第六話 諸国行脚 甲斐の忍群
甲斐の武田家には、二つの忍び集団がある。
《三ツ者》と、《歩き巫女》である。
武田信玄は、甲賀者や信濃出自の忍者達を雇い、呼び名は透波ともいうが、三ツ者の名前の由来は、間見(間者)見方(偵察)目付(監視)の三職を担った者達の総称から来ている。
三ツ者は、出家、町人、百姓などからも抜擢している。
《歩き巫女》は、女性の忍び集団で、頭領は巫女頭の望月千代女という。
千代女は、甲賀の望月家の血筋で、忍術を心得ていて「甲斐信濃巫女修練道場」を開いた。
道場には、戦災孤児、捨て子、迷い子の中から、美しい女の子を買い取り、拾い、誘拐して集めたと言われている。
巫女は、神社の神職なので民から崇められる存在であり、関所の通行が許されたことが間者とされた所以である。
巫女達は、白衣の装束に、紺の風呂敷を背負い、白木の梓弓を携えて、全国の祭りや市を流れ歩き、祓はらいや禊みそぎを行った。
駿河から富士川沿いの街道を来て、甲斐の城下町に入る。(城はなくて館。)
北条領も街道が整備されていたが、甲斐も伝馬制という、早馬のための直線道路《棒道》があり道がいい。
「若旦那。甲斐も良い道ですが、関所での詮議が、ずいぶん厳しいですね。
それに、日に何度も早馬が駆けて、いささか騒がしいですね。」
「戦でもあるんだろうよ。今川家が織田家に負けたからな。上杉家が動いているのかも知れん。」
「それにしても、道中、ずいぶんと、歩き巫女様に会いましたね。甲斐には、巫女様の本山でもあるのでしょうか。」
『ちょいとっ、そこの若旦那っ。』
見ると、人の良さげな町人の格好をした小男が、声を掛けて来た。
「甲斐は初めですかい。あっしがご案内しやすよ。なに、ちょいとばかり、心付けをいただけりゃいいんで。なにせ文無しなんでさあ。助けると思って、お願いしやすっ。」
「なぜ俺達なんだい。見てのとおり俺達は商人で、あんたがいると、商売のじゃまにしかならないと、思うよ。」
「そんなこと言わないでくだせぇよ。甲斐にきたからには、善光寺。善光寺をお参りになってくださいましよ。あっしがご案内しやすから。」
〘風体は町人崩れ。どこもお調子者がいるのだな。せっかくだからのってやるか。〙
「名前は、なんて言うんだ。」
「こりゃ失礼しやしたっ。金次っつうけちな野郎でござんす。」
「う〜ん腹が減ったな。どこか一膳飯屋はないか。案内してくれたら、金次にも喰わしてやるぞ。」
「そうこなくっちゃ、七屋つう飯屋がありやす。
ご案内いたしやす、こっちでやす。」
七屋で昼飯を食べたが、白米はなく、あるのは《麦飯と蕎麦がき》だけで、甲斐の貧しさを痛感した。
七屋を出て、善光寺へ向かう途中、ニ軒ほど商家に立寄って、鉄製の鋤や鍬の商談を持ち掛けたが、とても農民達が買う値ではないと纏まらなかった。やはり、甲斐は貧しいのか。
金次の案内で甲斐善光寺へ行く。甲斐の善光寺は信玄が戦災からご本尊を守るために、信濃の善光寺から移したものである。
元寺の信濃善光寺は広大な寺域があり、他にはない存在感があり、寺院としては非常に珍しく、どの宗派にも属していない。だが、甲斐の善光寺は浄土宗である。
善光寺が高名なのは、絶対秘仏と伝承される日本最古の、本堂に祀られている阿弥陀如来像である。この時期、ご本尊は甲斐善光寺に移されていたのである。
本堂をお参りした帰りの参道で、供を連れた隻眼の武士とすれ違った。俺達は軽く会釈しながら通り過ぎようとしたが、その武士が金次に声を掛けて来た。
「金次ではないか。しばらく顔を見なんだが、どこぞへ行っておったのだ。」
「これは、山本様。ちょいと駿河まで、出向いておりやした。
戦だっていうんでね、馬を仕入れて売って来やしたんですが、買ってくれたお侍様が、お討ち死になさっちまって、代金が半分しか受け取れなくて、酷い目に遭っちまいやしたよ。」
「いつもは、抜け目のないお前にしては抜かったの。ところで、連れのお人は旅の商人であるか。」
「へぇ、伊勢から見えられた商人さんでござんす。」
「ほう。良ければ今夜、儂の屋敷に来てくれぬか。話が聞きたい、少しは物を買うても良いぞ。」
「若旦那。こちらは武田様のご家中、山本勘助様にござんす。お聞きとおりのお誘いですが、お受けしてもらえねぇでしょうか。
山本様には、以前あっしがえらくお世話になったもんで。」
「これは。伊勢の商人《八兵衛》と申します。
大した話などできませぬが、品物をお買いくださるのであれば、願ってもないこと。
お招きに預からせていただきます。」
「そうか、楽しみにしておるぞっ。」




