第三話 伊賀の軍備と戦術、そして戦略。その1
永禄4(1561)年 1月 伊賀藤林砦 藤林疾風
お正月です。 藤林家中の皆は真新しい着物に
身繕いして、藤林館の別館に勢揃いだ。
一昨年に伊勢で栽培を開始した綿花で、昨年伊勢木綿の機織りを始めた。機織り機器としては、水車を使った水力紡績機、飛び杼を導入した。
そして、最初にできた織物が藤林家に献上され、伊勢屋で着物に仕立てられたのだ。
「明けましておめでとう。」
「「「おめでとうございます。」」」
父上の言葉に、‘皆がおめでとう’を唱和する。
その後は正月の膳を囲み懇親会だ。
「いやはや、昨年の秋は限りない豊穣の秋でございましたなぁ。年貢を四公六民にして民も格段に裕福になり申したが、商いの上がりはその何倍もあり、今や伊賀伊勢の石高は、日の本随一となったのではないですかな。」
「さようさよう、若が次々新しいことをおやりなさるから、我らは目のまわるような日々でござるが、その甲斐は十分にございますな。」
「きゃぁ、お方様がお身付けているものは、皆若様からの贈り物でございますね。若様は、母上大好き過ぎでございますわ。」
「綺羅も貰ったもんっ。」
「あらまあ、綺羅様も兄様から愛されてますよう。
ほほほっ。」
家臣達は、俺から貰った土産の自慢をしている。特に半蔵殿の槍と百地殿の刀の周りには、人だかりが凄い。
危ないんじゃないかな、酒席で刃物を出すのは。
年末には伊賀各地で餅つき大会を開き、領民達に漏れなくお供えとのし餅や豆餅を配りました。
餅つき大会ということで、子供達には餅の細工で好きな形のものを作らせました。うさぎや狐の動物シリーズが多かったけれど、舟や橋など潰れてよくわからない家なんかもあったらしい。
賞品は、小豆や大豆や白豆の餡や各種フルーツのジャムなどの甘味。参加した子供全員に好きな味を選ばせてる。
甘味と言えば砂糖ですが、伊勢を支配地に収めてから、伊勢志摩の南部でサトウキビのプランテーション栽培を始めている。
サトウキビの栽培は、甘味としての砂糖の他にも使用目的がある。
植物から得る《バイオ燃料》です。サトウキビを発酵・濾過してアルコール(エタノール)を作り、灯の燃料に使用するのだ。
前世のキャンプで使ったコールマンの《マントルランタン》の記憶をもとに、灯を作らせた。
マントルランタンのしくみは、マントルという、バーナーの口に取り付けられた、布製の網が燃え尽きた後、灰の光源になり強い明るさを出すのだ。
マントルの網には、希土類塩を含ませた布を使用します。網が燃え尽きると希土類塩が酸化物に変換されて非常に壊れやすい固形物が残り、バーナーの炎の熱にさらされ白熱し明るく輝くのだ。
ランタンの使用目的は家庭の照明に限らない。
一つには灯台に使いました。伊勢の港に設置したほか、海の難所である熊野灘にも設置した。
さらに画期的な使用方法として、ランタンを使用した通信手段を考案した。
話は飛びますが、伊賀の忍びには《忍び文字》と呼ばれる暗号文字が使われていた。
漢字の偏と旁の組合せで作った暗号文字だ。
本来の忍び文字は、イロハに基づくものだが、50音に例えば、
ア行の偏は【色】で、旁は【火】【木】【土】。これにより、【色火】【色木】【色土】で〘ア〙〘イ〙〘ウ〙となる訳だ。
話を戻します。この忍び文字の暗号を使い伊賀流モールス信号の開発をし、通信手段としたのだ。
50音のアカサタナを長短と回数で表し、その後にアイウエオを回数で指定する。
もちろんランタンによるモールス通信は、夜間しか使えないが、晴天の昼間は太陽光の鏡反射で、曇天の時は太鼓を使用するのだ。
これらによる通信網を伊賀伊勢国内に、中継砦(見張り塔)を築いて整備しました。
これにより、藤林砦までは一番遠方の伊勢桑名の駐在所から、半日で通信が届くようになりました。




