第四話 諸国行脚と忍びとの邂逅
永禄3年 (1560年) 5月27日 伊賀藤林砦 藤林長門守
「お〜ぃ、疾風から文が届いたぞ。」
妻と娘の綺羅が、お気に入りの東の庭で、戯れておる。一月ぶりに息子から便りが届いた。
「あら、なんて書いてあるの。」
「信長に会って、桶狭間の戦場まで、付いていきおったそうな。相変わらず、無茶をしおる。
栞にも、文があるぞ。母上様、親展とある。儂に秘密でもあるのか。」
「ふふふ。大方、甘えたことが書いてあるので、父上には知られたくないのでしょう。」
妻に文を渡すと、一度胸に抱きしめて、おもむろに封を切る。しゃがんだ妻に寄り添い、娘の綺羅も覗き込んでおるが、まだ字が読めまいに。
「うふふ、出陣の時に、信長様の室、濃姫様に湯漬けを馳走になったので、桶狭間まで、信長様のお供をしたそうよ。あとは、ひみつ。」
「なんじゃ。どうせ、おなごの好みでも書いてあるのであろう。疾風も年頃じゃからな。はははっ。」
「濃姫様は、私に似た心根の優しいお方とあるわ。疾風にはやっぱり、私が一番なのよ。うふふっ。」
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「正成。この文を伊賀に届けてくれ。父上と母上に、もう一通は、半蔵殿と丹波殿宛てだ。」
「承知っ。御曹子は、このあと、いかがなされるのですか。」
「鶴岡八幡宮と、善光寺をお参りしてから、野良田に参る。」
「そうですか。某は織田を離れる訳にゆかぬので、影の供を5名付けます。こちらに控える《お銀》をお供にお加えください。」
「百地のお銀と申します。」
「もしかして、《狐火のお銀》か。お転婆の武勇伝は聞こえておるぞ。」
「あら、百地一の《しとやか姫》と、自負しておりますのに。ほほほっ。」
お銀、通称《狐火のお銀》は、20を過ぎたばかりの女盛り。くノ一ながら百地の中忍で、先年、伊賀北部に侵入しようとした、六角の軍勢を手玉に取り、撃退したことで、藤林の忍びの間では評判が高い。
お銀を加えた俺達一行は、三河、今川で商家との顔つなぎをしながら、6月下旬に鎌倉に入った。
「つけられておりますな。駿河屋を出た辺りからでしょうか。」
「うむ。なにも違和感を感じさせぬ。なかなかの手練のようだ。茶店の手前で先に行かせよう。」
茶店の手前で、お銀が用を足しているように見せかけて、行商人のなりをした男を先行させる。
案の定、男は茶店に入り、俺達が歩き出すのを待っている。
俺達は、のんびり茶店に入ると、男の傍に座る。茶店の名物を尋ね、小豆饅頭というものを注文した。そして、何気なく男に話し掛ける。
「どこからおいでで、ございますかな。私どもは、伊勢から参りまして、小間物を商っております。」
「これは、ご丁寧に。私は遠江から参っております。先ごろ、今川の太守様が、織田様に討たれたそうで、今川領の商いは、あきませんですな。」
「そうですな。私どもも今川領を通って参りましたが、商いの方は、さっぱりでした。そこへ行くと、北条様のご領地は、景気がよろしいのでございましょうな?」
「ぼちぼちでしょうか。さて先を急ぎますので、失礼させていただきます。」
「そうですか、商いを頑張りなされ。」
男が立ち去ると、お銀が寄ってきた。
「呆れましたね。わざわざこちらの正体を明かすとは。」
「織田の間者ではないと、教えただけだぞ。もう付いてくるなと、言ったつもりだがな。」
「あの男の正体を見抜いてると、知らせただけで、もっと怪しまれたと思いますがね。
八兵衛様の型破りぶりには、呆れるしかありませんわ。」
「お銀さん、八兵衛様は、陽忍なのです。それも天然の。ですから、慣れるしかありませぬ。」
才蔵。天然てなんだ。俺は確かに天真爛漫だけどな、ちゃんと考えてるんだぞ。
旅籠に荷物をおいて、鶴岡八幡宮に詣でた帰り道、昼間茶店で話した男が待っていた。
「我が主がお会いしたいと、申しております。屋敷まで案内仕ります。」
周囲には、かなりの人数が潜んでいる。とっくに気づいていたが、構わずここまできた。
「大層な出迎えですな。主殿のお名は尋ねても聞かせては、もらえぬようですな。
夕餉を馳走してくれるなら、参りましょう。」
鎌倉の寺社の中にある、ひなびた屋敷に案内されると、中年を過ぎるかと思われる、和尚がいた。白湯を静かに飲んだあと、言葉を交わす。
「幻庵坊主にござる。伊勢から参った御仁とか。
風魔の腕利き、弥平次に恥をかかせるとは、如何なる御仁ですかな。」
「伊勢の商人、八兵衛と名乗っております。
伊賀から参りました。諸国見聞のためであります。
このようにお招きをいただき、恐縮しております。」
「なるほど、伊賀の御仁ですか。先ごろの織田と今川の合戦、見聞なされたのですかな。」
「偶然見かけましたもので。義元殿が沓掛城から大高城へ、移動するところを狙われました。」
「ほう、つぶさに見物なされたのですな。信長殿とは、如何なる御仁でしたかな。」
「出陣の前、敦盛を謡われました。舞も見事でした。」
「 · · やれやれ、とんだ御仁じゃ。これでは弥平次が、呆れるわけじゃわい。」
「何故か、私の供達にも呆れられております故に、お気になされずに。」
「はっはっはっ(はははっ)。」
後ろの三人が一斉に、頭を下げているのは、何故だろう。肩が震えているように見えるけど。