ニックとユーリの魔物狩り
「おいおい、話の続きを…!」
鍛冶屋の店から飛び出した若者は、小麦色の髪を揺らして夢中で家に駆けていく。小さく古い民家のドアを勢いよく開けるなり、中に向かって叫んだ。
「ユーリ!依頼だ!大物だぜ!」
本を読んでいたのであろう、ユーリと呼ばれた若者は呆れた様子で本を閉じて問い返す。
「……ニック、落ち着け。依頼主は誰で、どんな内容だ?」
「鍛冶屋のクルトさんで、何でも燃料の薪をとる南の森に人間二人分位の高さのデカい奴がいるから退治してくれってさ!」
「それは確かに大物だな。報酬は?」
「銀貨10枚、つまり1000ヴィル」
ユーリは軽くため息をつき、一つに束ねた長い黒髪を左右に揺らす。
「仮に大物単独でも少し安いな。それでもクルトさんには随分世話になっている以上、仕方ないか」
「それじゃ、準備して行こうぜ!」
「いや、その前にもう少し話を詳しく聞きたい。一度鍛冶屋に行こう」
「そうだな!」
ニックは泉の如く青く澄んだ目を更に輝かせて答えた。
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鍛冶屋に着くと主人のクルトは作業の手を止めて振り返り、やはり戻ってきたか、という顔でニックを見た。その様子からユーリも彼が最後まで話を聞かなかったことを察したのだろう、元より愁いを帯びた琥珀色の目に更に影が差した。
「あ、すみません!もう少し聞きたいことが……」
「今お話ししても構いませんか?」
「構わないぞ。……ここは暑い。水でも飲んでいけ」
そう言いながらクルトは水を二人に差し出した。礼を言って受け取るや否や飲み干すニックを余所目に、ユーリは仕事の話を始めた。
「化け物の話を詳しく教えて下さい。何せ相手は大物ですから」
「ああ。そんな事だとは思っていた。この前薪をとるために南の森に入ったら、ちっこい化け物が集団で襲ってきた。その後ろででっかい奴がそいつらに何か指示出しててねぇ。そいつ自身の攻撃を受ける前に命からがら逃げ帰ってきた」
「そうでしたか。それにしても無事で何よりです」
コップを置いたニックは少し顔を曇らせてユーリと顔を見合わせた。
「集団ってことはその大物だけじゃないんだな」
「しかも統率が取れている。厄介な相手だ」
その様子を見たクルトは少し申し訳なさそうな顔になる。
「ありゃ……だが森が使えないと仕事ができんからな。銀10じゃさすがに悪いかね」
「できればあと少し、銀一枚分追加の1100ヴィルで」
すかさず切り返すユーリ。クルトは慌てて
「刃の研磨はどうだ?」
と問うが後の祭り。
「代わりに小型の砥石を一つ。他では手に入らないので」
「ふん、ちゃっかり銀一枚分請求しおって。抜け目ない奴め」
命懸けの仕事をする以上あまり安値で引き受ける訳には行かない。それ故にお人好しのニックに代わり報酬の上乗せを求めるのもユーリの仕事になっているのだ。
「クルト、どうする?」
藍玉のような目を向けて問いかけるニックの顔を見てクルトは少し考え込むと
「仕方ない、これで確定だ。町に魔物が出た際の報酬が善意任せなのを考えると、この位は応じてやらんとな」
そう、彼らはあくまで町の周辺の魔物狩りを生業としているのであり、町に魔物が攻め込んできた際には後に寄付を募るといえど無償で魔物退治を行っているのだ。それ故に彼らは町の英雄と呼ばれている。あくまで表向きの話ではあるが。
「よし!それじゃ、今回の内容。南の森の大型の魔物および取り巻きの小型の魔物退治。報酬は銀10と小型の砥石一個。これで問題ないんだよな?」
「ああ、問題ないぞ」
「それでは、少々準備した後行ってきます。また後ほど」
店を出る二人を見送りながら、主人は一言呟いた。
「……クレイグさん、ニックは本当に良い友を持ったもんだなあ」
報酬の上乗せを求められたにも関わらず、二人の背中を見つめる彼の瞳は笑っていた。
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ユーリと共に家に戻り、それぞれ武器を用意する。
オレ達が孤児院から独立する際に、長らく放置されていた空き家をクルトさんや仲間達に手伝ってもらってどうにか住めるようにしたのが五年ほど前だったか。それ以来ずっとこの家を拠点として二人で魔物退治屋、「ニックとユーリの魔物狩り」を営んでいる。オレは古びた槍を手に取りながらユーリに問いかけた。
「今日の調子はどうだい?」
「剣なら問題ない。技も一通り確認してある」
椅子に腰かけて非常に鋭い片刃の両手剣を鞘から抜き、刃の輝きを確認しながら彼はそう答えた。しかしオレが気にしているのはそういう事ではない。
「違う、体の調子は」
「大丈夫だ」
ユーリは人並み外れた剣技と不思議な能力を持っており、戦闘能力に限れば精鋭と呼ばれる兵と同程度の強さだと噂される程の存在だ。だが昔から体が弱く無茶をして体調を崩すことも少なくない。それに対してオレは体こそ丈夫だが戦闘となると彼の足元にも及ばない。一人で一度に相手にできる魔物は小物で二体、中くらいで一体が限界だ。そのため彼が動けなくなれば引き受けられる依頼が極端に減り、実際に被害が出ることもある。何よりも……
「俺はそう簡単には死なない。何度も危険な状態から戻ってきた、そうだろう?」
ユーリは笑って答える。お見通しか。そうだった、彼は誰よりも人の気持ちを察するのが上手いんだ。
彼はその考えすら見透かしていたかのように微笑んだが、すぐに表情が曇り何か呟いた。聞き返しても返事はない。暫く間が開いた後、彼は立ち上がり声をかけた。
「……行くぞ、久々の大物狩りだ」
「おう!ついでに薬草や果物があったら採ってくるか!」
「そうだな。怪我をしたり刃が鈍になってしまったりしてはいけないから仕事の後になるが、兎の肉や小鳥の卵を調達するのも良いかもな」
命懸けの仕事をしても、収入だけではどうにか食い繋ぐのが精一杯だ。戦うための体力を補う食べ物を買うような贅沢などできる訳がない。だから、オレ達の生活にはこの「ついで」が欠かせない。今夜は何が食べられるだろう、と期待に胸を躍らせながら森へ向かった。
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森の中を進んでいく。昔からこの森では町の人々が薬草や食材を調達し、木材や薪を得ていた。そういえば誰に教えられたわけでもないのにユーリはこの町の教会で目を覚まして間もなくその事実を知っていたな。
珍しく仕事中に昔の事を思い出しながら歩いていると、男の悲鳴が聞こえた。
「何か声がするぜ。誰か魔物に襲われてるんじゃないか?」
「……。男の声だ。そして魔物の気配。大物の他に複数」
ユーリには魔物の気配が簡単に分かる。独特の、歪みのある気配だという。魔物は黒を基調とした禍々しい色をしておりその姿は様々だ。そして人間だけを襲うが、時に動物や植物、あるいは人間そのものにとり憑いて魔物化という現象を引き起こす。今回の対象が魔物化した人間ではないと良いけれど。
二人で静かに魔物に近づく。依頼の対象である大物と取り巻きで間違いないようだ。よく見ると一人の吟遊詩人風の男が魔物の集団に襲われ、短剣一つで必死に応戦しているところであった。男はこちらに気がついたようだ。
「誰か、そこにいるんだろう!助けてくれ!」
声を出されては仕方がない。ユーリが鞘から剣をスラリと抜き、飛び出して周囲の取り巻きを数体まとめて斬る。オレもすかさず集まった敵を薙ぎ払い、うち一体を突きで仕留める。男が声をかけてきた。
「あなた方は!」
「話は後だ。魔物を先に片付ける。行くぞ、ニック」
「おう!」
相棒の目はまるで獲物を見つめる狼のように鋭く輝いていた。
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ユーリの刃は次々と取り巻きを捉えて切り裂いていく。辺りには力尽きた魔物の残骸である黒い霧が立ち込めていた。その間に大物と相対して時間を稼いでおくのがオレの役目だ。
「お前の相手はこっちだぜ!」
槍でつついて大物の注意を引き付け、攻撃を槍で受け止め腕力に任せて敵の動きを止める。そして一瞬の隙を見て薙ぎ払う。そしてよろめいた魔物に槍を突き刺した。槍を抜こうと抵抗する魔物と力比べをしていると、木の上から何かの影が魔物に向けて飛び掛かり一閃と共に魔物の頭が胴体から離れて奴は消滅した。その影は言うまでもないがオレの相棒だ。
「終わったな。……問題なし」
華麗に着地したユーリは剣の刃を一瞥した後にそう言って鞘に納めた。オレは襲われていた男に大丈夫ですか、と声をかけた。男はありがとうございます、と礼を言い立ち上がると吟遊詩人のフランクと名乗り、申し訳なさそうな顔をしてこう言った。
「誠に恐縮ですが一晩泊めていただけませんでしょうか。助けていただいた身でありながらこのようなお願いをするなど、失礼極まりないとは思うのですが野盗にお金を盗まれて宿代が足りなくなってしまいました」
「オレは問題ないけど……構わないよな?」
とユーリに問いかけるとやれやれ、という顔をしながらも小さく頷き
「構いません。その代わりこれからこの森で食材を集めるので手伝って頂けますか」
と言った。フランクさんは快諾してくれて、それから三人で様々な食材や薬草を手に入れ、そうこうしているうちに日が傾き始めた。
「間もなく夕暮れ時です。そろそろ戻らないと皆が心配しますよ?」
「本当だ!それじゃ、早く報酬貰いに行こうぜ!」
「そうだな」
こうしてオレ達は一度家に寄って武器と食材を置いてフランクさんを休ませると、クルトさんの店に向かって報酬を受け取った。
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今日の食卓はいつもよりほんの少しだけ豪華なものであった。美味しい料理を囲みながら今日の戦闘を振り返って二人で楽しく会話をしていると、フランクさんが恐る恐る口を挟んできた。
「一つお聞きしますが、あなた方はマルシャルクの王都マレクで噂になっている、あのティアムの魔物狩りのお二人でしょうか?」
「オレ達がマレクで噂になってる?そんなこと……」
「……いや、恐らくそうだ。ティアムで魔物狩りをしているのは俺達だけだ」
「やはりそうでしたか。ティアムでは兵士が一人もいないのに騎士の身分でもおかしくない程に優秀な魔物狩りがいるから死者が出ないんだ、そして彼らが盗賊も退治しているんだ、という商人たちの噂を耳にしておりました」
「死者が出ていないのも盗賊退治をしているのも事実だが、それほどではないぞ」
「少なくともオレは全然優秀じゃないぜ!オレはな!」
そう言ってユーリの肩を叩くと、彼が少し不機嫌そうな目でこちらを見てきたのでオレはごめん、と謝ると
「いや、良いんだ。……まあ、どちらにしても俺は騎士になることはできない」
「だよなぁ。騎士になれたら軍勢を率いて魔物の集団を全滅させて……なんてできたりするかもしれないけど、こんな村で孤児として育った身分じゃ無理だよなぁ」
騎士にはなれない。ユーリのその言葉に半ば冗談で返してみると、フランクさんが少し考えてから切り出した。
「……お二人は、魔物を滅ぼしたいとお考えなのですか?」
「いつか、魔物を全部倒して平和な世界にできたら……って思ってる。まあ実際は難しいと思うけどな」
フランクさんはその答えを聞くとにこりと笑った。
「実は今魔物を滅ぼすために動いている人物がいるそうですよ。その名はクラウス。何でも不老不死の冒険者で、現在はその活動内容から導師と呼ばれているのだとか。活動拠点は分かりませんが、王都マレクなら知っている人もいるかもしれません」
「そうなんだ!……でも、それって旅をするって事だよな?ユーリは……」
旅。それは悪天候や賊、魔物に襲われたり、疲労や病によって倒れたりして死ぬ危険がある行動。体が弱い彼が旅に出るのは危険では、と思っていると、難しい顔をしたユーリから意外な言葉が返ってきた。
「厳しい旅になるかもしれないが構わないのか。むしろ俺一人で行く方が良いかもしれない。……その後に、平穏な暮らしがあるとは限らない。人間として生きていくなら、知ってはいけない事を知る羽目になるかもしれないぞ」
人間として生きていく上で知ってはいけない事とはなんだ。まあ彼が急に訳の分からない事を言い出すのは昔からよくあることだから気に留める必要もないか。それに、ずっと二人で戦って危機を乗り切ってきた親友が厳しい戦いに行くというのに共に行かないという選択肢はないだろう。
「大丈夫だって!それに、お前が行くならオレも行く。当然だろ?」
オレは笑って返事をした。ユーリは少し考え込むと、
「……分かった。それなら明日は旅の支度、上手くいけばそのまま出発しよう」
と返した。その顔はちょうど影に隠れ、表情を見ることはできなかった。ただ乗り気な言葉と裏腹に、その声色はどこか不安気であった。
「どうした?とにかく、今日は早く寝ようぜ!」
「ああ。そうしよう。今日は久々に大物を相手取ったせいか疲れたな。明日の朝食の事もあるから先に寝るぞ」
そう言うとユーリはさっさと支度をしてベッドに入ってしまった。明日の朝食当番は彼である上に旅の前に風邪を引かれても困るので彼には何も気にせずそうしてもらった方が良いのだが、問題は長旅で疲れているフランクさんの寝床である。そもそも二人分以上の毛布があったかどうか。普段使わないものの管理はどうしても疎かになってしまうから困る。だが幸いにも近くにあった木箱を開けると何かを包むために使っていたのだろう、毛布が一枚出てきた。後は木箱を寄せてその上でオレがこの毛布を被って眠ればいいだろう。
フランクさんに自分のベッドを勧め、木箱を二つ繋げて毛布を被って眠る。その寝心地は意外にも悪くないものだった。
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その夜。とある城の塔の窓辺に高貴な服を纏った黒髪の少年が佇んでいた。傍には道化師風の青年がおり、少年の様子を伺っていた。少年は金色の瞳を空に向けてそっと呟いた。
「……彼は、どうしているのだろうな」
「さあね。まだ気にしてるの?」
道化師風の男は嘲笑うようにそう言った。それに対して少年は真剣な眼差しで返す。
「救えるのならば、この手で必ず。二人とも救ってみせる」
「やれやれ。あの悪魔憑き、何処に行ったんだろうね」
悪魔憑き、という言葉を聞いた途端少年は不機嫌そうな顔になる。どうしたの?とふざけた様に問いかける道化師に対して、少年は冷たい声で言い返す。
「相変わらずそう呼ぶか。とにかく、その話を外でするな」
しかし相変わらず道化師は笑う。
「分かってるよ。君が殺す前に殺されちゃうもんね」
流石に怒ったのだろう、少年は道化師をおいて部屋に戻った。
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「そして、お前とあの子を助ける前に、その手段を得る前に、だ」
部屋に戻るや否や、少年は一人の美しい女性を抱きしめてそう囁いた。