第一話 プロローグ 戦国時代へ
俺の名は朝霧 疾風。某工業大学の3年生。歴史、特に戦国時代、そして忍者が大好きで、小学生の頃から史書を読み耽り、合気道と居合いを趣味とする変り者だ。
そんな俺が戦国時代に転移する切っ掛けとなったのは、両親が事故で亡くなった通夜の晩に、旧家である実家の敷地に古くからある祠の前で、悲しみに暮れていた時のことだった。
満月の明かりに照らされて、ただ悲しみに打ちひしがれている俺の頭の中に、突然、声が聞こえた。
耳からではなく、頭の中に直接響いたのだ。
その声には聞き覚えがあった。俺が小学生になる前まで、遊びに行っていた曽祖父の声だった。
曽祖父は90才まで生き、俺が小学校に上がる年に亡くなった。三重県の田舎に暮らし、遊びに行くと近くのラムネ工場から、よくビー玉を集めて置いてくれて俺にくれた。
曽祖父の爺ちゃんは、俺によく、ご先祖様の話をしてくれた。それによると、ご先祖様は忍者の家柄だったということだ。それも伊賀忍者だという。
俺が忍者や戦国時代に興味を持ち、それに惹かれるようになったのは、この曽祖父の影響が大きい。
「疾風、疾風、泣くでない。お前は一人前の男だ、それに忍者の血を引く者だぞ。
一人でも、強く生きなければならんぞ。」
その声は優しく労るような、曽祖父の声だった。
「じいちゃん。俺はどうしたらいいんだ? 父さんにも母さんにも、ちっとも親孝行してなくて生きる目的が無くなってしまったよ。」
家は貧乏な農家で土地も少なく、父さんは好きな酒を断って、母は着る物も食べる物も切り詰めて、俺を大学へ行かせてくれた。
そんな両親だったが、古くから友人の葬儀に出た帰りに、乗っていたマイクロバスの前を走っていたバイクが転倒し、避けようとして崖から転落して、俺の両親と乗客4人が亡くなった。
「そうか疾風は、親孝行がしたいか。
どうじゃ、その願いが叶うとしたら、戦国の時代でもよいか?」
「えっ、そんなことできるの?」
「ふふっ、儂らのご先祖様はな、永くずっと善行を積んで来られた。お前の両親もな。それじゃから、弥勒菩薩様が願いを叶えてくださるのじゃ。」
「うん、戦国だろうと、なんだっていい。
父さんと母さんにもう一度会えるなら俺はどこへでも行くよ。」
「良かろう。次の満月の夜に、お前を連れて行く。
お前は15才の子供に戻るが、身に付けた物だけ、持って行けるから準備しておけ。」
そうして、何事もなかったかのように、辺りは静けさと、満月の月明かりに照らされた世界に戻っていた。
それから一ヶ月、初七日や法要の合間を抜って、俺は戦国時代へ行く準備をした。
大きな背負いリュックに、双眼鏡とレンズ、充電式LED懐中電灯、ノートパソコンと必要と思えた知識データをありったけ記録したUSBメモリー。それらに必要なソーラー充電器と小型A4コピー機と再生紙2千枚。電子着火式のオイルライターに発煙筒、ナイフと庖丁数本、裁縫セット、地球儀。下着やシャツ、靴下数枚と靴。
戦国時代にはない馬鈴薯や薩摩芋、寒冷地の米麦の籾や各種作物の種や各種の麹など。
両親にも、ダウンウェアと衣類。お酒、化粧品、お菓子を少し。
ゴルフバッグには、空気銃と火縄銃、ライフル銃のレプリカ、銃身用の鉄パイプ数本とライフリングのための特殊ヤスリ。合金製の模造品の日本刀。
手持ちする大きな工具箱には、各種大工道具と大量のネジや釘。各種電動工具。
身に付け着用したのは、フルフェイスのヘルメット、防水のジャンバーの上に米軍払下げ品の防弾チョッキ、さらにダウンウェアを着込んだ。ジーンズにスニーカー、手袋。
そして、次の満月の夜がやって来た。
実家の祠の前に来ると、曽祖父の声が聞こえた。
『用意はよいかな、疾風。』
『うん、いいよ。』
『ならば、出陣じゃ。』
『えっ、いきなり戦場なのっ?』
俺の声は、『ゴー』という風の音にかき消されて聞こえなかった。
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弘治3(1557)年3月 紀伊国熊野山中 藤林疾風
気がつくと、目の前には激しい水が瀑布となって流れ落ちていた。背後は切り立つ岩肌で、どうやら滝の内側にいるらしい。
ぼんやりとまだ夢うつつの俺の頭の中に、女性の声が響いた。
《 吾は玉依、そなたの父母への清らかなる想い、聞き届けたもう。》
【 俺はこの時、玉依(姫)が誰なのか知らなかったが、神武天皇の母であると後で知った。】
意識がはっきりしないまま、ここから出るには、瀑布の脇を抜けて滝つぼを渡るしかなく、滝つぼへと踏み出したのだが、不思議なことに水面を歩き、また身体が濡れることもなく、滝つぼの表岸に辿り着いた。
そうしてしばらく佇んだまま、記憶を呼び戻していた。俺はこの正月三が日が明けると守役の道順を伴にして、ここ熊野で修行に籠もった。
忍びの修行ではなく精神修養であり、上忍である藤林家のいわば成人の儀である。
思い返すと、那智の48滝を巡り《陰陽の滝壺》に浸かる寒行、あるいは足も竦む断崖絶壁を鎖を伝い進むなど、その繰り返しはまさに精神修養と言えるものだった。
もっとも、忍びの修行にも橋の上から両足に縄を結えて跳躍を行うなど度胸を付ける修行はあるが、堕ちれば確実に死が待ち受ける絶壁の精神修養は、格別なものがある。
そんな修行を繰り返し、修行納めとしてお礼詣りに那智大社に来ていたのだが、そうだ中社で最後の《子守宮》にお詣りしている最中に意識が飛んで、気がつけばこの那智の滝にいたのだ。
ああそうか、那智中社の《子守宮》の御祭神は、鸕鶿草葺不合尊で神武天皇の父親だと聞いた。玉依(姫)様はその縁者の方なのだろう。
那智の大滝と呼ばれる滝つぼの表にしばらく佇んでいると、複数の人のざわめきが近づいて、やがて10人ばかりの修験者の一団が現れた。
「ぬ、不埒な奴、ここを飛瀧神社の御神体と知っての狼藉か。何者だっ。」
「皆様と同じく修験の者にございます。那智大社にお詣りしていたところ、知らぬ間にここへ来ていたのです。他意はありませぬ。」
「嘘を申すなっ。ここは我ら以外は入れぬ決まりの聖地。封印のしめ縄を破り立ち入ったのであろう、仕置きしてくれるわっ。」
そう言って、俺を囲んで襲いかかる気配なので、俺は再び滝つぼへと下る。
修験者達が追って滝つぼに入って来るが、彼らは腰まで水に浸かるが、俺は水面の上に佇んでいる。
彼らはその光景に、唖然として立ちすくんだ。
「なんとっ、これは孔雀明王の呪法かっ。
皆、さがれっ。害を為してはならぬ。」
岸に残っていた内の一人が皆を制した。
「若子よ、先程申されたことは誠か。那智の社からこちらへ参ったと。」
「嘘は申しておりませぬ。どうしてそうなったかもわかりませぬ。
俺はずっと熊野で修行をしており、修行を終えるお礼に那智大社へ詣っていただけです。」
「御名はなんと言われるのか。教えてくだされ。」
「疾風、伊賀の疾風。」
そう言って、吹き荒ぶ一陣の風に目を閉じると、再び『ゴー』という風の音が聞こえた。