第二話 志摩討伐と、伊賀水軍。
永禄6(1563)年11月20日 伊勢伊勢港 藤林疾風
浅井家の見張り組からの知らせでは、観音寺崩れから3週間が経って動きがあり、美濃に出陣したとのことだ。当面、領境の警戒は維持するが伊勢への危険はないようだ。
早朝の港を12隻の新造船と、その倍以上もある新造の大型戦艦3隻が出航して行く。
それを見送ると俺は才蔵と佐助の二人を従えて、志摩磯部へ向けて馬を駆る。
先行した下柘植小猿に率いられる鉄砲隊200と、城戸弥左衛門率いる伊勢衆600に合流するのだ。
俺は、この陸路討伐隊を二手に分け、弥左衛門の一隊は千賀家、的屋家、三浦家を。
俺のもう一隊は国府内家、甲賀家、和具、越賀家に攻め入ることにした。
〘伊賀水軍 九鬼嘉隆〙
伊勢の港を出て、大型戦艦1隻に新造船4隻を1組とした三つの艦隊に別れる。
第一艦隊は俺が率いて志摩の中央の三浦、甲賀、国府内に向い、第二艦隊は釜石左衛門が率いて遠方の越賀、和具に向う。第三艦隊は鍋島右京が率いて手前の千賀と的屋の水軍を殲滅するのだ。
風向きは逆風だが、三角帆で風上へ操船する術は訓練済だ。風に向かい45度の斜線を取り一定距離で転回を繰り返す。
志摩の港では早朝の漁から戻った船に、人だかりが見える。俺の大型艦は沖合いに待機し、新造船に接近攻撃を命じた。
新造船には、迫撃砲式のパイプ筒の噴進弾砲が、左右に3門ずつ、焙烙玉の投石機が4機ずつ備えられている。
まず停泊している大きい方の関船から破壊する。破壊だ、墳進弾砲一発で関船は真っ二つになる。
小早は投石機の火炎壷で炎上させる。ものの半刻で完了、次の目標に向かう。
次の甲賀の港では、陸路討伐隊の鉄砲の音が響いていた。女子供が逃げ出そうと浜に出て来たところらしい。俺達が関船を破壊すると諦めて座り込んでしまっている。
さて、さっさと片付けて次へ向かうとしよう。
〘陸路討伐隊 城戸 弥左衛門〙
千賀家の小城に到着すると、門番が二人暇そうに話し込んでいる。怠慢の罰だ。そう呟き、小猿殿へ頷くと鉄砲隊の二人が膝撃ちで二人を葬った。
屈んでいた男の頭と、立っていた男の心臓に一発ずつ、鮮やかな腕だ。いや銃もいいのか。
閑静な中に銃声が響いたというのに、誰も出て来ない。小猿殿の鉄砲隊が先行して城に侵入した。
城内を進んで行くと、庭掃除の下男がいて大声で『敵襲っ、敵襲っ。』と叫びながら逃げて行った。
尚も進んで飛び出して来た家臣達に銃口を向け、『我らは伊賀の軍勢、刀を捨てて降伏せよ。刃向かう者の命はないっ。』そう声を上げた。
数名が攻め掛かって来たが銃の轟音が轟き、攻め掛かった周囲の者も含め、30人ばかりが一瞬にして葬られた。
轟音と硝煙が止むと『静まれっ、静まれっ。』と言いながら、千賀志摩守が出て来て降伏を申し出た。
永禄6(1563)年11月20日 磯部代官屋敷 藤林疾風
志摩の地頭7家の討伐はその日の内に終わった。
7家全ての城に火を掛け燃やし尽くした。
夕刻に7家全ての者を磯部の代官屋敷前に集め、皆を座らせて始末を言い渡した。
「男達のうち、武士として生きたい者は立て。」
多勢の者が立ち上がった。
「伊賀は民の国だ、武士はいらん。今立ち上がった者達は、2日以内に伊賀伊勢から立ち去れ。」
「御曹子、我らを伊賀の水軍にお加えくださいっ。お役に立って見せますっ。」
「いらん。一度臣従を誓いながら破った者など信用できぬ。まして争いを起こす者が居ては迷惑だ。」
「では、伊賀の民として暮らす者とその家族達は、これから伊勢へ参る。ついて参れ。」
伊勢に向かう者達は着くのが夜半になるだろが、向こうには炊き出しの飯と寝床が用意してある。
追放とした者達は、城は焼いたが民家は無事なのだから、なんとかするだろう。
畠山領の地縁を頼るか、織田に士官して水軍の兵となるか。武士として生きる道を選ぶならば。




