第九話 諸国行脚 越前 一乗谷
越前の守護 朝倉義景は、今年27才。16才で父親を亡くし家督を継いでいる。5年前までは、祖父の弟である朝倉宗滴が軍事·内政を補佐していたが、亡くなって今はいない。
宗滴があまりにも、軍略や内政全般に優れていたために、今は家中を纏める者がいないというのが、世間の評判だ。
朝倉家の本拠地、一乗谷の城下町に入ると、祭りのような賑わいで、商家のならぶ町並みは、人で溢れていた。
「若旦那。たいした賑わいですな。何かの催しでしょうか。」
「才蔵さん。そこの店の丁稚さんに聞いたら、朝倉のお殿様が、京のお公卿様をお迎えになって、猿楽の一座を招いたそうだよ。町外れの河原の舞台で、日が暮れたら興行するらしいよ。」
「よし、お銀。見に行こう。」
「ええ〜、若旦那いいんですか。商売とか他の用事とかないんですか。」
「ない。お銀は見たことがあるかも知れんが、俺達は見たことがない。」
「いえ、あたしだって、田楽なら見たことがありますけど、猿楽なんてありませんよ。」
「じゃあ、決まりだ。」
それから俺達は、空いている宿を探すのに一苦労したが、なんとか見つけ早めに夕餉を取り、夕暮れの河原に向かった。
舞台は、客席を求める人で混雑していたが、値の張る2階席が取れ、階段になっている席に座れた。
日が暮れると舞台の周囲に、かがり火が焚かれ、赤い炎が揺れて、皆が静まり返ったそこは幻想的な世界に来たと錯覚させた。
どこからともなく、哀愁を帯びた笛の音がして、一人の白拍子が現れて舞う。
白拍子が舞台から去り、鬼面を付けた武将らしき男が現れ、所作に合わせて謡が入る。
どうやら、男は源平の昔に破れて死んだらしい。
男は、この世の無情を低い抑揚で語るように謡う。
そして、舞台にまた一人、面を付けた男が現れ、鬼面の武将に驚き、なぜ成仏しないのかと尋ねる。そして鬼面の武将は、現世の時の身の哀れを嘆き、この世への未練と後悔を語り踊る。
それを聞き男は、ただ同情し頷くばかり。鬼面の武将は、語り終えると我が心の内を知って欲しかったのだと、言い残し消えてゆく。
ほかにも、笛、太鼓に合せた娘集団の舞や、京の賢い童と、田舎者の男の、噛み合わない笑いを誘うやり取りなどが演目にあった。
俺達は、舞台の余韻に浸りながら、観客の皆が去るのを待っていた。
あらかた去った頃、一座の一人と思しき老人に、話し掛けられた。
「いかがでしたかな。楽しみなされましたか。」
「恥ずかしながら初見にて、見惚れておりました。なにか「幽玄」を見ていた気がしております。」
「それは、それは。この上ないお言葉ですな。
商人さんとお見受けしますが。」
「伊勢の商人 八兵衛と申します。」
「わては、この一座を率いております、観世宗節でございます。今宵は良い方に見ていただきました。
ははは。」
✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣
永禄3年(1560)年 7月8日 伊賀藤林砦 藤林長門守
「おお、二人して何の話じゃ。ところで、例の硯箱は、どうじゃ使うておるか。」
「大殿に、ご報告がありましてな。二人して参りましたのよ。
御曹子からの硯箱は、家宝として飾っておりますなぁ。ははは。」
「御曹子が、伊勢で作らせました《油筆》が出回りましてな、そちらの使い勝手が良いものですから、硯箱は飾ってますなあ。」
「なにせ、捨てていた魚油に墨を混ぜた、乾きにくい筆ですから、皆、そちらを使っておりますよ。
筆と筆覆いがあれば良いのですからな。硯は用なしですわい。」
「ところで大殿。御曹子が山師達に探させていた、鉱山ですが、先に見つかった名張の鉄石以外にも、続々と見つかっておりますぞ。
紀和の金・銀・銅・鉛・錫など。勢和の水銀。
藤原の銀。大山田と鳥羽の銅。
主なところだけでも、宝の山ばかりですぞっ。」
「既に採掘を進めとりますが、鉄の精錬とか、銅から金銀を取り出すのは、御曹子の帰りを待たねば、どうしようもありませんな。」
「まったく、神憑りにも、ほどがありますな。
秘密ばかりで、隠匿に伊賀者達が大忙しですわい。」