隊から五番隊は戦艦『伊賀』へ六番隊から十番隊は戦艦『伊勢』へ乗船開始しろ。長槍隊一番から · · · · 』


 伊勢湊から出陣する艦隊は、5隻の戦艦と30隻の新造船、それに100隻余の小型船からなる前代未聞の一大艦隊だ。

 伊勢湊の周辺や志摩に分散して潜んでいた艦隊が集結する姿を見た他国の商船や湊にいる商人達は、誰しも驚愕の表情を浮かべている。

 それでいいのだ。これが他国に広まれば、伊賀に対する畏怖を持つだろう。それが伊賀を護ることに繋がる。


 30隻の新造船には兵達も乗船しているが、大量に積み込まれているのは越後から運んだ『臭水(せきゆ)』だ。

 越中での一向一揆殲滅戦に加勢した御曹司に褒美として謙信公から越後の『臭水(くそうず)』を大量に譲り受けたのだ。

 おかげで新造船船団は『臭水』の運搬のために、越後との往復をこの直前まで休むことなく強いられたが、帰港すれば休暇が貰えるからと船足がやけに速くなったのは思わぬ収穫だった。

 なにせ船団は、伊勢湊から荒波の大海へ乗り出し土佐沖を回り豊後水道、周防灘、馬関(関門)海峡、響灘などの難所を通る。大荒れの海はもちろん野分にも遭うておる。皆無事なことが奇跡のようじゃ。

 これも御曹司から下された海図が有ってのこと。船長にだけ密かに渡した伊賀の機密書類じゃが。

 伊賀水軍ではこの航海を三度経験すれば一人前と言われとるらしい。



 伊勢湊を出撃した伊賀の大艦隊は、一路雑賀荘の紀之湊を目指した。

 紀之湊の手前で艦隊は二手に別れて、戦艦3隻は沖合から雑賀城を砲撃し、新造船10隻は海岸の船を攻撃して燃やした。

 その間に3隻の戦艦に乗船していた兵が小型船に移乗して上陸。雑賀城攻めを開始した。


 一方、2隻の戦艦に率いられた新造船20隻と無数の小型船の艦隊は、紀之湊に侵攻して兵達が上陸。

 周辺の勢力を追い払うと、湊の商船や漁船を焼き尽くし、海岸線を南下し荷揚げした臭水を雑賀荘の西海岸線に撒き散らした。

 翌日昼前に海風が強まり始めると、雑賀荘の西側一帯に火が放たれた。

 火は臭水により瞬く間に猛火となって燃え広がり商家や民家はもちろん田畑や森、山野に至る雑賀荘一帯を焼き払って行った。 


 次の日以降も燃え残った地域に、臭水が撒かれて雑賀荘一帯は焼け野原と化して行った。

 雑賀荘の領民は城に籠った兵を除いて、火の手が上がると避難を始め、雑賀の内陸部の三郷を始め、大和や堺、南都、根来寺と周辺各地へ逃れて行き、伊賀の報復の恐ろしさを伝えた。

 雑賀荘を焦土と化した伊賀勢は、雑賀城を殲滅し中津城も破壊した軍勢と合流し、雑賀荘の北に位置する十ヵ郷に攻め上がり、中野城や平井城の籠城を尻目に、領地の火攻めを敢行した。

 西海岸を北上組と中央の平井城侵攻組に別れて、残りの臭水を撒き散らし、十ヵ郷の大部分を焦土と化して伊賀へ凱旋した。


 これにより、家も田畑も焼け野原となり湊の船や蔵も灰燼に帰した雑賀荘と十ヵ郷は、今後数年間に渡り人が住めぬ土地と化したのである。

 ただこの戦いで亡くなった者は多くはない。

 雑賀城の砲撃で逃げ出せず城に埋もれた者達と、中津城攻めで討ち取られた、土橋重隆の一族郎党を除けば、火攻めから逃れ避難した者達が大半だったからである。

 以後、雑賀荘と十ヵ郷の雑賀衆は他国に帰農する者や移り住む者が続出し、交易や海運の益を失って没落の道を辿ることになった。

 傭兵として本願寺に雇用されている鈴木孫一達も衆徒の激減を招き戦いによりさらに雑賀衆は少勢力となって行った。


 



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 【 雑賀町の5つの地域 】

 雑賀衆の主要な一族としては、雑賀荘の土橋氏、十ヶ郷の雑賀党鈴木氏などが知られている。

 砂州や砂丘地帯にあり、主に漁業や海運・商業を生業とし一向宗や浄土宗を信仰する雑賀荘・十ヶ郷のグループと、農耕地帯にあり主に農業を生業とし真言宗を信仰する中郷(中川郷)・南郷(三上郷)・宮郷(社家郷)のグループに大別される。

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