第三話 今川を迎え撃つ尾張の日々 その2
連日の、アクセス数の前日越え。驚きと感謝で、いっぱいです。
一話一話、物語の変化と、読み応えがあるように努めたいと思っています。
誤字脱字、それに意味不明な点がありましたら、ご指摘をお願いします。より読み易い文章を、心がけていきたいと思っています。
その夜から、清須城に逗留することになってしまった俺達だが。上げ膳、据え膳で、ただ部屋に閉じこもるのも、耐え難い。
「八兵衛様、厄介なことになりましたね。」
「成り行きだからな、仕方ない。信長公の傍らで、戦を見るのも一興かも知れん。
なにせ、戦の最中の、大将の顔色を見られる機会など、早々あるもんじゃない。
それに、旅費の宿代が浮いたと思えば、儲けものじゃないか。」
「そんな暢気な話でございますかね。繋ぎはどうされるのです?」
「佐助に任せるよ。なるべく、繋ぎは取らないようにした方がいいな。怪しまれるから。」
次の日からは、日中の出入り自由とされ、一人の世話役、兼監視役の毛利良勝(通称新介)という、馬廻衆を付けられた。
(えっ、この人。今川義元を討ち取った人じゃない?)
「新介殿、申し訳ありまぬ。たかが商人風情の警護などを、させてしまって。」
「なんの、お気になされるな。八兵衛殿は、殿の客人。ましてや、殿が楽しげに話される相手など、お方様以外には、見当たりませぬ。
殿のお心を慰めくださる八兵衛殿には、感謝の気持ちしかありませぬ。」
「新介殿は、馬廻りなので、相当な武芸者なのでしょうね。」
「なんの。殿のお側で警護するばかりで、いまだ大将首や武将首を取ったことがありませぬ。はははっ。」
「俺は商人なので、戦のことはわかりませぬが、大将の鎧は見たことがあります。
大将の鎧は、普通の鎧よりも厚手に作られており、飾りも付いて槍のじゃまをしますが、脇の下だけは、護られておりませぬ。
動きを損なわぬよう、広く開けてあるのです。腕を振り上げた時、そこを狙うのが肝要です。」
「おおぅ、良い話を聞かせていただいた。次の戦では、大将首を挙げて見せましょうぞ。はははっ。」
俺達は、自由にさせてもらった日中に、この時とばかりに、日帰りで那古野や岩倉まで足を延ばし、商談に明け暮れた。
夜は毎晩、俺達の夕餉の席に、信長公がやって来て、伊勢の施策や伊賀の発明品の話をする。
史実で知る信長公は、寡黙な人物のはずだが、目にした本人は、打ち解けると意外に雄弁な男だった。家来達の前で、寡黙に振る舞うのは、心を読まれないようにする処世術なのだろう。
そう、油断したよ。油断。すっかり俺も信長と意気投合して、いろいろと、対今川の戦略を語り合ってしまった。
まったく、うっかり八兵衛だよ。(笑)
そんな日々を過ごしているうちに、今川義元が上洛の兵を上げ、沓掛城へ入ったとの報告が届いた。
今川の橋頭堡である大高城を取り囲む、織田の5つの砦のうち、大高城に最も近い向山砦の水野信元が今川方に寝返っている。
今川方は、大高城に兵糧を運び入れようとしている。これを担っているのは、松平元康の三河兵だ。
今川義元が沓掛城に入って5日目、ついに、今川の攻撃が始まり、氷上砦と正光寺砦が落ち、鷲津砦と丸根砦に攻撃が開始された。
そうして、大高城には兵糧が運び込まれた。
信長の小姓に呼ばれて、書院部屋に入ると、《幸若舞の敦盛》の一節を謡い舞う信長の姿があった。
その謡は、源平の《一の谷の戦い》で、源氏方の熊谷直実が、息子と同じ年頃でしかない、元服間もない平敦盛を討ち果してしまい、世の無情を嘆く心情を謡ったものである。
【 思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり。】
『 人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ。』
謡い終わると、俺に顔を向け、『儂の戦い、見に参るか。』と、尋ねるでも誘うでもなく、呟いた。
俺は、黙って頷きを返した。
甲冑を着付けながら、湯漬けを食べる信長の傍らで、伊賀の忍び装束に着替えた、俺達3人も湯漬けを食べた。
湯漬けを運んで来た、濃姫や侍女達は、俺達の装束に驚いたようだが、既に数日を過ごし、親しく言葉を交わしているためか、敢えて、何も言わず、ただ『殿をお願いします。』とだけ言われた。
清須城から、熱田神社向かい。さらに、丹下砦を経て善照寺砦に辿り着く。
そこで、鷲津砦と丸根砦から、煙が上がっているのが見えた。
間もなく、沓掛城を見張っていた斥候から、義元の本陣が城を出たとの知らせが入る。
空模様は曇り空だが、雨が降る気配はない。
大高城に向かう経路は、二つある。俺は信長に、『桶狭間かと。』そう告げる。
信長は、決意したのだろう、全軍に進行を命じた。
桶狭間の山の上に着くと、信長は《遠めがね》で、今川の軍勢を見ていた。
『来たぞ、本陣じゃ。これより参る。』そう声を上げて、山を駆け下って行った。
俺は、その場に留まり、双眼鏡を取り出して、今川勢の動きを監視する。
すると、本陣の前を進む、後詰の後方の部隊が、奇襲に気づき、本陣を護ろうと、引き返してくる。
「まずいっ、佐助、足止めをしろっ。《火炎の術》を使えっ。」
音も無く、佐助が駆け出して行った。
そして10分後、今川義元の本陣へ、駆け戻る後詰の部隊は、一瞬にして猛爆発に包まれ、壊滅した。
佐助が使った《火炎の術》とは、空気中に小麦粉と硫黄の微粒子を散布し、火炎瓶で点火して起こす、粉塵爆発である。
穏やかな風が一定方向に流れている状況が、この術を使う条件である。
佐助の使った《火炎の術》が呼び水となったのか、雨が降り出し、たちまち土砂降りとなった。
これでは、本陣が襲われている喧騒が、わからないだろう。
俺は、織田の兵が上げる、かすかな勝鬨を聞くと、桶狭間をあとにした。
後日、野良田の戦いを見終えて、報告がてら清須城を訪ねると、渋い顔をした信長がいた。
「その方、儂に仕えぬか。」
「できませぬ。今は。」
「いつなら、できるのか。」
「信長様が、天下をお取りになった、あかつきには。」
「ふっふっふ、そうか。しばし猶予を与える。」