第五話 諸国行脚 相模の風魔
風魔一族に関して前世の知識では、北条氏五代に仕え、相州乱波とも称されたと記憶している。
相模国 足柄下郡の山間、風間谷に住み、“風間”という名前が、いつしか“風魔”に変わったと。
風魔一族は、他の忍びと違い、騎馬戦術を得意とする忍びの集団であった。
風間谷で、農耕と馬の放牧で暮らし、身につけた騎馬技術と忍びの技を、北条早雲に認められ、奇襲や間諜、合戦の場では、騎馬の奇襲部隊として活躍した。
一族の長は、代々・風間小太郎の名を襲名する。
集団で戦う風魔一党には、紛れ込んだ間者を炙り出す、面白い合図があった。
《立ちすぐり、居すぐり》と呼ばれるもので、合図により、一斉に立ち上がり、それを知らない間者は動作が遅れ、正体が露見するというものだ。
勘が鋭く、周りの風魔をまねて、誤魔化せても、第二の合言葉で一斉に座る「居すぐり」に反応が遅れれば、見破られてしまうのだ。
「それで、伊賀の御仁が当地に、立寄られたご用向きは何かな。」
「風魔の忍びのこと。いささか、知りとうて参りました。」
「風魔のこと? 軍機なれば、探れませぬぞ。」
「いえ、里の暮らしぶり。北条様での扶持高など。
武士とは認められておらぬ、言わば、我らの同族なれば。」
「 · · · それを聞いてなんとなさる。」
「捨て扶持で、こき使われてるならば、我らの地に招きたいと。」
「それはなるまい。風魔は大事な戦力じゃ。」
「しからば何故に、捨て扶持でございますか。命を掛けての忍び働きが、捨て扶持でございますか。
合戦において、その兆候から初動まで探り当て、早期に準備することが肝要にございますな。
敵の調略の有無や、それに対する反応を探る必要がありますな。
ましてや、戦場において、いちいち指示することなく、敵勢の動きを掴んで知らせる忍びは、貴重な働きでございましょう。
武士は、『恩とご奉公。』鎌倉以来の節理でございます。
武士に引けを取らない忍び働きを、幻庵和尚殿は、いかように思われますかな。」
「これは、参った。しかし、風魔には、これまでの北条の恩顧がある。その方の誘いには、乗るまいな。」
「構いませぬ。北条が滅びてから、いや滅びかけてから、招きまするから。
戦の為に、招くのではありませぬ。戦国の世で、あたら命を散らす同族を、見捨てておけぬからで、ございます。」
「しかし儂は風魔を重用しておる。戦場の手柄は、武士とかわらぬ。」
「戦場の手柄はでございましょう。
小太郎殿、聞いておられるか。幻庵和尚殿には、重用していただけても、北条家としてはどうか。
幻庵和尚殿が亡くなった後は、どうなるか。
伊賀は、いつでも頼られるのを待っておりますぞ。」
そう言って、屋敷を後にした。
「帰ったか。あの伊賀者達、消すことできるか。」
「かなりの犠牲が出ましょうな。それに葬れば、
伊賀者が総力を上げて、北条の方々を葬りましょう。
それに我らは、かの御仁を護っても、殺めることは、ございません。
いずれ頼るかも知れぬ御仁ゆえ。」
「そうか。あの者は、戦国を変えるやも知れぬな。武士とは違うものの考えをしておる。」
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「おお、丹波殿参ったか。御曹子から我ら両名宛てに、文が届いた。これじゃ。」
「なんじゃ、半蔵殿。封を切っておらぬではないか。」
「わざわざ、我ら両名宛てにした文じゃ。同じ内容を知らせる意図じゃろう。
ならば、確とお主と同じ文を読まねばならねぬ。」
「御曹子も、ずいぶんと気遣いするものよ。」
封を開けて、立ったままの丹波殿が、床まで三度垂らしてなお、余りある巻紙の文を読む。
ときどき顔を上げて考え込み、また目を落とす。
読み終わると、儂に文を寄越した。儂が読み終わるのを待って、丹波殿が話し掛けてくる。
「桶狭間の戦いの様子が、手に取るように書いてあるのぉ。」
「いや、織田と今川の戦の全てがじゃ。陣立てから砦攻めの戦法まで、よう見ていたものじゃな。」
「大将の義元が討たれたとは言え、今川の武将達は健在。いずれ戦うことを見越してのことであろう。」
「それにしても、清須城内に20日もおって、毎日のように信長と話したとはのぉ。」
「毎日のようにではない。毎日じゃ。わははっ。
あの寡黙と評判の信長と、打ち解けて話したとあるぞ。」
「信長の人となり、そして、考えていることを、
ずいぶんと聞き出したものよ。」
「残念ながら、義元公とは言葉を交わせなかったとあるが、なにが残念なものか。
これ以上の情報は、信長以外には知りえぬぞ。」
「御曹子には、人たらしの才があるのかも知れぬ。」
「これぞ陽忍の術というところか。しかし、生まれつきの陽忍ぞ。天然ものとでも言うべきなっ。」
「「はっはっはっ。」」
俺はその頃くしゃみが出て、お銀から『若旦那、あんなこと言うから、風魔に噂されているに違いありませんよ。
敵地で、それも忍びの大将の前で、勧誘するなんて、正気の沙汰じゃありませんからね。』と、小言を言われていた。