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伊賀忍者に転移して、親孝行する。  作者: 風猫(ふーにゃん)
第四章 伊賀忍者 藤林疾風 戦国の世直し。
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第一話 伊勢神宮と、観音寺崩れ。

永禄6(1563)年 夏 伊賀藤林砦 藤林疾風


 夏の強い日照りがもう10日も続いている。伊賀や伊勢のような灌漑用水路のない土地は干ばつ被害に見舞われることだろう。

 百地砦で作っていた《硝石丘法》による硝石が、先月成功した。

 さっそく少し頂戴して、実験と称して氷を作り、かき氷を家族と家老二人、及び除け者するとうざい三人官女に振る舞っている。


「ちめたいっ。」

 いち早く口に入れて、声を上げたのは綺羅(いもうと)様だ。定番のイチゴシロップで食べている。


「あらあら、暑い日に氷が食べれるなんて皇后陛下でもあり得ないと思うわ。幸せっ。」

 甘味に目がない母上は、黒蜜でご満悦だ。


「儂のもなかなかの味ぞ、歯に沁みるわい。」

 父上が食べているのも、定番の小豆だよ。


「夏の暑い日に何よりですなっ。」

「硝石にこんな使い方があったとは。」

 酒好きの半蔵殿は焼酎、百地殿は初めてなのに、通が好むスイという砂糖水掛けだ。


「お方様、(こう)は藤林家にご奉公できて、本当に良かったですっ。」

「楓は生涯、藤林家におりますわっ。」

「梅はもう思い残すことなくあの世へ参れます。」


 侍女コンビは、欲張って色々掛けてる。おまけに楓は行き遅れ志望か。婆やはこの前、心太(ところてん)を食べた時もそう言ってなかったっけ。



 伊賀にも伊勢にも数々の寺社がある。その中でも飛び抜けた存在、それは伊勢神宮だ。

 伊勢神宮が他の寺社勢力と違うところは、朝廷と密接な関係にあるほか、全国の領主達の信心を受けているところだ。

 すなわちどこの大名にも組みしないし、武力勢力ではない。だから、俺達も敵対していない。


 俺達が北畠家を滅ぼし伊勢を平定した際に、

伊勢神宮の祭主で神祇大副藤波朝忠殿と話をした。

 俺達の立場は民の一人であり、大名でもなく武家でもない。寺社に対しては個人として、敬意を持っているし、干渉するつもりもない。

 藤林家を一人の氏子と思っていただきたいと。


 それに対して朝忠殿は『我ら伊勢神宮は、皇統の始まる昔から、国と民の安寧を願い神々を奉って来た者にございます。藤林殿が民ならばまたその安寧を願うばかりでございますよ。』

 そのように言っていただいて、伊勢神宮とはとても良好な関係にある。


 伊勢の開発に併せて、門前町の街路を整え旅籠や飲食店、それに土産物屋の支援もした。

 具体的には石畳の路を広げたり、それに伴う建物の移築に補助をしたり、土産物商品の開発に伊勢の人達を巻き込んで、コンテストを開いて盛大にやったからね。

 朝忠殿は審査委員として皆と和やかに話をされ、伊勢神宮への親近感が高まったと喜んでくれた。


 伊賀や伊勢には伊勢神宮の他に寺社が多くある。幸いなことに、所領(荘園)を持たない中小の寺社が多く、所領があっても武力を振るうことのない宗派なので争いは起きていない。

 隣の畠山領には領地持ちの根来寺があるけどね。

 それらの寺社には大人も含む寺子屋を開いて貰う代わりに、居住者の分の米や野菜を2週間に一度、寄進しているんだ。



✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣




永禄6(1563)年9月吉日 伊勢 伊勢神宮



 伊勢神宮外宮の遷宮が実施された。神宮全体では101年ぶり、外宮のみでは129年ぶりのことになる。

 伊勢をうちが治めるようになって、民心が落ち着き門前町の立派に生まれ変わって、式年遷宮を行うに相応しい状況になったからね。

 ただ、式典には朝廷からの公卿や大名の使者達が参列するから、俺達は一般の氏子として参加した。

 参加したのは母上と綺羅(いもうと)と俺、お付きの楓と紘に護衛の才蔵と佐助の7人。見物客を装って見ていたけど、さすが古式ゆかしい儀式だけあって見応えがあったよ。



永禄6(1563)年10月2日 伊賀藤林砦 藤林疾風


 近江六角の見張り組から急報が届いた。

『ついたち ろつかくよしはる じゆうしん ごとうかたとよ おやこさつがい』

 

 史実でいう《観音寺崩れ》だ。父上はただちに、緊急評定を招集、3日後に開くこととした。

 半蔵殿は浅井朝倉と織田斎藤の見張り組に増援を出し、動静を詳しく探るように指示。

 百地殿も根来雑賀など畠山領の探索強化を指示。

 道順は近江六角の現場指揮のために出立した。

 弥左衛門(城戸)は、評定に先立ち伊賀の代官達を招集し、事件の概要と戦に備え行商に出ている者達の帰還を指示した。


 


「皆には緊急評定に駆けつけてもらい済まなんだ。

 去る10月1日近江六角の観音寺城内で、当主六角義治の指示で、重臣の後藤但馬守と壱岐守の父子を殺害した。

 理由は、おそらく若い義治に但馬守が苦言などをしたからであろう。苦言を受け止めることができぬとは愚かなことよ。

 

 うちの疾風なら、どこ吹く風じゃがなっ。

『『『若なら、くすくすっ、くっくっくっ。』』』

 

『父上、不謹慎ですっ。俺は関係ありませんっ。』


 ゴホンッ。それでじゃ、観音寺城の六角重臣達が

皆急ぎ領地に戻り、戦も辞さん様子とのことじゃ。

 この事件の始末ができるまで、六角は動けまい。

じゃがその隙を突いて動く者があるやも知れぬ。」


「大殿、浅井は六角を攻めましょうか。」


(いや)そうはすまい。攻められれば六角は非常事態。返って六角団結の助けとなる。

 じゃが六角の動けぬうちに伊勢に攻め込む可能性はある。それに備えて、伊勢国内各城は近江領境の三城へ第一陣の兵を送れ。

 追って、家老半蔵より陣立など説明致す。」


「大殿、伊賀衆は如何様にすればよろしいのか。」


「追って家老丹波より詳細を指示するが、第一陣は藤林砦に詰め情勢に応じ出陣となる。」


「大殿、織田は動きますまいか。」


「わからぬ、動けば見張り組から知らせが入る。

それからじゃ。」


「大殿、志摩は如何なされます。」


「予定どおりよ。浅井や織田の動きを確かめてからじゃ。しかし志摩の方から動く可能性もある。

 伊賀水軍は臨戦態勢で迎撃できるように備えよ。

いずれにしても戦となるのは間もなくじゃ。」


「「「「「「はっ。」」」」」


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