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記憶の向こう(前)

 ツァーベルの街。それはクレヴィング東部の山岳地帯を超える峠に繋がる唯一の道と、その他の道が多く交わる交通の要衝として古くから知られている街だ。だがそれ故に山地に潜む盗賊も多く、街から山に向かう道で隙あらば人狩りに狙われると旅人には噂されている。現在では多くの兵が配置されているようだが、大量に出没する魔物との戦闘も起こるため未だに被害が多発するらしい。


「そういえば、ツァーベルに行くことはありませんでしたね」


 マティアスが突然ルーツィエに話しかけた。恐らくかつて二人が共に行動していたテオドールさんの一座での話だろう。


「そうね、人狩りが余りに多く起こるから、親が見つかる可能性が高くても危険すぎて行きたくなかったみたいよ」


 オレがそんなに酷いのか?と問いかけると、ルーツィエは静かに頷いた。


「何人かはツァーベル付近で保護されたんじゃないかってテオドールは考えていたみたいだけど、それでも皆が一斉に攫われてしまったら護りきれないと思って頑なにルートから外していた。みんなもそれは理解していた。……親に会いたい気持ちはあるけどそう願えるのは今の仲間がいるお陰だから、って。中には大きくなって一人で旅ができる位になったら行くという約束をしていた子もいたけどね」


 そう言う彼女の翠玉色の瞳は僅かに揺れて迷いを映していた。オレは思い切って尋ねてみた。


「ルーツィエは、どう思うんだ?」


「どう、って?」


「その街に自分の親がいるんじゃないかとか、それなら会ってみたいとか、そういう事を思ったりするのか?」


 ルーツィエは下を向いて少し考え込んだ後、小さな声で別に、と答えるとおもむろに鳥の羽でできた髪飾りを外してオレの方に差し出した。


「この髪飾り。テオドールがあたしを養子にしたときにくれたものなの」


 それを見てオレは綺麗だな、と答えると彼女は自分が言いたいのはそういう事ではないとばかりにこちらに鋭い視線を向けてきた。


「あたしには小さい頃の記憶がない。最初の記憶は盗賊の襲撃の中で人狩りに捕まった時。その次は死にかけて処分寸前ってところでテオドールに助けられて、ミカエラの力で命を助けられた時。それ以上は、もう何も思い出せない」


「そう、か」


「だからこそ思い出す必要もないと思ってるの」


 オレは予想外の言葉にえっ、と声にならない声で問い返した。


「今のあたしには生まれ故のしがらみなんて何もない。だから自由に、自分の信じる道を生きていけると信じてる。まるで鳥のようにね」


「鳥のように、か。考えたこともなかったな」


 オレはずっと、ティアムの人間として生きてきた。それ故に、町の人とのしがらみとユーリとの友情との間で揺れていた。だが彼女は違っていた。


「この髪飾りがその信念の証。この話をしたときに、テオドールが買ってくれた大切なもの。だから、生まれとか血筋とか、そういうあたしを縛る鎖のような記憶なんて今更思い出したくもないの」


次の瞬間、ユーリが急に足を止めた。


「どうした、具合でも悪いのか?」


「いや。そういう訳ではないんだ」


 そう言って彼は急に視線を逸らして目を伏せた。西に傾いた太陽が彼の顔を優しく照らし、その瞼の隙間から琥珀色の瞳が揺れているのが見て取れた。


「ただ、鎖のような幼い日の記憶を思い出せないことが羨ましくてな」


「やっぱり、何か辛いことがあったんだよな?」


 ユーリは静かにそうだな、と呟いた。


「だが、その結果としてお前に会えた。ただ理の為に戦う存在から、大切な人を護るために戦う人間になることが出来た。俺は、それで良いんだ」


 そう言って彼は小さく笑うと、街に急ぐぞ、と言って先へ先へと歩き始めた。そしてミカエラが彼の後ろを追いかけていく。その様子を見てルーツィエが静かに口を開いた。


「あたしも、友達や仲間といられる事が最高に幸せ。真実なんて分かりゃしないけど、大切な人を守るために戦う気持ちは変わったりしない。って、こういう湿っぽい話をするのも柄に合わないわね」


 彼女はふう、とため息をついて少し悲し気な笑顔をこちらに向けた。


「そうだな。行こう。このままじゃ置いて行かれそうだしな!」


 皆が皆、過去を抱えて悩み迷って生きている。いつも明るく気が強い彼女も、その例外ではなかったようだ。


今のオレに出来る事は、精一杯の笑顔を返すことだけだった。


----------


 ツァーベルの街に到着したのは良いが、その街は驚くほど荒廃し空気が淀んでいた。


「これは酷いですね。この街の空気、瘴気と言っても過言ではありません」


 だがこれから山を越えていく以上、今日の夜はこの街で過ごすしかなさそうだ。そう思って宿を探して彷徨っていると、路地裏から一体の魔物がこちらに向かって飛び出してきた。オレは難なくその魔物を槍で貫いた。だがその瞬間、いつもの黒い霧と共にひどい悪臭を伴う瘴気があふれ出したのだ。


「ニック!大丈夫か!」


「オレにはこの程度問題ねぇよ。だけどユーリ、お前は気をつけてくれ。武器のリーチがオレより短いだろ」


「そうだな……気を付ける」


 そんな会話をしていると、一組の夫婦がこちらに向かって歩いてきた。


「皆さまは旅のお方でしょうか。でしたらなるべく早く、この街を発ち山の中にある町ラウスにお向かい下さい!この街は危険です!」


 切羽詰まった様子の相手だが、こちらも体が丈夫ではない仲間がいる以上この街で休んでおきたい。オレは夫婦に向けて問いかけた。


「生憎こっちにもここで休んでおきたい理由があるんだ。魔物か?それとも盗賊か?」


 夫婦はどちらも違いますと答えた。盗賊は一月ほど前に兵団が殲滅し、それ以降一切の被害は出ていないらしい。その直後に現れた巨大な魔物も兵団が倒しその危機は去ったという。


「それじゃ、一体なんですか?」


 オレが問いかけると、女性がそれに答えた。


「あなた達も感じないわけではないでしょう。この街に溢れる謎の瘴気です」


 瘴気。さっき魔物を倒した時に感じたものの事だろうか。


「原因はよく分かりませんが、一か月前から発生が確認されているフライパンで倒せる程に弱い小型の魔物と、出現場所と瘴気の発生地点の関係性が考えられています。恐らく、その魔物の亡骸から瘴気が発生しているのでしょう。その結果として多くの人が病に苦しみ、日々死者が出ているのですよ」


 悲痛な表情で男性が事情を話してくれた。まるで早くこの街から出ていって欲しいと強く訴えるように。その様子を見たユーリも顔を伏せて静かに言葉を発した。


「それでは、魔物を倒しても、倒さなくても人に害が及ぶという状況に置かれているのですか。俺たちは魔物狩りを仕事にしていたので、唯の瘴気を生み出す魔物退治ならば引き受けられるんですが……」


 暫くの間沈黙が流れた。街の夫婦は早く出ていくようにと訴える瞳で相変わらずこちらを見ていた。そしてユーリの琥珀色の瞳は酷く動揺を宿していた。何とかして彼らを助ける事はできないのか、と必死に考えても答えが出ないことにいら立っているのだろうか。


「待って」


 沈黙を破ったのはミカエラの声だった。


「私なら瘴気……人を害する実体である毒の存在を否定することができる。皆が魔物と戦ってくれるなら、いくらでもやりようがあるわ!」


 確かにミカエラなら自在に空間を操る事が出来る。街という空間の毒の存在を否定するというのであれば彼女にとって容易い事だというのは、今ならオレにも容易に理解できる。ユーリはなるほどな、と言うと夫婦に何故それでもこの街に留まり続けているのかと問いかけた。


「私はこの街の町長、イヴァン・シェレンベルクと言います。思い出話のようになりますが、私達には二人の息子と一人の娘がおりました。しかし年の離れた末娘は10年以上も前に奴隷商人に連れ去られ、息子達は一月前に魔物の犠牲となりました。全てを奪われた私達にとって、唯一残されたものがあるとするならば妻であるアデーレと共に二人で支え続けたこの街だけなのです。ですから、もし可能だというのであればどうかこの街を救って下さい」


 ツァーベルの町長、イヴァンの答えを聞いてオレとユーリは同時に当然だ、と答えた。間もなくミカエラがその力を使って瘴気の毒を消し、他の四人で次々と魔物を倒していった。一通り処理が終わり、オレ達はイヴァン町長の所へ戻り謝礼金を受け取り、宿の場所を教えてもらった。それは夫妻の家であった。驚いたことにシェレンベルク夫妻は元々宿の経営者であり、それ故に身につけた街周辺の知識を買われて町長を兼ねるようになったのだという。


「良かったわ。流石に力の発動が限界に来てしまっていたのだもの。よろしければ何か、美味しいお茶を一杯頂けますか」


 彼女はこういう時も水ではなくお茶が飲みたいという。流石は元・良家のお嬢様である。そんな話を続けつつ夫妻の家に向けて歩き始めた瞬間、和やかな時間は当然のように終わりを告げた。


----------


 突然、大きな物音と共に子供たちの悲鳴が町の中心部から聞こえてきたのだ。


「今度は何だ!」


「教会……孤児院に、魔物が出たのかもしれません。恐らく、大きくて毒を持つ魔物でしょう。どうか……」


 オレとユーリはその言葉を終いまで聞くことなく駆け出した。


 言われなくても、やってやる。お互いに考える事は同じだった。


----------


「ミカエラ、まだ力を使える?」


 あたしの問いに、ミカエラは力なく首を振った。


「やっぱり。あのバカ二人組、これからどうすんのよ!みんな巻き添えで死ぬなんて事にならないと良いけれど」


 そう言った次の瞬間、背後に突然何者かの気配が現れ声をかけられた。


「その必要はないわ。私が力を貸しましょう」


 見覚えのある魔術師風の姿の、黒髪の女性。


「あんた、まさか……!」


 イェレミースの天使、と言いかけてあたしは言葉を止めた。


「その通りよ。私の名前はグロリア。ラルフやアリョーナの同僚。その先を言わなかったのは賢明ね。それにしても酷い有様……今回は共同戦線を張りましょう。私も仕組みは違えど、魔法で実体のある毒を消せることに変わりはない。このような状況を神様はお望みではないのですから」


 そう言ってグロリアと名乗るイェレミースの天使は、教会へと飛び去って行った。


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