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グシャ  作者: ウエ木エウ
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道化師たちの目覚め




『表の顔、裏の顔。

二面を使い分けることで、人は他人と関わり生きていくことができるんだよ』


 幼少のわたしに教えてくれたのは父さん、あなただった。

 年端のゆかぬ娘に、なにを想い語ったのか。

 十年以上たった今、その言葉を思い出した。

 目の前で人の顔がふたつに裂けようとしている、そんな悪夢の中で。 

 安っぽい黒タイルが、噴出した血液で赤く染まる。

 

「ぐっ……ああぁーーっ!」


 喉の奥から迸る絶叫が、湿りを帯びた岩肌に反響した。

 重く濁った空気。

 底冷えする寒さが、わたしの体を、心を冷やしていく。

 痛みに耐えれず狂い泣く女性の声。

 鼻先に漂う鉄の匂いが、それを現実のものだと認識させた。

 惨たらしい光景から目を背けると、篝火のようなヘーゼルの瞳と視線がぶつかる。

 赤い髪に白く透き通るような肌。

 眠たそうな瞳はくっきりとした二重で、やや高めの鼻は形良く整っていた。

 全身黒で統一された服は、髪の色をより鮮やかに際立たせている。

 精巧なビスクドールと言われても信じてしまいそうな外見をしたその人物は、山田田吾作やまだたごさくという大変古風な名前をした男性だ。


「田吾作さん……わたし達、どうしたらいいの?」


 首から下は自らの意思に反して、恐怖からか動かすことはできない。

 助けることも逃げ出すこともできずに、ただ惨劇を見せつけられていた。

 次は我が身だと思い知らしめる為に。 

 田吾作さんは、怯んだ様子もなく、前をじっと見ていた。


「アタシ達にできることはないわ。腹が立つくらいに」


 田吾作さんの口調は変わらない。

 でも、松明で照らされた赤い瞳が、炎のように燃えていた。

 女性の声は徐々に小さくなっていく。

 そして床になにかが崩れるような音がしたと同時に、女性の番が《《終わった》》のだとわかった。

 刹那。

 身長2メートルは超えていそうな長身の『それ』と目が合った。

 ううん。目が合う、と表現するのは間違いかもしれない。

 目があるべき場所は、形だけでなにもないんだから。

 思わず悲鳴を上げそうになり、ぐっと堪える。

 顔を横に背けると、恐怖に染まる二十の瞳がなにかを見ていた。

 マネキンのような外見をした『ヤツ』か、それとも……


 わたしの名前は木村冴女きむらさえめ

 平凡な普通の女子高生・・・だった。

 今は、そう言えない状況にある。

 ほんの数時間前に、誤まった選択をしてしまったせいで。

 始まりを語るには、今から一時間前に遡らなければいけない。

 きっかけとなったのは、赤いテープが張り巡らされたビルだった。

 粗野なラッピングをされたプレゼントの箱みたいな、異様な建物。

 でも、道行く人は誰もそれに気を止める様子はなくて。

 自分が異世界に迷い込んでしまったんじゃないかと思ったのをよく覚えている。

 WARNING

 警告という意味をもつ黒い文字が書かれた赤いテープ。

 元々、レンガ調の外壁に濃い緑色のツタが這うレトロな外見のビルは、ビジネス街では浮いた存在ではあったけれども……


「なんなの? これ」


 その日、わたしは自分の父親に会いに来ただけだった。

 なのに、父が働いているはずの会社が、こんなことになってるなんて。


「あの糞親父……まさか不倫して別宅作って失踪、とかじゃないでしょうね」


 ビルの正面に立っていたわたしは、そのすぐ右隣にある建物の一階にあった喫茶店の中を覗く。

 大きなガラス窓にはベージュのカーテンがかけられていて、外にメニュー表などはない。

 このテープがなんなのか店の人に聞きたかったんだけど、喫茶店の中は無人だった。

 もう一度ビルの前に戻り、全体的に見回す。

 福岡の中心街にあるこの四階建てのビルは、以前はビジネスホテルだった。

 規則的に並ぶ窓が多く、とてもシンプル。

 外の看板がなかったら、今でもホテルとして営業してるのかと思ってしまいそう。

 四角い一枚ガラスの窓には黒いブラウィンドがおりているので、外からは中の様子が全く分からなかった。

 正面入口はシャッターで封鎖され、人の気配はない。

 ビルの左右に造られた花壇の花も枯れ、長い間人の手がはいっていないようだった。

 入口の右側にある看板の社名を確認してみる。


『株式会社 デメテル』


 間違いない。

 父が勤務する会社だ。

 もやもやとした黒い感情が胸に広がっていく。

 母は「お父さんが帰ってこないのは、お仕事だから仕方がないのよ」ってよくいってた。

 お父さんは人を楽しませる仕事をしてるから。

 お父さんは家族の為に働いてるから。

 八才年下の弟、そらは「仕方ないよね」なんて聞き分けよくしてたけど、今回だけはそんな言葉通用させない。

 母が倒れたのは、一週間前のことだった。

 夕飯を作ってる時に、体中が痛いって暴れ出したかと思うと、突然気を失って。

 救急車で医療センターに運ばれた母は、すぐに精密検査を受けたけど原因はわからなかった。

 体温は平熱より低いけど、どこにも異常がない。

 もっと詳しい検査をするために、お父さんに連絡を取ってください。

 そういわれたから、何度も連絡しているのに。


「仕事が忙しくて帰れない」


って……

 なんなの、それ。

 わたしはいいよ。一人でも。

 でも空はまだ八才。

 妻が命の危機にさらされてるっていうのに、電話も無視とかどういう神経してるんだっての。

 親の仇のような気持ちで赤いテープを睨みつつ(実際それに近いんだけど)手にしていたトートバックの中からスマホを取り出し、父にかける。

 無機質な呼び出し音を聞きながら、父がどんな言い訳をするのかと冷ややかな気持ちで考えていた。

 でも。


「だめ。出ない」


 しつこく鳴らし続けてみたけれど、父は出ない。

 スマホをバッグに戻し、一歩後ろに下がってみた。

 今日は、今日だけは、父の都合なんて知らない。

 わたしはわたしが思うようにやってやる。

 立体駐車場とビルの間には人が一人通れるくらいの隙間があった。

 周囲を見回し、誰もいない隙にそこに入り込む。

 足元に変な虫がいないか気にしながら、そろそろと奥へ進んだ。

 そして手頃な窓を見つけると、つま先立ちで手を伸ばし、鍵が開いてないか確認する。

 一番手前の窓……残念、開いてない。

 右側の窓は全滅。

 建物の裏に回ってみる。

 そこは社員の喫煙スペースがあり、たばこの吸い殻がたまった一斗缶やパイプ椅子、自動販売機があった。

 窓は左右にふたつ。

 真ん中に赤いステンレス製のドアがあり、そこは外から南京錠がかけられていた。


「簡単にはいかない、か」


 赤いテープを指で弾く。

 ピッという避ける音がして端が切れ、慌てて手で押さえた。

 すぐ後ろには喫茶店が入ったビルがあるけど、忍者みたいに両手両足を突っ張りながら上に登るには距離がある。

 ぐずぐずしていて誰かに見咎められたらいけないし、喫煙スペースに移動したわたしは迷うことなくパイプ椅子を手に取った。

 その場にあったのは二脚。

 とりあえず椅子の状態にして、ふたつを縦に重ねてみたけれど、とても上に乗れるような安定感はない。

 かといって一脚だけだと高さが足りないし。

 椅子の上にたばこの吸い殻が入った一斗缶を置く?

 ううん。無理。

 わたしの体重で缶が凹むだけだと予想できる。

 なにか他に方法が……

 その時、目に入ったのが自動販売機の右横に置かれた空き缶入れ。

 公園などでたまに見かける丸いゴミバケツみたいな形をしたそれは鉄製で、網目から半分以上空き缶がたまっているのが見えた。 

 持ち上げるには重すぎるので、そこを転がすようにして移動させてみる。

 ビルとビルの間を通らせることはできないので、端ぎりぎりの位置に置くと、その上に畳んだままのパイプ椅子を重ねてみた。

 空き缶入れに蓋するみたいに。

 そして、その上にもうひとつのパイプ椅子を広げる。

 安定感は……ない。

 でも高さは十分できたと思う。

 わたしがバランスを崩すことなく上に立つことができれば、二階の窓にも手が届くはず。

 トートバッグを肩にかけ、スカートが邪魔にならないように右端を左手首に巻いていたヘアゴムで結んだ。

 見た目がとても悪いタイトスカートみたい。

 壁に右手をついて、恐る恐る空き缶入れの上のパイプ椅子によじ登る。

 ビルとビルの間に挟まれたことが功を奏したのか、特にぐらつかない。

 この調子で……と、思い切って両足で立ち上がってみた。

 うん。大丈夫。  

 怖くて足は竦むけど、がたがたって不吉な音はするけれど、なんとか立つことはできた。

 窓の隙間めがけて手を伸ばす。

 が……届かない。

 つま先立ちになってみるけど、それでも無理。

 あとちょっと。

 あとちょっとで……って、目の前のことしか見えなくなるのはわたしの悪い癖。

 体重の掛け方次第で簡単にバランスを崩してしまうような場所で、極端な移動をした場合どうなるか考えてなかった。

 その結果。


「あ……」


 体がガクンッと傾き、伸ばしていた右手が宙を描く。

 足を乗せた背もたれ部分から、パイプ椅子が斜めに倒れた。

 当然わたしの体も、そのまま前倒れに。

 あ、これ、落ちたら痛いわ。

 なんて呑気な記憶を最後に、わたしの意識は薄れ……どうなったのか、全く覚えてない。

 次に意識を取り戻した時、わたしはパイプ椅子の上にいたわけでも、ビルの横に倒れていたわけでもなかったから。

 目を開いた時に、最初に見えたのは黒い天井。

 ただ単に暗すぎて、なにがあるのかわからなかったんだけど。

 横に目をずらすと、岩っぽい壁に、小さな松明がちらほらあるのがわかった。

 でもその灯りは全体を照らせるほどのものではなく、気休め程度って感じ。

 背中に感じるごつごつとした寝心地の悪い床から思うに、洞窟みたいなところで寝ているんだとわかった。

 冷蔵庫の中かと思うような冷たい空気は、カビっぽい匂いがする。

 薄暗いし、体がむずむずして気持ち悪いし、なんかじっとりとしてるし、寒いし、痛いし……

 耳元でカサカサって虫が這っているような音がした。

 虫?

 む……


「虫!?」

 

 慌てて体を起こし、両手で耳のあたりを必死にはらう。

 きもいきもいきもいきもい!!

 ほとんど錯乱状態で体中を叩きまくっていると、その手を誰かに掴まれた。

 赤い炎のような髪に、柔らかなヘーゼルの瞳。

 白く透明感のある肌は滑らかで、薄紅色の唇は桜の花びらのようだった。

 全身黒い服を着たその人物は、にこりともせずにわたしの右手を握っている。


「大丈夫?」

 

 発せられた声を聴いて驚いた。

 こんなに綺麗なのに、女性じゃないんだって。


「だ、大丈夫、だと思う」


 そう返し、立ち上がろうと試みる。

 男性はわたしの手を軽く引き、手助けをしてくれた。


「あ、ありが……」


 お礼を言いかけ、言葉を切る。

 視界に飛び込んできた周囲の状況が、あまりにも異常だったから。

 自分が洞窟みたいなところで寝てるんじゃないかとは思っていた。

 でも、松明に照らされたごつごつとしていてぬらぬらとしている岩肌や、どこからか聞こえるカサカサっていう虫が動く音以外、完全な闇に閉ざされた世界は、想像以上に凄まじいものがあった。

 冷たい空気が肌を撫でる。

 松明の明かりに集まった虫が、ジジジッという音をたて、焼かれて落ちた。


「な、なんなのここっ!?」

 

 わたしは、オフィス街に並ぶビルのすぐ外にいたはずだった。

 断じてこんな洞窟の中に移動した覚えはない。

 男性はきょとんとした顔で、


「暗いわよね」


と答える。

 いや、そんなことを聞きたいわけじゃない。

 って突っ込みたい気持ちも、男性の言葉遣いに驚いて失せた。


「あ、あの、オネエ様の方ですか?」

 

 失礼なわたしの発言に、男性は首を横に振る。


「オネエって名前じゃないわ。山田田吾作っていうの。よろしくね」


 冗談でしょ。

 いつの時代の人なんだって。

 わからない。

 なにがなんだか全然わかんない。

 体や頭が痛いのは椅子から落ちたからだと思う。

 そこはいい。

 でもなんでこんな洞窟の中にいるわけ?

 珍しいものでも見るような表情で、わたしを見ている男性。

 ぶしつけな態度にイラついて、


「山田さん……あなたがわたしを誘拐したの?」


と、尋ねると、男性は首を横に振った。


「田吾作、でいいわよ。誘拐ってどうして?」


「じゃあ田吾作さん。どうしてって……どうして?」


「だってここに寝てるあなたを、見つけただけだもの。誘拐なんてできるわけないじゃない」


 男性、田吾作さんは深く息を吐き出し、肩を竦める。

 全然わからない、というように。


「だまそうったってそうは……」


 混乱するわたしの頭の中は、女子高生誘拐事件!? とか、人身売買とか物騒な言葉でいっぱいだったんだけど、田吾作さんがわたしの背後を指さしてる事に気付いて言葉を切った。


「……なに?」


「あーれ。あれがなにか知ってるんじゃない?」


 あれ?

 なんのことかわからないまま背後を振り返ると、そこには真っ白なマネキンが暗闇の中、ぼやっと浮かんで見えていた。


「マネキン? なんでこんなとこに……」


 意識したことがなかったけど、こんな場所でみるマネキンって、ものすごく怖い。

 思わず田吾作さんの腕を掴むと、


「聞いてみる?」


って、なんとも呑気な言葉が返ってきた。

 なに言ってるの、って言おうとした口を閉じる。

 ゴトッ、ゴトッっという、なにかが床をたたく音が聞こえた。

 それは段々大きくなっていく。

 同時に暗闇に浮かぶマネキンの姿もはっきりしてきた。

 頭髪も表情もない凹凸のみで人間を模された。マネキン人形。

 それが一歩一歩こちらに向かってきている。

 口から、想像以上に大きな悲鳴が漏れた。

 無意識なのに自分で自分の耳を塞ぐ程の大きな悲鳴が。

 でも悲鳴なんかでそれの動きを止めることはできなかったらしい。

 座り込んだまま叫び続けるわたしの目に、マネキンが手にしているものが映った。

 錆色の鋭いナイフ。

 なんでマネキンが!?

 なんでナイフなんか!?

 なんで、なんで、なんで。

 完全にパニック。

 そんなわたしの体を、田吾作さんがひょいっと肩に担ぎあげた。

 腰に回された細く長い腕。


「逃げるわよ」


 そういうと、田吾作さんはわたしの体を小脇に抱えていることを苦にした様子もなく、ものすごい速さで走っている。

激しい揺れの中、必死に顔を前に向けると、田吾作さんは空いた左手に松明のようなものを持っていた。

小さなその火は、今にも消えてしまいそう。

「お、下ろしてっ」

「黙ってなさい。舌、噛むわよ」

呼吸の乱れひとつもない田吾作さんの声に、わたしは慌てて口を噤む。

項垂れ、混乱する頭を必死に働かせようとしたが思考の整理すらできない。

気になって顔を上げると、篝火のすぐ近くでマネキンが停止しているのが見えた。

田吾作さんに助けられてなかったら、今頃どうなっていたのか……

マネキンの姿はどんどん小さくなっていく。

自分が陥った状況すら理解できぬまま、出会ったばかりの男性はわたしを抱きかかえ暗闇の中を突き進んでいった。

理不尽なゲームが既に始まっていたことも気づかずに。

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