第三話 藤林家の発展と、伊賀の団結。
俺が修行から館に帰還したのは、3月の上旬。
さっそく現代から持参した種籾や種を植えるべく、藤林家の領地を見て回った。
山間にある伊賀の国としては、平野部がある方だというが、川沿いに狭い農地があるだけで主作物は麦で水田はない。野菜も山菜のたぐいを家の近所にわずかに育てているにすぎない。
おまけに土壌は弱酸性質で、作物にはあまり適していない。
俺はまず、近くに石灰岩を探し土壌の改良から始めた。次に、大工道具を駆使して水車を1基作り、1町步(約1ha)の水田を作った。
水田を作っている間、種籾から苗を育てなんとか5月の初めには、田植えができた。
水田作りも田植えも、主に女性の家人達が総出で手伝ってくれた。
また、大瓶と竹筒に粘土を塗って漏れないようにした管を駆使して簡易な蒸留器を作成し、麦を原料に焼酎を作った。
焼酎には味がないので、里の子供らに野いちごを摘んでもらい野いちご風味とした。
父上や大人達には大好評だったけど、当面の自家消費は厳しく咎め、大和の寺院や神社に販売した。
初期の売り上げを資金を元に、鍛冶職人に本格的な蒸留器の製作を依頼できた。
蒸留酒作りは女達の仕事となった。そのおかげで焼酎作り1年目にして、藤林家の年収が倍増した。
その年の秋には、鋤、鍬、つるはし、すこっぷ、手押一輪車、千歯扱き、唐箕(風力の籾殻選別機)を職人に作らせ、家中に行き渡らせ販売もした。
また、牛馬を購入し農民に雌雄1組を育てさせ、牛は乳牛と田起こしなどの農作業に用い、馬は繁殖させて軍馬として販売や自家用とした。
ニ年目は石灰で土壌改良を大規模に行い、水田を20町步に拡大して、海水による籾の塩水選別を行い(水田は最初から正条植え)、水田には鯉の稚魚を放って、雑草や虫の駆除を容易にした。
このほか、さつま芋と馬鈴薯、トウキビ、大根、人参、長ねぎ、玉ねぎ、ほうれん草、大豆、小豆、えんどう豆なども、前年の収穫の半分超を種に回し各所で栽培させた。
焼酎の大型蒸留器は、10台に増やし、伊賀の他家からも女衆が出稼ぎに来て、伊賀全体の収益増となっていた。
下手をしたら、男衆の忍び働きよりも実入りがいいのである。
藤林家の周辺の中小5家が、藤林家に臣従を申し出てきた。これを受け入れ、三年目に向け、水田の開墾と土壌の改良を進めているところだ。
資金を得た俺が、次にやらねばならないことは、軍備の増強である。
刀槍、鎧兜、そして鉄砲。籠城するための城砦の建築。堀や石垣の建設。
いつの間にか、伊賀の領地には、商家が6軒もできている。酒屋、塩や豆や味噌などの雑貨屋、茶碗や箸などの小間物屋、着物の呉服商、鍛冶屋、桶屋である。
そしてその中心にある建物は、藤林家の商品取引所である。各地の商人がここで、焼酎を初め椎茸や大豆醤油、農機具や家具塗り物、農作物を買って行く。うん、商品は絶賛拡大中だからね。
商人達は、道が険しいため、伊賀を流れる久米川などの水利を利用して、やって来る。
実はこの水運も、藤林家が舟を自前で造り、伊賀の領民を使って、商人から運送費をせしめているのだ。
なんだかんだ、3年目の夏にして、藤林家の収入は、以前の30倍を越えている。
というのも、昨今の男衆は、雇われの忍び働きではなく、行商人として藤林家の商品を売り歩いているのだ。
従って、もう安く命を賭けた危険な忍び働きは、しなくても良くなり、伊賀は商人の国に、生まれ変わりつつある。
既に、藤林家以外の上忍ニ家である百地家、服部家も、忍び働き以外の伊賀の領地経営に関しては、半ば藤林家に臣従している。
俺は、父上とともに、百地家、服部家に対して、武士として扱われない忍び働きは、高額でない限り避け、領地を富ますことに力を入れるべきだと説いた。
そして、いずれ淘汰され強大となった大名が、伊賀に攻め込んで来る時に、備えるべきだと説いた。
両家とも、伊賀が一つになり、防衛に当たることに賛成し、藤林家を筆頭上忍として、協力体制を敷いて行くことになった。
「百地丹波殿。百地家は鉄砲や火薬を使うことに長けておられます。そこで、馬の牧場を設け、馬の飼育とともに、馬の糞尿を使い火薬の原料である硝石を作っていただきたい。」
「なんと、疾風殿。硝石が作れると申すのか。」
「はい、3年以上掛かりますが、作れます。」
「服部半蔵殿。服部家には、織田信長様、松平元康(徳川家康)様との誼を通じていただきたい。暗殺や戦働きは避け、情報提供で恩を売ってくだされ。情報収集には我ら三家が協力して当たりましょう。」
「承知いたした。藤林殿は織田が伊賀の脅威になると睨んでいるのですな。俺も同意見にござる。」
「しかし、海道一の弓取りの今川もおるぞ。」
「百地殿。今川義元は、馬に乗らず、御輿をつかいます。本陣を攻められた時、それが致命傷になります。」
「なるほど。今川は大軍、織田は寡兵、すると寡兵では奇襲しかないか。なれば、御輿は不利じゃのう。」




