第四話 伊賀への帰還と、雑賀衆。
元亀2(1571)年12月 伊賀藤林砦 藤林疾風
足利幕府に組みした石山本願寺の激に従う各地の一向一揆勢は、越前で朝倉家を滅ぼしたのを始め、各地で激しい暴動一揆を繰り広げている。
死ねば極楽。文字どおり死兵となって敵に向かう一向一揆勢は、敵兵だけでなく武力を持たない領民でさえ生きることを許さない。一揆勢の向かった跡には累々と屍が重なり、他宗派の死体など埋葬しないで放置された土地は、疫病が蔓延し人など住めるものではなくなっている。
三河では松平の家臣も一揆に加わり騒乱となっており、越後では越中一向一揆勢と上杉家が対峙し、近江では加賀一向一揆と浅井家が攻防を繰り広げ、山陽の安芸では、毛利家が一向一揆の鎮圧に躍起となっている。
長島での一向一揆勢の尾張侵攻をなんとか防ぎ、織田信長の尾張帰還を迎えた後、信長公と当面領国の防衛に務めることを決め、俺は伊賀へ帰還した。
伊賀藤林砦へ帰還したのは、12月も半ばを過ぎた19日。伊賀では各地へ赴いていた者達の帰還が相次いでいて、俺達も大勢の出迎えを受けている。
「兄上、遅いです。もう待ちくたびれましたっ。」
真っ先に頬を膨らませた綺羅が抱きついて来る。
「疾風様っ、ご無事で何よりでございますっ。」
嫁は潤んだ涙目と満面の笑みを浮かべている。
「千ちゃんと土市くんも無事に着いていますよ。」
母上の隣には、越前で助けた姉弟が並んでいる。二人とも笑顔だ。伊賀での暮らしを受け入れてくれたものと見える。
「「「若っ、若様っ、おかえりなさいっ。」」」
大勢の家中の皆も笑顔で迎えてくれる。俺の後ろには佐助や才蔵を始め、伊賀の精鋭19名がいる。
「父上、母上、みんな、只今戻りました。全員無事でございます。」
「よう無事で戻った。皆の者、ご苦労であった。」
父上が皆にねぎらいの言葉を掛けてくれる。
今回俺たちは、越前朝倉の領内から戦乱の渦中に逃げ遅れた500余名の弱者である老人と子供を助け出した。
その者達は伊勢の開拓地に迎え入れたが、身寄りのないお千と土市は伊賀の母上の元へ送っていた。母上が孤児院で育てることになる。
俺は風呂に入り旅の垢を落とすと舘の父上の書院に赴いた。そこには父上と百地丹波、服部半蔵の両家老が待ち受けていた。
「若っ、ご無事での帰還何よりでござる。」
「助け出したのは、500名にも及ぶとか。難儀でしたな。」
「越前は、酷いあり様でしたよ。一揆勢は見境なく根こそぎ奪い去る無頼の徒で、一揆勢の進路のあとには生き残った者はおりませんでした。」
「戦乱の世の習いとは言え、惨いものですな。」
半蔵殿がそうため息を吐き、百地殿も頷いている。
「長島の一揆に雑賀衆が加わらなくて幸いでした。
もし、雑賀の鉄砲が加われば織田家の被害も甚大なものになっていたでしょう。」
「こちらから、長島の一揆に加われば雑賀との交易を止めると脅していたのが効いたようじゃのう。
しかし、このままではいつ一揆勢が伊勢に攻め込んで来るかわからん。奴らは暴徒じゃからのう。」
父上の言葉に、三人でため息をつく。
「若っ、京では畠山家の軍勢を従えた将軍家が権勢を振るっておりますが、摂津には三好家の軍勢がおり、本願寺一揆勢と一進一退の攻防を続けておりますぞ。天下の情勢は、いかがなりましょうや。」
「おそらくは、京を巻き込む本願寺と三好家の争いには、近く朝廷が和議を命ずるかと思う。
各地の一揆も来年には、まず加賀の一向一揆が上杉家によって破られ、衰退してゆくはずです。」
「すると我らは、ここしばらくは伊勢の防備を続けるしかない訳ですな。しかし本願寺が和議となれば手の空いた雑賀が長島に介入して来そうで厄介ですな。」
「雑賀は伊賀と敵対する気はないが、本願寺に近しい故に要請があれば長島の一向一揆にも加勢しない訳にも参らぬでしょうからな。
ましてや長島の願証寺は、門跡に次ぐ院家を勅許された勅許寺、願証寺を率いている証意は半ば独自に動いておりますからな。本願寺が三好家と和睦したとて、それで治まりますまい。」
「父上、俺が雑賀に使者に参ります。もし、長島の一向一揆勢が伊勢に攻め込み、それを雑賀が支援したならば、伊賀が雑賀を攻め滅ぼすと伝えます。
根来寺にも寄り、雑賀と戦いになった暁に根来が中立を保たなければ伊賀と血みどろの戦いになると伝えて参ります。」
「ふむ、当然のことじゃが予め伝えておくのが良かろうの。」
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二日後、俺は佐助と才蔵を連れ雑賀衆の本拠地である雑賀荘の土橋家を訪れていた。
雑賀衆と一口に言っても、その集団は、雑賀荘 · 十ヶ郷 · 中郷(中川郷)· 南郷(三上郷)· 宮郷(社家郷)の五つの地域(五組・五搦などという)の地侍達で構成されている。
また宗派にしても、浄土真宗の門徒であるのは、十ヶ郷の鈴木氏だけで、有力者の雑賀荘の土橋氏は浄土宗の西山派であり、他にも浄土宗鎮西派や一部には根来寺の真言宗派もおり、必ずしも本願寺信徒ばかりではなかった。
「お会いするのは初めてですな、藤林疾風殿。某が
土橋重隆でござる。」
「藤林疾風にございます。本日お訪ね致しましたのは、他でもなく長島の一向一揆のことにございます。
従前より雑賀、根来の皆様と伊賀は、互いの領地を侵さず交易を通じ誼を通じているところでございますが、本願寺と繋がりの深い雑賀の皆様が長島の一揆衆に加担をなさることもあろうかと存じます。
その際に伊勢に攻め込むことがあれば、伊賀は雑賀を攻め滅ぼしまするのでご承知置きくださりたく言上に参りました。」
「 · · · 雑賀を攻めるとな。それは伊賀にできもうそうか。」
重隆が目を細めて、こちらを睨みつけてくる。
「伊賀はかつて、伊賀に攻め寄せた北畠勢を滅ぼしました。しかし、兵を討伐したのみで、本当に攻め滅ぼしたことはありませぬ。
敵を滅ぼす時は、土地も家屋も全て焼払います。あとには人が住めぬ荒地ばかりとなりましょう。」
「 · · · 、それでは、攻め取る意味がござらんではないか。」
「伊賀は戦国大名ではございませぬ、我領民が穏やかに暮らせれば良いのです。余計な領地など欲しませぬ。」
「 · · · · · 。もし、長島に加勢するとしてもそれは織田家との戦と考えております。その際には長島の証意殿にも伊賀とは争わぬことを言上する所存。
しかし、長島の門徒が伊勢に攻め入るやも知れません。それは如何なされる。」
「その際に雑賀の皆様が加わっておらねば、伊賀としては一向一揆を打払うだけにございます。雑賀とは事を構えるつもりはございませぬ。」
「わかり申した。このこと、しかと雑賀の一同に伝え申す。」
帰路に根来寺に寄り、雑賀との話を伝えるとともに、争いとなった場合に介入無きよう申し入れた。
もし、雑賀や根来と戦になれば、それは血みどろの戦となるだろう。雑賀にも根来にも数千丁の鉄砲があり、伊賀も加えればこの国の7割以上の鉄砲で争うことになるのだから。




