闇に集う迷い子の群れ
頭はぐわんぐわん。
髪の毛はぐっしゃぐしゃ。
壁にある松明のおかげでかろうじて機能している視覚から得た情報によると、わたしは今洞窟の中にいるらしい。
修学旅行で行った鍾乳洞と同じ匂いがする。
カビっぽいような、湿った土の匂い。
ぞくっとするような寒気もするし、松明があると言っても、足元は全く見えない。
意味不明。
なんでビルから洞窟に?
そして後ろから追いかけてくるマネキンは何?
わたしを抱いたまま、飄々とした顔で走る田吾作さんを見上げる。
足場が悪いところを走ってるのに、息切れひとつしてない。
「ど、どこ行くの!?」
激しい揺れで舌をかまないように気をつけながら尋ねると、田吾作さんはちらっとわたしを見た。
いや、ちゃんと前を見てほしい。
「さあ?」
「さあって……」
抱えてもらってる分際で申し訳ないけど、不安しかない。
そんなわたしの表情に気づいたのか、
「安心しなさい。落とさないから」
と慰めの言葉をかけられた。
「あ、ありがとう」
「うん」
人生初めてのお姫様抱っこ。
状況がスリリングすぎる。
田吾作さんは、どんどん細い道に入っていく。
そのうち行き止まりになるんじゃ……と思った時、田吾作さんが急停止した。
「どうしたの?」
田吾作さんはなにかをじっと見ている。
わたしを通り越したその先。
恐る恐るその視線をたどると、前方に大きな穴のようなものがあることに気付いた。
「穴?」
最悪なことにその穴は人が飛び越えることができないくらいに大きく、また、底が見えなかった。
「ひっ!」
慌てて田吾作さんの首にしがみ付く。
田吾作さんは動じることなく、じっと穴の中の暗闇を見つめていた。
後ろからは関節球のこすれる音がしている。
マネキンがすぐ近くまで追いついているんだと思うと、一層不安を煽った。
パニックにならないように、息を吸ったり吐いたりしていると、田吾作さんが興味深そうにわたしを見ていることに気が付いた。
まるで生まれて初めて動物園に行った子どものような好奇の目。
妙に居心地が悪い。
「……なに?」
不快感を露わに尋ねると、田吾作さんは首を左右にぶんぶんと振った。
「なんでもないわよ。気にしないで続けて?」
口ではそう言いつつも、面白い物を見るかのような目は変わらない。
多分、ううん、間違いなくこの人ちょっと変だ。
気合の入った赤い髪と、少々ロックな黒い服。
整った顔は正直好みだけど、できれば関わりを持ちたいタイプの人じゃない。
「うん。決めた。降りるわね」
降りる?
「何言って……」
言葉の意味が理解できなくて聞き返そうとしていた時、マネキンの白い顔が暗闇に浮き上がった。
喉の奥に手でも突っ込まれたぐらいの違和感。
叫びたいのに声が出せない。
(田吾作さんっ)
心の中で呼びかける。
そんなこと意味がないのに。
マネキンとの距離は二、三メートル程。
絶望的な状況を知らせようと、田吾作さんの首に回した手に力を込めた時だった。
突然感じた浮遊感。
それと同時に生じた強い重力に、わたしの体が吸い寄せられていく。
崖の下にある、真っ暗な穴の中に向かって。
ごおおおっという強い風の音が一気に耳に飛び込んできた。
顔が、体が、空気の抵抗を受け地味に痛い。
自分の体が身長の倍以上の高さから落下しているという現実に、わたしは声も出ないほどのショックを受けていた。
なのに、目の前にいる奇人は大きな瞳をくりくりと輝かせている。
ああ、このままわたしは死ぬんだ。
わけのわからないイケメンに巻き込まれて。
母と空、そして父の顔が脳裏に浮かぶ。
わたしが死んだら父さんのせいだからね。
恨みがましい気持ちで目を閉じた。
数秒後、体に感じるであろう痛みに恐れ戦きながら。
しかし……
わたしが感じたのは重力によるずしっとした自分自身の重みと、僅かな服のすれだけ。
痛みなんてどこにもない。
落下感すらも。
間違いなく落ち終えた、その感覚はあるのに。
「そろそろ手、離してくれない? 首が痛いわ」
田吾作さんの声に促され、そっと瞼を開く。
目の前にあるのはあくまで冷静な、田吾作さんの横顔。
真っ暗な穴の中に落ちたはずなのに?
ここで初めて自分の状況を確認した。
周囲の様子は先程と一緒。
ごつごつの岩肌に囲まれた洞窟らしき場所に、一定の間隔で松明が燃やされている。
その炎のおかげで視界は確保されているのだが、先ほどまでとあきらかに違うのは田吾作さんが座り込んでいるのが大きなマットのようなものの上で、わたしはそんな田吾作さんの膝の上に乗っかっていること。
そして、わたし達を見つめる多数の人々の目があること。
「きゃ……きゃあぁあぁぁーっ」
この時の悲鳴は、自分でも相当うるさかったと思う。
叫びながら田吾作さんの頭にしがみつこうとしたが、バランスを崩し、マットの上で盛大にこけた。
顔から突っ込んだわたしの背後から、
「だ、大丈夫?」
と、女性が気遣う声が聞こえる。
恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは二十代前半くらいの若い女性。
さらりとしたストレートの髪が、肩のところで綺麗に切りそろえられている。
派手すぎない丁寧なメイクに、白いカッターシャツと黒のタイトスカートというスタイル。
OLさんって感じだ。
女性が上体を動かすと、白いカッターシャツから覗く大き目のバストが弾むように揺れる。
同性だというのにドキドキするほどの色っぽさだ。
「どう? 立てそう?」
女性はわたしに向かって手を差し出す。
「ひゃっ! あ、ありがとう……ございます」
女性に手を借りて立ち上がろうとしたわたしの腰に、田吾作さんが手を添えたので、思わず変な声が出てしまった。
女性は驚いた顔をした後、すぐに微笑む。
「すっごーーい! 今のなに!? アクロバティックショー!?」
立ち上がったわたしの前に、女性の右隣にいた十代後半くらいのギャルが、興奮した様子で話しかけてきた。
金髪に近い明るい髪はくるっくるの巻き髪にされていて、白っぽいニットワンピースに黒のショートブーツ。
つけまつげばっちりの濃いアイメイクをバチバチと何度もしばたかせ、わたしの後ろに立った田吾作さんをうっとりとした表情で見つめる。
「しかもイケメン! なかなかのビッグ待遇って感じ!? いいじゃん、いいじゃん! やる気でるぅー!!」
ギャルがなんで興奮しているのか、さっぱりわからない。
っていうか、さっきのマネキンは?
頭上の穴を見上げる。
黒い闇しかないその場所から、マネキンが落ちてくる気配はない。
ぞっとするようなあの関節のきゅきゅっという音も、聞こえなかった。
その場にいたのは、女性とギャルだけではない。
ギャルの右隣にいたのは、小学生低学年くらいの男の子。
水色のシャツにベージュのハーフパンツという服装は、洞窟の中では寒そう。
薄茶色の髪にくりっくりの目。
少年はわたしと目が合うと、さっと少年の後ろに立っていた初老の男性の陰に隠れた。
初老の男性は少年の背中を優しく撫で、わたしに向かって会釈する。
黒髪と白髪が混じったグレイヘアーに、ライトグレーのジャケットと白いシャツ。
アイロンが綺麗にかけられた黒のスラックスと黒の革靴という服装は、とても清潔感があった。
孫と休日を過ごす優しいおじいちゃん、といった感じ。
さらにその右隣にいたのは、二人の若い大学生風の男達。
一人は傷みの激しい長めの金髪ヘアーに、色黒な肌。
赤の柄物のシャツに白いTシャツ、ジーンズにビーサンという季節を無視した服装をしていた。
もう一人は紺色のニットにグレーのスキニージーンズ、黒髪に眼鏡という至って真面目そうな雰囲気。
しかし、金髪男と顔を寄せ、ひそひそと話している姿は正直あまりいい印象を与えない。
遠巻きにこちらを見ているのは、憮然とした顔で腕組みをする中年男性。
苛々した様子で貧乏ゆすりをしながら、何度も舌打ちしていた。
質の良さそうなチャコールグレーのスーツに白いシャツ。
クリームイエローのネクタイをかっちりと締めていて、櫛の跡が残る頭髪は後ろに撫でつけるように綺麗に整えられていた。
太めの眉は眉間に寄せられ、ギャルにまとわりつかれている田吾作さんを睨みつけている。
対照的なのは、その隣で腰まであるくらいの岩に腰掛けている二十代後半くらいの女性だ。
ショートカットに胸元まで大きく開いた紫のシャツ。
体のラインがよくわかるような黒のパンツスタイルが、脚の長さを際立たせている。
パイソン柄のハイヒールを履いた足を組み、細い煙草を吸っていた。
煙草独特の匂いに、OL風の女性が眉を寄せる。
「智美さん、小さな子もいますから、煙草は控えたほうが」
智美と呼ばれたショートの女性は、OL風の女性をちらりと一瞥した後、煙草の煙を女性に向かって吹きかけた。
「きゃっ」
OL風の女性は小さな悲鳴をあげ顔をそむけると、苦しそうに咳き込む。
「ちょっと! あんたなにして……」
ショートカットの女性に食って掛かろうと身を乗り出したわたしの顔の前に、女性が火がついたままの煙草を突き出した。
驚いて動きを止めたわたしに、ショートの女性は黒のアイラインで強調した瞳で微笑みかける。
「私に意見しないでくれる?」
薄い口元が逆さになった三日月のように歪む。
有無を言わさぬ雰囲気に、気迫負けしそう。
苦しそうに咳き込む女性の気配を背中に感じながら、わたしはショートの女性を強く睨みつけた。
「口出しされたくなければ、子供みたいな嫌がらせしないでくれる?」
煽るように口調を真似る。
ショートの女性は細い眉をきゅっと吊り上げ、口元の月が山を描いた。
煙草を背後の壁に叩きつけるように投げる。
そして下からのぞき込むようにわたしの顔を睨みつけた。
「あんた……名前は?」
一瞬、とことん逆らってやろうかと考える。
でも、それも馬鹿らしい。
わたしは女性が投げつけた煙草がある場所まで移動し、それを踏みつけた。
その吸殻を手に持ち、ショートの女性の顔の前に突き出す。
「冴女。木村冴女よ。自分のごみは自分で持ち帰る、これ、幼稚園児でも習うような基本でしょ? 智美さん」
わたしに名前を呼ばれたショートの女性の顔から、表情が消えた。
でもすぐにふっと鼻で笑い飛ばす。
「最近の女子高生って意外とちゃんとしてるじゃない。それ、捨てた以上私に所有権ないでしょ? 拾った貴方のものよ、冴女ちゃん」
何を言ってるんだ、この女は。
話が通じない。
煙草の吸殻を持ったまま固まるわたしから顔を背けた智美は、再び煙草を取り出し火をつけた。
文句を言おうと口を開いたわたしの手に、OL風の女性の手が重なる。
「もういいのよ。私のせいでごめんなさい」
「いや、あなたのせいじゃ……」
OL風の女性がスカートのポケットからハンカチを取り出し、わたしが手にしていた吸殻を包み取った。
「ありがとう、冴女……ちゃん?」
女性の柔らかな笑み。
不快な感情が一気に吹き飛ぶような、そんな爽やかな笑顔だった。
「あの……ここってどこなんですか? あなた達は一体……」
わたしは智美を無視してOL風の女性に問いかける。
女性は目を大きく見開き、とても驚いた顔をしていた。
いや、女性だけではない。
その場にいた全員がひどく驚いた様子で、わたしと田吾作さんを交互に見ている。
「なに? あんた達アルカヌムの参加者じゃないわけ?」
金髪男が気の抜けた顔で首を傾げる。
「アルカヌム?」
聞き返すと、初老の男性が少年の背中を優しく撫でながら頷いた。
「怖い思いをされたようですが、大丈夫。
ここにいる皆アルカヌムのプレイヤーなんですよ」
アルカヌム?
プレイヤー?
一体なんのことを言ってるの?
全然意味が分からない。
わたしは救いを求めるように隣の田吾作さんの腕を引いた。
「なに?」
田吾作さんは小さく首を傾げる。
「田吾作さん、あなた知ってるの? アルカヌムってなにか」
「全然」
「じゃあなんでそんなに平気な顔してるわけ?」
「わからないから、どうでもいいかなって思ってたわ」
呆気にとられるわたしを見て、初老の男性が声をたてて笑った。
「貴方達は仲が良いんですね。紹介が遅れました。私は田辺。田辺章一といいます。
ここにいるのは皆、アルカヌムというゲームの参加者なんですよ」
田辺と名乗った初老の男性は、べったりと寄りそう少年の背中を優しくなでながら、
「さあ、君もお姉さんに自己紹介してごらん」
と、話しかける。
サラサラの髪に子犬のような瞳。
一見少女のようにも見える顔は、とても緊張しているように見えた。
「僕は……山崎蓮です。い、今野瀬小学校の二年三組です!」
蓮君は小さな声で、でもしっかりと自己紹介してくれる。
田辺さんはそれを、微笑まし気に見つめていた。
「すごいね、蓮君。上手に自己紹介できたね」
OL風の女性がそう声をかけると、蓮君は照れくさそうに田辺さんの背中に隠れた。
蓮君の愛らしさにわずかに場が和む。
それをぶち壊したのは、ギャルの大きな欠伸。
つけまつげでバサバサとした目の端に、涙が浮かんでいる。
パールピンクの下地に、ごつくてカラフルなラインストーンをデコったネイルをひらひらと振り、また、かみ砕くような欠伸をした。
「アタシ、森尾レミ。レミたんって呼んでいいよ」
「レミ……たん?」
なんかキャラ濃すぎ。
レミたんは嬉しそうに頷く。
そのやりとちを見ていた智美が、苛立たしげに舌打ちした。
「ねえ、私達ってアルカヌムに参加するライバルなわけじゃない。馴れ合う意味ってあるわけ?」
意味ないと思うなら話しかけてくるなっての。
内心毒づきながら、さっきから疑問に思っていたことをOL風の女性に問いかけた。
「あの……さっきからそれなんなの? アルカヌムってやつなんだけど。これってひょっとして遊園地のアトラクションとかだったりする?」
同性なのについつい目がいく胸元を揺らし、女性は眉を下げる。
「本当に知らない……の?」
「うん。全く」
OL風の女性は困惑した表情で、何故か智美を見た。
智美はその視線に気づいているはずなのに、視線を受け流して涼しい顔をしている。
なんだっつーの。
すっごく不愉快。
するとレミたんが、わたしの右手をぎゅっと握りしめ、
「知らないなら説明すればいいんじゃーん。あのねぇ、アルカヌムっていうのはぁ、すんごいゲームなわけ。わかる?」
と、顔をぐいぐい近づけて言った。
近すぎて、レミたんから甘い砂糖菓子みたいな匂いがする。
「ゲーム?」
「そうそう! ゲームに勝ったらね、なんでももらえるんだよ。欲しいものなんでも!」
なにそれ。ものすっごく胡散臭いんですけど。
「大金持ちになりたい!とかでも?」
不信感いっぱいでそう返すと、レミたんはすごく嬉しそうに首を縦に振った。
「そうそう! もっとだよ! もっともらえちゃうの! 一兆でも十兆でも、そのもっともっと倍のお金でも!!」
「いや、それはさすがに冗談でしょ?」
なんか子供っぽい人だなーなんて思いながら苦笑いしていると、田辺さんが白髪を後ろ手に撫でつけながら、
「いや、それが本当の話なんですよ」
と、レミたんの話を肯定した。
「ちょ……田辺さんまで……まさか、よね?」
尚も信じようとしないわたしに、智美が馬鹿にしたような目を向けた。
「説明してあげる必要なんてないわよ。その女子高生、きっと信用なんてしないんだから」
さすがにカチンときて、睨み返す。
「信用しないなんて言ってないでしょ? 話があまりにも非現実的だから」
「はっ、こんな洞窟の天井から落ちてきたビジュアル系オカマと、劣化ギャルの存在以上に非現実的ことが、どこにあるんだっての。随分とおめでたい頭してるのね」
しれっとした顔で毒を吐きかける智美の横顔が苛立たしい。
なんでこんな攻撃的なわけ?
わけわかんない。
そこに田辺さんが「まあまあ」と笑顔で割って入った。
「彼女は本当にアルカヌムを知らないようですよ。でも参加の権利がないものがここに来る事はできません。彼女達が参加者なのは間違いないでしょう」
参加者。
こんな洞窟で、行われる胡散臭いゲームの。
いつもだったら、ないない! って笑い飛ばすけど、状況が状況だけにそれもできない。
だって、ここにわたしを運び込んだ誰かがいるわけだから。
それがアルカヌムと呼ばれるゲームをするためなのだとしたら、一体なんの為に?
わたしは攻撃的な智美の視線を無視し、田辺さんへ体を向ける。
余程怖い顔をしていたのか、様子を見ていた蓮君が、慌てて田辺さんの後ろに隠れた。
「田辺さん、そのゲームについて教えてください。アルカヌムっていうゲームの事を」
田辺さんはにっこりと微笑んだ後、ゆっくりと首を縦に振る。
「もちろんですよ。あなたも参加者なのですから。皆さんもよろしいですか?」
周囲を見回す田辺さんに対し、誰もなにも言わなかった。
不機嫌そうに舌打ちをした中年スーツマンと、再び煙草に火をつけた智美も。
そしてわたしは知ることになる。
夢と希望に溢れたダイスゲーム、アルカヌムの存在を。




