第二話 民を護る武器、豊かにする器具。
永禄3(1560)年 9月20日 伊賀藤林砦 藤林疾風
高く晴れた空が青く透きとおり、爽やかな秋風が黄金色に穂を垂れる稲を揺らして通り過ぎる。
俺が伊賀に来てから4年目の秋になる。
今年伊賀は隅々まで田畑や用水路が整い、気候も良かったので大豊作になった。
領民こぞって喜んでいるのを見るのは、俺にとっても嬉しいことだ。
灌漑用水路の整備と時期を同じくして行なった、木津川の支流の服部川の堤防を歩いていると、畑で野菜を収穫している領民達から声を掛けられた。
「若様〜、この大根見てくださいよ〜、こんな大きなの、初めて取れましたよ〜。」
「良かったな〜、丹精込めたからだぞ〜。」
「若様〜、この前のお月見にくださった〜、お団子〜とっても美味しかったよ〜。」
「ああ〜、町の女衆が〜、手伝ってくれたんだよ〜。」
歩きながら大声を出すのは疲れる。でも声を掛けてくれるのは嬉しい。
女中の絋が言っていたが、領民達の間で俺と話をしたことが自慢話になってるらしい。
俺が堤防を歩いているのは、この冬に領民達を、募ってやる賦役の場所を探しているからだ。
今まで職人達が各々の場所で行なっていた作業を集約して、工業団地を作ろうとしている。
それには動力の導入が不可欠だが、今の時代では水力しかない。それで水車を設置するのに良い場所を探しているのだ。
作ろうとしているのは、水力を利用した回転鋸や鉋での製材所。プレハブ工法のパネルを作る工房。
鉄パイプや鉄板、ボルトやナットを作る鉄工所。この三つを川辺に作り、周辺には農具、鍋釜ヤカンなどの日曜品の工房。刀や包丁を作る刀鍛冶の工房などを考えている。
ただし、鉄砲の鍛冶場は藤林砦の中にするが。
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秋11月。商家集落の裏手にある野菜加工場では、各種漬物の加工が最盛期を迎えている。
総勢300人もの女衆が大根に蕪に茄子に胡瓜を、洗い刻み麹や味噌や塩漬けにしている。
昨年から始めた伊賀産の漬物は、京や河内で評判なのだ。
同じ頃、服部川の川辺では、巨大な水車が何台も設置され、太い丸太の軸棒や鎖のベルトで伝えられた回転動力が、堤防の外に建てられた工房団地へと繋がり、工房での生産が始まっていた。
最初にできたのは製材所。水力の回転鋸や鉋で、次々と柱や板や角材を作り出している。
二番目に完成したのは、プレハブ工房。規格されたパネルを生産し、このパネルで他の工房の建物を造って行った。
これらに先立ち俺は、各工房に作らせていたものがある。伊賀焼きの工房には陶磁器の枡、1合と5合と1升(10合)の枡。枡は型枠で作ることにより、均一の規格のものを大量生産できる。
竹細工の工房には物差し。基準となる枡と物差は藤林砦の資料館に納めてある。
そして、本命の鉄パイプの工房が稼働した。
俺がどうしても作りたい物がライフル銃だ。
だが、どうやったら真っ直ぐな銃身を作れるだろうか。どうやったら均一の鉄筒が作れるだろうか。
悩んで考えた結果は、轆轤を使うこと、糸に錘を付け直線を得ることを考えついた。
上下又は左右を挟む形のロクロを使い、鉄パイプ鋳造のためのセメントや粘土の型枠を作らせた。
ロクロの動力は、もちろん水力である。
ライフル銃を造るには、かなりの精度を要求されるため職人達の修練として、初めに太い鉄パイプを作らせた。直径10cm長さ2m程のパイプである。
連結部に内径のパイプを付け、採掘用にスクリュー状の刃を取り付けたものも作らせた。
これで何をするかと言うと《打ち抜き井戸》という工法で井戸と温泉を掘るのだ。
温泉はともかく井戸の数はとても少ない。沢まで水汲みに行くのが、女子供の重労働となっている。
井戸は各集落に5ヶ所程度を掘り、別に作らせた手押しポンプで、井戸の横に設置した大型の木樽の浄化槽から、飲料水を得られるようにした。
それから温泉。手始めに未来知識であると分かっている名張地区で掘り当てた。
岩をセメントで固めた大露天風呂を男女2浴槽、着替えと休憩所の建物一棟を作らせた。
この時代の風呂は鍋で蒸気を立てて入る蒸風呂で、お湯に入る湯は庶民のものではない。
ましてや共同の風呂屋があっても混浴なのだ。
『えっ、俺が誰と風呂に入っているかって。それは秘密ですっ。まあ戦国時代のことですから。』




