第六話 永禄の変と、甲賀 和田惟政
永禄8(1565)年6月 伊賀藤林砦 藤林疾風
先月5月20日に京の見張り組から、前日19日に、京の二条御所が襲撃され幕府13代将軍足利義輝が、殺害されたとの急報があった。
襲撃したのは三好義継・松永久通(松永弾正の子)の軍勢とのこと。
史実に残る《永禄の変》である。
事件の知らせは、伊賀甲賀伊勢の代官に速報し、次の定期評定で、詳細と我が領への影響を協議し、畿内の大名達の動静に注意を払うことを周知した。
史実であれば幕臣であった甲賀の和田惟政が将軍の弟である覚慶を助け出すのだが、伊賀に臣従して今は甲賀の警備奉行をしているから、そうはならないかと思っていた。
それが今日、舘に和田惟政殿が訪れ、父上に陳情したいとの申し出があった。父上は、家老の二人と俺に同席を命じ、今書院に来ている。
「和田殿、どうかされたかの。甲賀の警備で何か、ありましたかな。」
「大殿、誠に申し上げ辛いことなのでございますが、私事にてお願いの儀があり罷り越しました。
私は先年、幕臣として亡き義輝公に仕えておりました時期があり、意見を違えたことで蟄居を命じられ幕臣を辞しております。
幕府とはそうしたご縁があるところ、此度の事件で、難を逃れた幕臣の細川藤孝殿より、義輝公の弟君〘覚慶〙様が幽閉されており、このままではいつ殺されるやも知れぬ、救出するのに力を貸してほしいと頼みの文が参りました。
私は今は伊賀の元に、領民の一人として生きる立場でございます。
しかし、将軍家には恩義もありますれば、此度の儀を私個人の一存にて、私事としてお許し願いたく罷り越しましてございます。」
見張り組の報告によれば、覚慶は松永久通らによって捕縛され、興福寺に幽閉されているはずだ。
「救出していかがするのじゃ。」
「六角殿の元へ、お連れしようかと。」
「疾風、いかが思う。」
「覚慶殿は、お年28のはず、ご自分の考えをお持ちかと思います。あたら兄君の死で巻き添えになるは不憫。救出することは吝かではありませぬが、そのあとのことを考えねばなりません。
たとえ和田殿の私事であっても、伊賀が関わったと知れることは避けねばなりませぬ。」
「御曹子、いずれにせよ、手を貸せば幕臣どもから伊賀が助けたと知れてしまいますぞ。」
「若殿は、お助けする気ですな。はて、どのような企みをお持ちですかな。ふふっ。」
「百地殿、俺を悪者みたいに言わないでほしい。
まあ、手立てはあるにはあるけど。
父上、伊賀が手を貸さなければ良ろしいのです。雑賀の衆を使いましょう。
和田殿、雑賀の衆との交渉をお願いします。
たぶん、覚慶殿の救出の指揮もですが、よろしいですか。」
「若様ありがとうございます。この御恩、和田惟政、生涯忘れませぬ。」
7月28日、奈良の興福寺に伊勢屋の数台の荷車が入った。一条院門跡の部屋へ挨拶に伺った伊勢屋の手代と供の者二人は、四半刻もして退出しており、その後の門跡の部屋からはお経を上げる声がしていたので、周囲を監視する三好の兵は怪しむことなく、警戒を続けていた。
だが四半刻後にはお経が途絶え、訝しんだ三好の兵が部屋に入ると、中はもぬけの殻であった。
覚慶が逃亡したと気づいた三好の兵達は、すぐに追っ手を四方に走らせた。
そのうちの一組は僧形姿の一行を見つけ、捕縛しようと近づいたところ、雑賀党の旗を閃かせた一党に射撃を浴びせられ、追跡を断念した。
覚慶の一行は雑賀衆に護られて、大和から木津川を逆上り伊賀を経由して、都から遠くない近江国の矢島村に辿り着き在所とした。(矢島御所)
六角家の兵に警護が代わるまでは、雑賀衆が警護していた。
「雑賀の衆は、覚慶様にお味方くださらんのか。」
「我らは傭兵。さる方に雇われ覚慶様の警護をしておるのですじゃ。
六角家の兵が来られれば、用済みにておさらばしますじゃ。」
「そなた達を雇い我らに助力してくれたさる方とは誰なのじゃ。」
「そのお方は、亡き義輝公に御恩を返すためと申されたのじゃ。身分は明かせんのじゃと。」
覚慶は、還俗して義秋と名乗り義輝公の側近達、一色藤長、仁木義政、畠山尚誠、米田求政、三淵藤英、細川藤孝らを従えて、足利将軍家の当主であることを宣言した。
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永禄8(1565)年9月 伊賀藤林砦 藤林疾風
「あの時は、内心ひやひやでしたよ。だって興福寺は南都六宗の法相宗なんですよ、なのに俺が唱えたのは、真言宗の般若心経なんですから。
興福寺のお坊様に聞こえて咎められたら、どうしようかと思ってましたよ。」
「夜霧丸殿はようやりましたぞ。《七方出》の腕前はなかなかのものでしたな。」
七方出とは「虚無僧」「出家」「山伏」「商人」「放下師(大道芸)」「猿楽(物まね)」「常の形」を言い、常の形とは武士や百姓、町人で他国に住み着く場合に使われる。武士、百姓、町人は関所を通れなかったからである。
ちなみに今回の救出作戦にあたり、伊勢屋の商人に扮し、覚慶殿と入れ替わって、お経を唱えたのは夜霧丸である。
「夜霧丸様は、ご活躍なさったのですね。」
「ええ、そうよ台与ちゃん。夜霧丸殿は凄いのよ。
それに比べて、うちの疾風は隠れていただけらしいから。」
「まあっ、栞様。全ては疾風殿の策略なのですから、隠れていただけなんて。」
「「「「あんまりですわっ、あはははっ。」」」」
今日は藤林砦に、望月家の一家と和田惟政殿が見えている。なんか分からんが最後は俺を弄った話になるのは、やめてほしい。
覚慶殿の救出劇は、こうして終わった。
次回は『儚き無き、戦国武将の女たち』です。




