第二話 今川を迎え撃つ尾張の日々 その1
津島に着いて、伊勢屋と別れた俺達は、町外れの旅籠に宿を取った。夕餉を終える頃、一人の若い旅の僧が訪ねてきた。服部半蔵保長の子、二代目服部半蔵となる正成である。
「八兵衛殿、お久しゅうこざる。こちらに、お見えになると、千賀寺の和尚(父の半蔵)から聞きましてな。」
「正成殿(偽名)、わざわざのお運びかたじけない。実は、清須の殿様に献上したい品がありまして、まかり越しました。
尾張は、不案内のため、案内を頼めますかな。」
「ほかならぬ、八兵衛殿の頼みなら、喜んでお引き受け致しますぞ。はははっ。」
翌朝、津島の町外れで、正成と落ち合い、清須へと向かった。その街道は整備されており、騎馬が、ニ列でも通れる道巾があった。
「八兵衛様。尾張もなかなかに拓けておりますね。」
「うむ、才蔵。伊賀伊勢の街道整備と楽市楽座は、尾張に倣ったものだ。俺が考えたものではない。」
「えっ、そうなんですか。それにしても、いつ尾張のことを、お知りになったのですか。」
「熊野での修行中に、出逢った修験者に聞いたのだ。それが修行というものだ。」
「???」
「若っ、もしかして、千里眼ってやつですか。」
「佐助。話を聞いたと言うたではないか。それがなんで、千里眼になる。それから、若はよせ。商家では若は使わん。若旦那にしろ。」
「若旦那、すみませぬ。尾張の街道整備も楽市楽座もニ年前からと聞きました。伊賀の若様のほうが、早くになされております。」
あちゃ、史実と違うじゃねぇかよ、信長。
いや待てよ、史実を書いた学者が間違っていたのか。いずれにしても佐助のやつ、俺をへこましたと、得意顔になってじゃないか。
津島から、清須までは距離にして約20km。普通に歩けば五時間かかるが、そこは忍びの者、速足を使い三時間半で着く。忍びの者は、幼少の頃から荷を背負っての、駆ける修練を重ねている。
忍びの者が使う歩行術は、《なんば走り》と言い、左右の手足を同時に、同方向へ出す歩き方で、骨盤の向きと肩の向きが、平行に動くため疲れないのだ。
清須の城に着くと、門番から身分の高い者に取次がれ、三の郭にある小部屋へ通された。
おそらく、商人など外部の者と、会うための部屋かと思われる。廊下と部屋に二重に、襖が閉め切られ、外からは人の位置が見えなくなっている。
おそらく話す相手は、側用人あたりだろう。その後に、信長公本人と謁見できるのかは、不明だが。
四半刻(30分)ほど待たされて、先に護衛の者が四名入室し、ほどなく小姓を連れた身分の高い武士が入室された。
頭を下げていると、声を掛けられる。
「伊賀から参ったか、信長である。面を上げい。」
驚いた。いきなり、信長公本人が現れるとは。
「ははっ、伊賀名張の商人、八兵衛と申します。
尾張様には、日頃から伊勢屋さんを通じ、商いをさせてもらっております。
この度は、そのお礼言上に参りましてございます。
また、信長様に役立つ品を献上させていただきたく、持参致しました。」
「ほう、役立つ品とな。」
俺は、後ろに控える才蔵に、差し出すように指示をし、才蔵が風呂敷包みを、取次ぎの者へ渡した。
信長公は、取次ぎの者から、包みを開いたそれを手にすると、『これはなんじゃ。』と尋ねられた。
「南蛮渡来の《遠めがね》にございます。筒を伸ばして、小さき穴の方から覗きますと、遠くのものが近くに見えまする。少し見えづらいときは、筒を、わずかに縮めると、はっきり見えるかと。」
信長公は警護の者に、部屋と廊下の襖をわずかに開けさせると、《遠めがね》を庭に向け覗き込み、筒を調節して見えたのか、『おおっ、よう見える。』と叫ばれた。
「八兵衛、これは一品限りか?」
「はい、某が博多から手に入れたもので、一品限りのものにございます。」(★この時点では長崎は小さな漁村で海外貿易なんてしていません)
「なぜこれを献上しようと思うた?」
「近々、戦があるかと思いまして。本陣の大将を見つけるのには、役立つかと。」
「 · · · · 。」
「ご笑納いただけたら、この上なく光栄に存じます。」
「明後日の夕刻に参れ、礼をいたす。」
「ははっ。」
清須の城下町に宿を取った。服部正成がやって来て、諸国に放っている伊賀者の報告を聞いた。
やはり、今川は軍を起こす準備をしている。田植えが終われば、すぐさま上洛の兵を上げるだろう。既に、三河に兵糧を集めている。
一方、浅井家では、六角から浅井長政に嫁いだ平井の娘を、離縁したそうだ。こちらも、敵対衝突が確定したな。
翌日は、清須の商家を挨拶をして回った。伊賀の商品を見本を持って、売り込みに回ったのだ。幾つかの商談をまとめ、伊勢屋に使いを出した。清須には、綿花を扱う商家があり、秋には綿花の種を買うことにした。
そして翌日の夕刻、信長の元へ赴くと、驚いたことに城の奥にある客間に通され、膳が用意されていた。
俺達が着くとすぐに、信長公が小姓だけを伴って現れた。
「 まずは、《 遠めがね 》の礼じゃ。食しながら、話を聞きたい。酒はどうじゃ。」
「申し訳ありませぬ、酒は嗜みませぬ。」
「そうか、儂も嗜まぬ。」
「 · · · · · 。」
「その方ら、ただの商家ではあるまい。」
「 · · · · · 。」
「まあ、詮索はすまい。だがなぜ、戦が起きると思うたのか。」
「私どもは、商人でございます。物の売り買いの、情報には過敏でございます。
この度、今川様が三河に兵糧を集めなさっていることは、上洛のほかに理由がありませぬ。
おそらく、今川の田植えが終わり次第に、軍勢を起こしなさるでしょう。」
「して、《遠めがね》は、なぜ役に立つ?」
「今川様の軍勢は、少なくとも3万に近く、織田様は 4,000ほどかと。
寡兵で大軍を討つには、奇襲しかありませぬ。
すみやかに本陣を見つけ、大将の所在を知ることが肝要かと存じます。
さすれば、お役に立ち申します。」
「何故、そこまでする?」
「 · · 伊賀、伊勢の平穏のためでございます。」
「織田が敗れても、伊勢などには関係あるまい。」
「いいえ、先年、伊賀は北畠を滅ぼしました。
もし、今川様が上洛なされたあかつきには、北畠を滅ぼした伊賀を、捨て置くとは思えませぬ。」(★北畠は管領家ではありません)
「 · · その方ら、しばらくこの城に逗留せい。儂の戦いぶりを見て行くがよい。」
「よろしいのですか、大事の時と思えますが。」
「かまわぬ。 誰かっ、」
「はっ、ここに。」
「八兵衛らを儂の客分として、しばらく(城に)逗留させる。部屋を用意せよ。」