五人の旅路(前)
東の空が白む。王都マレクの門が開く。オレ達はテントを後にして、今日の目的地である農村ワイゲルトのある西へと出発した。そして昼頃、道中で手に入れた果実や小動物の肉をユーリと共に調理し皆で分け合って食べることにした。短剣と焚火と適当な枝。これだけで肉を料理する様を三人は不思議そうに見ていた。今日も中々の出来だな、と思いながら焼いた兎の肉を頬張っていると、ルーツィエが問いかけてきた。
「ねえ、あなた達、旅の間ずっとこうやって食い繋ぐ気だったの?」
そうだと答えると、彼女は目をまん丸にして驚いた。
「信じられない、何も手に入らないかもしれないのに」
「多少の保存食は買っておくんだ。それでも、毎食それだと旅費が足りるか分からない。だからなるべく食べ物を集めて、それを食べて節約する。野宿を避けようにも、きみ達と違って馬車やテントで夜を明かすっていうのができないからな」
「そういう訳でしたか。考えてみると私達は宿代、というのを考えずに済んでいましたからね。有難いことです」
そう言うとマティアスが神様に感謝を示す仕草を行う。ルーツィエもそうね、と言って彼に続く。それじゃこのやり方で食に困らなかったことに感謝だ、と言ってオレも続こうとすると、突然ミカエラが顔を曇らせて呟いた。
「嫌な、予感……」
「どうした?」
ユーリが近くに寄り辺りを警戒しながら彼女に近づいた。
「皆は分からないっていうのだけれど、魔物が街に近づいたときや普通の魔法使いが近くで魔法を使う時に感じる何か……世界が壊れるような、そんな感じ……。だけど……西の方の遠いところよ。それに強いわ」
「……歪みの事か。魔物が来るかもしれないな。気をつけろ」
ユーリだけでなくミカエラも魔物の気配が分かるのか。何はともあれのんびり肉を食べている場合ではなさそうだ。オレ達は急いで食事を済ませてその場を後にした。西の方という事はこの先そいつと鉢合わせする可能性がある。周囲を警戒しながら歩いていると、占い師風の少年が前方から近づいてきた。彼とすれ違う、その時だった。
「危ない!」
ユーリが最も少年の近くを歩いていたミカエラの腕を引いた。彼女が立っていた場所には、小さな刃が鋭く輝いていた。
「失敗、かぁ」
少年は残念そうに呟く。直後、ユーリは少年の胸元に蹴りを入れ、剣を抜くと少年の喉元に刃を当てた。
「貴様、何の真似だ」
「空の魂を持つ娘を処理したかっただけ。そして時の魂を持つ男、ユリウス・ハルトマイヤー。お前もね」
「……!」
何故、この少年はユーリの名前を知っている?時の魂に空の魂?一体何のことだ。驚いているオレをよそに、少年はまるで余裕さえ感じさせるようにクスクスと笑ってユーリに向かって話しかけた。
「……ボクの放ったあの生き物に襲われたのに、よく生きてたよな」
刹那、あの夜の事が脳裏をよぎる。強大な魔物。オレの体に零れ落ちた赤い滴。息も絶え絶えの親友。再び大切な人を失うのではないかという恐怖。その瞬間、オレの体は怒りに任せて槍をそいつの体に向けていた。いや、既に槍はその体を突き抜けて地面に刺さっていた。
「お前がやったのか!あの化け物を呼び出して!この悪魔が!」
「……そう、だよ……」
少年の苦しそうな声が聞こえて思わず槍を引き抜く。未だに人を殺す感覚には恐怖を感じる。たとえそれが盗賊であってもほんの少しの間だがためらってしまう。ましてや今回はオレ達よりも少し年下のように見える少年だ。オレは自分の行いを悔いて思わず一歩下がり目を閉じた。
「でもね、キミたちは勘違いをしているよ」
後ろからあの少年の声が聞こえた。振り返ると、確かに先ほどこの槍で刺し殺したはずの、銀髪の少年が後ろに立っていた。
「えっ」
「ユリウスに返り討ちにされるのを想定してダミーにやらせたんだ。随分と面白いことになったけれど」
面白い、だと。人を殺そうとして、自分の影武者が殺されるところが。動揺を見透かしたかのように少年が言葉を繋げた。
「心配しなくてもいいよ。あれは特殊な魔術で作ってもらった人形なんだ。ボクはラルフ。神様がある人に与えた、魔法を広める事ができる人間を手伝うための天使。あの化け物だって、その為の行動の一つに過ぎないんだ。……ボクを悪魔と言った事、よく覚えておくといいよ。本当の悪魔は誰なのか、きっとキミはすぐに知ることになる」
「……本当の悪魔、か」
ユーリが呟く。その言葉に反応してかラルフは妖しげな笑みを浮かべる。
「神様も回りくどい事を命令するもんだよな。力の伝播だって起こるかもしれないんだ。悪魔どもは今、ここで、始末してしまえば良いんだよ」
そう言い終わるなりラルフが指を鳴らす。力尽きた人形の懐から禍々しい黒い塊が現れた。間もなくその姿は巨大な獣へと変化していった。
「嘘、魔物……が……!」
怯えるミカエラ。庇うように彼女の前に立つルーツィエ。そしてユーリが二人の方に向いて大丈夫だと言って続けた。
「確かにあの時みたいに強い魔物だろうな。だが今は五人、戦うには十分だ。細かいことは後回しだ。行くぞ!」
ユーリが時間制御を使い背後から斬りこむ。オレが正面で魔物の攻撃を食い止めている間に後ろからルーツィエが後ろから急所を狙って矢を放つ。そして更にその後ろからマティアスとミカエラが魔法を放つ。五人がかりの攻撃には流石に耐えきれなかったのか、魔物はすぐに形を失って黒い霧と化した。しかし少し離れた場所で宙に浮きながらその様子を見ていたラルフが、後方の二人を見て嘲笑うように言った。
「あれ、お嬢さんに異端の聖職者さん、キミ達には分からないのかな」
マティアスが眉をひそめる。
「何の事でしょう。それに私はクレヴィング王国のアミクス大聖堂において、巡回説教者として登録されている者ですが。貴方はアンゲルス派のお方なのですか?」
そういえば前にハンス先生に教会にも流派があるという話を少し聞いたことがある。恐らくその話をしているのだろう。だが、今ラルフが話している内容はそういうものではないようだ。ミカエラが何か恐れているような口調で話し始める。
「宗派の話じゃなくてただの魔法は魔物には効かないということ。そうでしょう」
「そうそう。それじゃ、なぜキミの魔法はあの魔物に通用したんだと思う?」
その時だった。挑発し続けるラルフに対するユーリの怒りは限界に達していたのだろうか。ラルフの目の前に瞬時に飛び出すとその体を一刀両断にした。辺りには光の粒が飛び散った。
「魔物を出すような者が天使、とはな」
突然の終わりに呆然とするオレ達四人をよそに、ユーリは静かに剣を鞘に納めた。
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やはり大物相手の戦闘で無傷とはいかなかった。ミカエラの魔法による治療を受けた後、再度ワイゲルトに向けて足を進めた。歩みを止めることはなかったが、ミカエラの顔は終始曇ったままであった。各々が先ほどの戦闘におけるラルフの言葉に思う事があったのだろうか。誰一人口を開くことなく黙々と歩き続けた。暫くすると道の両脇は森の木々から広大な小麦畑に代わっていた。その向こうにワイゲルトの村が見え始めた頃、ようやくミカエラが口を開いた。
「私には分からない。何故私の魔法だけ、異常なほどに強いのか。魔物に対して通用するのか。きっとあの子は、理由を知っていたのよね……」
「ラインハルトさんがあなたを箱入り娘にして育てていたのもその力の強さのせいだとは思うけど……別に気にする必要ないと思うよ?」
下を向いたままのミカエラに、ルーツィエが明るく話しかける。
「大丈夫、何にせよあたしはあなたのその力で命を救われた。そしてずっと一緒なわけじゃなかったけど、そういう事があったから親友になれた。変な魔法だか力だかよく分からないし、そもそも説明されてもあたしの頭じゃ理解できそうにないけどそれで良いじゃない」
「そうですね。彼の異端という言葉が気にならない訳ではありませんが」
そう言ってマティアスはミカエラに笑顔を向けた。
「でも私は思うんですよ。確かにオプタル教の神の教えは絶対です。でも、その教えを記した本に全てが書かれている訳ではないと。だから、聖典を定理として間違っていると証明できること以外には、誰も知らない正しい理も存在するのではないかとね」
オプタル教。確かオレ達が神様を信じる、その形に与えられた便宜上の名前が確かこの名前だ。人を愛する神がその願いに応じて力を与えたという話から、願いという意味で名付けられたと聞いたことがある。もっとも、オレ達庶民にはこの神様を信じるというのが当たり前すぎる話なので、自分の宗教の名前に触れる機会すら存在しない。それ故に聖典という言葉が出るまで恥ずかしいことにオレには何の話かさっぱり分からなかった。この先、こういった話が複雑に絡み合ってくるのかもしれない。村に到着したら、寝る前にマティアスにオプタル教の事情とやらを一通り聞いておいた方が良いだろう。
「……誰も知らない正しい理、か」
そっと放たれたユーリの言葉を、オレは聞き逃さなかった。彼は少し悲しい顔をしていたような、そんな気がした。