運命の邂逅(前)
西の空が赤く染まり、東の空が深い紺色に変わっていく様子を眺めながら、エルラーに入る。思いのほか早くこの村に到着したようだ。だが小さな農村にしては何やら騒がしい。よく見ると、広場には鮮やかな色のテントがあった。サーカス団、等と呼ばれる旅芸人のテントだろうか。ティアムには商人は来るもののこういうものを見ることはない。この賑やかさならばまだ見世物が続いているのだろう。オレは少し覗いてみたくなった。
ユーリもそれならば見てみようと言うので、急いでテントの中に駆けこんだ。どうやら舞台も後半を過ぎたところだったようで既に大きく盛り上がっている。芸をしているのはほとんどがオレ達よりも年下の子供のようであったが、その誰もがこの上ない笑顔で見る人をあっと驚かせるような芸を披露していた。そうこうしているうちに同い年位の一人の娘が舞台に上がり、一段と大きな歓声が上がった。
長く癖のない淡い金髪の彼女は弓使いのルーツィエと名乗り、手始めにいくつか奇術を披露した後に小さな机に水を一杯に注いだ細いコップを置いて箱を被せ、手元にあった小さな林檎をそのコップの上に瞬間移動させた。そして近くにあった弓を手に取るとその林檎を狙って矢を放つ。矢は林檎を貫いて吹き飛ばす。下にあったコップからは、一滴の水もこぼれていなかった。
最後にこの旅芸人の一座を率いているのであろう、大柄な男性が舞台に上がり剣技を披露した。彼は元兵士なのだろうか、ユーリの素早さと斬りの正確さを生かした攻め一辺倒のようなスタイルではなく、全体的にバランスのとれた剣技に見えた。様々なものを豪快に両断する、その腕は確かなものであった。
舞台が終わりその素晴らしさに呆然としているとユーリにそろそろ出て宿に行くぞ、と腕を引っ張られた。慌てて立ち上がったその時、あの弓使いの女性がオレ達の方に近寄り、澄んだ緑色の瞳をこちらに向けて尋ねてきた。
「ねえ、貴方達もしかしてティアムの魔物狩り?金髪碧眼の槍使いに黒髪金眼の片刃剣使いの二人組のものすごく強い少年達がいる、って旅の途中で聞いたんだけど」
オレ達はもしや旅の人の間で噂になっているのだろうか。
「そうだけど、どうしたんだい?」
そう答えるや否や、彼女は座長と思わしき男性に向けて叫んだ。
「テオドール!やっぱりこの人たちティアムの魔物狩りよ!」
「やはりな。……一つ依頼をして良いだろうか」
男はこちらに近づくや否や仕事の依頼を持ちかけてきた。だが生憎オレ達も旅の途中だ。道中での退治以外を引き受ける訳にはいかない。
「実は今オレ達旅の途中であまり遠出はできないんですけど、どこに居るんですか?」
そう言うと男は少し考え込んだ後、すまなそうに切り出した。
「あくまで噂なんだが…この先王都マレクに向かう道のそばの洞窟に魔物が棲みついたって話だ。……自己紹介が遅れたな。俺はテオドール・シフォルスト。旅芸人の一座を率いている。俺の一座は人狩りから助け出したものの親元に帰れなかった子供を帰すための旅から始まったものでね、芸をやっている皆も親と会えれば帰す予定なんだ。だからあまり危険な目には遭わせたくないんだよ。こちらの出立は明日の昼。もし明日の午前中にマレク方面に向かうなら、洞窟に寄って退治しマレクで合流、報酬の支払いというのでやってもらえんかね」
サーカスとやらは売られた子供に芸を仕込んで行わせると聞いたことがある。だがこの子供たちはテオドールと名乗るこの男に救われ、親に見つけてもらうために芸を磨いて希望を抱いて舞台に立っている。危機から救われ、親と引き離された後も仲間と共に未来を見据えて努力する。そんな彼らを魔物の危険に曝したくはない。
彼らの境遇に共感したのを見抜いたのだろう。オレが返事をする前にユーリが口を開いた。
「ニック、仕事を受ける気だろう?余計な傷は負いたくないところだが、俺たちは魔物退治が仕事だ。仕方ない」
「ありがとさん。報酬は1000ヴィルでいいかい?」
噂程度で1000ヴィルか。かなり高額の報酬だ。
「報酬は明後日の午前中、貴方のテントに受け取りに行きましょう」
「分かった、それで契約成立だな!よろしく頼むぞ」
「それじゃ夜も遅いのでオレ達は宿で休みます!」
そう言うとオレ達はテントを後にして、宿に入った。
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夜が明けた。ティアムで考えた予定通りならば今日は昼前に出ないとマレクには着かない。依頼を同時にこなすとなると、すぐに村を出なければならない。マレクはこの村の北西にある。森の中を通る道だというが、幸い王都につながる道なのでそれ程悪い道ではないだろう。手持ちのパンを食べ急いで宿を出た。昼過ぎまで歩き続け、脇に細い道がある開けた場所で昼ご飯を食べながら周囲を見回すと岩山があり、その下に大きな穴が口を開けていた。
「これが例の洞窟だな!」
「ああ、慣れない洞窟での戦闘だ。気をつけろよ」
昼ご飯を食べ終わり、洞窟に踏み込む。小さな魔物は大量にいたがこの程度ならば容易く倒せる。あのテオドールという男がわざわざ依頼してくる位だ。恐らく大物がいると噂になっているのだろう。そんなことを思いながら進んでいくと奥の狭い空間の奥に巨大な黒い塊がみっちりと詰まっていた。確かに随分な大物が棲みついていたようだ。だが、これでは槍などの長い武器はかえって不利になる。
「なんであんな狭っこいところにいるんだよ……」
「俺に任せろ」
そう言うとユーリは正面から飛び込んでいった。流石にその向きからただの剣技で攻めるのは難しいだろう、と思っていると、案の定彼はその真の力を発揮した。
「時間制御・自己加速!」
そう言い終るや否や目にも止まらぬ速さでユーリが奥に飛び込み、洞窟内が黒い霧で満たされた。化け物は既に消えていた。ユーリは剣を収めると、深呼吸をして壁にもたれかかった。オレは駆け寄って声をかける。
「大丈夫か?」
「この程度なら問題ない」
そう言ってユーリは体を起こすと、こちらに向かって歩き始めた。
彼には時を操る能力がある。今のは自分の時の動きを速めて相対的に加速する、という技だ。他にも敵の時を遅らせることもできる上に、それぞれの能力の発動を限界まで強めれば事実上移動時間なしで敵を斬り伏せたり、敵の動きを完全に止めたりすることが可能らしい。だがこの力は彼の体に大きな負担をかけ、それ故に連発することは難しい。マレクまでの道のりに、大物が出ない事を祈りつつオレ達は洞窟を後にした。
そして日が大分傾いてきた頃、小さな丘に差し掛かった。丘の上には木がほとんどなく、王都マレクに続く道と城壁をはっきりと見ることができた。これならば夜になって門が閉まる前に王都に入ることができるだろう。そう思って丘を下りると、ユーリが何かの気配を感じ取ったようだ。
「どうした、ユーリ?」
「歪みの気配がする。……依頼は達成したんだ。ここはやり過ごしたい」
魔物だろうか。確かに彼は先ほど時を操る力を使って少し消耗しているはずだ。だが彼は少しばかり報酬の上乗せを求めたりすることはあっても、人一倍正義感の強い人間だ。危機に直面している人間が居れば何のためらいもなく力を使いその助けになろうとする。昔からそのせいで倒れてしまうことが何度もあった程だ。だから、普通ならばこれから依頼人が通るはずの道の傍に居る魔物をやり過ごすと言い出すような人間ではない。一体どういう訳だろうか。不思議に思いながら足を進めていく。
何処からか少年の嘲笑うような声が聞こえた気がした。その時だった。
咆哮と共に見たこともない大きさの巨大な獣の姿をした魔物が目の前に姿を現した。
「何だこれ!」
「ニック!危ない!」
魔物の爪による一撃がオレの頬を掠めた。
「ちいっ!」
「……奴は今までの魔物とは格が違う。俺たちを殺しに来ている。気をつけろ」
そう言うとユーリは剣を鞘から抜いて敵を見据えた。オレも槍を構えて正面から飛び込む。だがこんな化け物はオレでは倒せない。あくまで、ユーリが攻撃するための隙を作るためだ。直後、敵の背後で人の影が縦横無尽に飛び回り奴の体に傷を刻み刃を突き刺していく。自身が消耗する前に時間制御を使用して一気に敵の力を削ぐつもりか。しかし能力の発動が切れたのだろう、着地したユーリは息を切らして膝を突き、悔しそうに言った。
「……倒しきれなかった……」
「大丈夫だ。何とか持ちこたえて隙を狙ってみる。一回後ろに下がれ」
華麗に攻めるなんて芸当はできないが、武器の長さを生かして耐えるのと力任せに強力な一撃をお見舞いするのはオレの得意技だ。ユーリの体勢が整うまでどうにか耐えて、その後二人で畳みかけるか。そんな風に戦略を立てつつ戦いを続けていると流石にユーリのつけた傷の影響が響いてきたのだろう、魔物の攻めの勢いが鈍り始めた。
「ユーリ、そろそろ行けるか?」
「剣技だけなら」
「行くぞ!」
二人でもう一度攻めに転じる。今度はオレも突きや薙ぎ払いで攻撃を続ける。すると化け物は動きを止め、じわり、と後退りをした。しめた、と思い槍で止めを刺そうと飛び込んだ、その時だった。
「ニック、駄目だ!」
ユーリの声が響く。化け物がこちらに向けて突進してきていた。だがこの勢いも利用して貫かせて貰おう、そう思った時だった。
化け物の前足に、槍が薙ぎ払われた。オレは後ろ向きに転び、槍は森の奥へと吹き飛んでいった。
「……!」
「ニック!」
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奴の鉤爪が、ニックの体を狙って振り下ろされる。彼に避ける術はない。いくら弱っているといっても相手は巨大な大物。俺の力では勝てるはずがない。
俺は、人として生きていたい。そして、誰かを守りたい。……問題ない。どうせ今命を落としたとしても、俺の死は、生きる事から逃れることは許されないのだから。また苦しい時間を過ごす羽目になるとしても、俺が人間である限り彼を死なせる訳にはいかない。
「時間制御・自己加速」
俺は鞘に剣を納め、力の限り駆けだした。
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もう駄目だ、そう思った時だった。誰かの呻き声が聞こえた。
オレの上に落ちてきたのは、固い化け物の爪ではなかった。それは温かく、赤い液体。衝撃による眩暈に耐えながら体を起こした瞬間、何かが目の前で崩れ落ちるように倒れこんだ。
「……ユーリ!!!」
ユーリがオレを庇って飛び出したのだ。化け物の爪が彼の腹部を切り裂き、酷く出血していた。
嘘だ。嫌だ。何故。
混乱するオレに向けてユーリが声を発した。
「……まだ……奴が……」
我に返りユーリの剣を手に取り化け物の方に向き直る。その時だった。一本の矢が化け物の喉を貫いた。そしてその巨大な魔物が黒い霧と化して消えた。誰かが矢を放って助けてくれたようだ。
何はともあれ一刻も早くユーリの傷の止血をして、マレクの街の医者を探してそこに運ばなければならない。しかし傷は深く、強く縛っても全く出血が収まる気配はなかった。一体どうすれば良い。途方に暮れるオレに、誰かが声をかけてきた。
「お前さん達か!」
テオドールさんだ。ちょうど旅芸人の一座の馬車がオレ達に追いついたのだ。
馬車の中から聖職者風の青年が下りてきてユーリの様子を見てこう言った。
「酷い……私の簡単な治癒魔法程度では手に負えません」
「あの、マレクの医者の所まで運んでもらえませんか!」
テオドールさんは難しい顔をしたまま頷いた。
「ああ、知り合いの腕利きの医者がいる。診療所まで連れてってやるから馬車に乗せるのを手伝ってくれ」
ユーリを背負い馬車に乗り込む。中では弓使いのルーツィエをはじめとする年長の団員達が資材を避けて場所を作ってくれていた。先ほどの聖職者風の青年は治癒魔法を唱え続け、状態の悪化を可能な限り遅らせてくれた。だが以前魔法に関する文献で、治癒魔法はあくまで回復力を異常に高め結果として傷を治すというものであり、傷が深すぎる場合悪化の速度に負けることもあると読んだことがある。今が正しくその状況なのだろう。
馬車は全速力でマレクの医者の下を目指して道を駆け抜けた。
治癒魔法のおかげでどうにか出血を抑えることはできた。しかしユーリの呼吸は次第に浅く、苦し気なものに変わっていき、瞳は虚ろになっていった。