時空という名の悪魔(後)
ルーツィエの発言を踏まえてその範囲を読むと、確かにナコルは何かに気がついてしまったかのように思える。そしてそのように感じたという事実に、恐怖を覚えて体が震えていた。
「マティアス、これを読んで何か分かったか」
セアド先生の優しい声に我に返る。
「嫌な予感がします。……ですが、もう少しだけ私は誰も知らない理に向き合ってみようと思います。先生は、どのようにお考えになりますか」
「そうだな、世の中には知らない方が良い事、気がついてはならぬ事もあるのだろうな。ところで、お前は昨日のイェレミース軍襲撃時に奮戦したという若者達の事を知っているか」
「はい。共に導師クラウスの軍勢と行動していたのですが、クレヴィングを目指す船旅の途中で逸れてしまい彼らと共に追いかけていたのです」
「そうか。ホルンの街を目指す船で優秀な人材が行方不明になったと聞いていたが彼らの事だったのか。何はともあれ女王陛下が彼らを探していた。明日の朝、城へ向かうように伝えてはくれないか」
唐突な伝言に驚いて呆然としていると、本を見せた代わりだと言われ渋々引き受ける事にした。
「それでは明日、彼らに城へ向かうように伝えます。ありがとうございました」
私は先生に別れを告げると、宿へと戻った。宿の入り口で待ち構えていたルーツィエに早速見た内容を共有すると、ルーツィエはなるほどね、と言ってそのまま黙り込んでしまった。
「どうかしましたか」
「彼らの話の内容を教えるわ。……彼らの考えていることは、魔王と同じ」
そしてルーツィエからユリウス達の会話の内容を聞いて私はただ愕然とした。
「……案外、そういう事なのかもしれないわね。あたしは受け入れはしないけれど、そのまま彼らについて行くわ。マティアスはどうするの?」
「私も共に行動します。一体何が正しいのかを見極めるため、あるいは何かあった時には神の教えを伝える者としての務めを果たすために」
イェレミース第二王子とされるあのお方は、果たして何をご存じだったのだろうか。魔物。壊れ行く世界。人間が払う代償。歪み。時空。鍵となる言葉は揃った。否、揃ってしまった。だが神の教えは疑いようも無く正しい、はずなのだ。
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「グロリア、戦闘データの解析は終わったか」
窓から月を眺めていたゴットフリート王は背後に近づいてきた天使グロリアに問いかけた。
「はい。ですが、懸念すべき点が一つ。時の魂の力が尽きかけている疑いがあります。その場合は捕縛を急がなければなりません」
「何だと」
王は驚いて振り返る。
「恐らく彼は戦闘で力を多用しています。神様から伝えられている情報によれば、彼の魂の寿命は人間の魂のそれを遥かに超えるとされています。しかしあのデータを介して見た限り彼の魂の寿命は……恐らく常人のそれと同じ。その場合彼がこれ以上力を乱用し、力の伝播も起こらなければ陛下が目指す魔法が完成することはありません」
「力の伝播が起こった場合、魔法を完成させる事は可能になるのか?」
「はい。起こるとすればあの槍使いが対象となるでしょう。如何なさいますか」
王は瞳を閉じて暫し考えた後、グロリアの問いに答えた。
「現状維持で彼を狙う事に変わりはない」
「承知しました。ならば明日以降、実際にこの目で確かめに参りましょう」
王は好きにしろと答えグロリアが去るのを確認すると、静かに一言呟いた。
「二人を救うために手段は問わない。ただ……同じ傷だけは負って欲しくないものだな」
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「ベンヤミン、目を覚ましなさい」
私は突然声をかけられて目を覚ました。若君の夢を見て目を覚まし、再び眠りについたのであったか。右腕を見ると、イェレミースに送られる直前にユリウスと名乗る剣豪に斬り落とされたそれはやはり元通りに治っている。改めて声の主の方を見ると、目の前には第二王女であるヴァルトラウト様が立っていらっしゃった。
「ヴァルトラウト様……何故……?」
「私も治療魔法を使う事が出来ます。あれ程の被害では王族も他の療術師と同じように動かなければ助かる命も助けられません。……もっとも今は様子を見に来ただけですが」
そう言うと姫様は私に背を向けた。
「貴方が戦ったその男はどのような人間でしたか。容姿や戦いの様子、その男の行動原理など、分かっていることを全て教えなさい」
行動原理。彼は魔物や憑依された兵士、略奪を行った兵士等その地の民に害を与える行動をとる兵士は容赦なく斬り捨てた。だが私に対しては傷を負わせるだけで致命傷を負わせない様に手加減しているようにすら見えた。全てを話すと姫様は溜息をついて私の方を振り向いた。
「時の魂を持つ男、ユリウスは確かに我らの敵であり標的。でも優しい人間なのでしょうね。……どうしても今は亡き弟の事を思い出します」
「若君の事を、ですか」
もし若君が生きていらっしゃるのなら。……何があっても、あの方をお守りしたい。例え若君が悪しき存在であったとしても。不意にそんな衝動が私を襲った。その様子を見た姫君が私を睨みつけていた。
「強くありなさい。……貴方の行くべき道は、友を切り捨てて神に従った王であるフリアンの血を引くイェレミースの王家に仕える騎士としての道。良いですね?」
はい、と返事をする私を一瞥すると姫様は外に出ていった。
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夜更け。俺はミカエラとバルコニーで待ち合わせをしているが彼女は中々現れない。流石に不安になり一度屋内に戻ろうとした時の事だった。
「ごめんなさい。ずいぶん待たせてしまったかしら」
「大したことはない。気にするな」
ミカエラはほっと溜息をつくと、こちらをじっと見つめてきた。夜空のように深い藍色の瞳に吸い込まれそうな、奇妙な感覚を覚えて妙に緊張する。
「それで、何の用かしら」
俺は昨日買った木櫛とハンカチを彼女に差し出した。
「これを、受け取ってくれ。ドールの街で、漂流した時に駄目にしてしまったと言っていただろう。……だから、買っておいた」
ミカエラは呆然と見つめた後、恐る恐る櫛とハンカチを手に取った。
「良いの……?」
「今までずっと、全てを隠していたことの詫びのようなものだ。気にするな」
その言葉を聞いてミカエラはほんの少しだけ寂しそうに笑っていた。
「ありがとう。嬉しいわ。……そろそろ寝ないと、明日の朝起きられないわ。貴方の身体も心配よ」
「気にするな。俺の力の性質くらい君ならば分かるだろう?無用な心配だ」
「そうね、それじゃ、お休みなさい」
そう言って彼女は部屋に戻った。俺は彼女を見送ると、再びバルコニーから星空を見上げた。彼女の強い感情はそれを記録する俺の魂を介して意識の中に容易く伝わってくる。俺の本当の気持ちもそれだけではないこと位は分かっている。だがそれは、この世界の理が俺たちを引き合わせるために持たせた感情なのかもしれない。果たして、何の自由もなく与えられたその感情に従うべきなのか。
何より一度好意を告げた後に一人にしてしまう事は、即ち傷つけてしまう事に同じ。目的さえ達成できればこの魂が力尽きたとしても、彼女の存在を守ることが出来ない訳ではないだろう。だがそれにより、彼女は大切な存在を失うという傷を記憶することになる。それでもそれを選ぶ事が、果たして正しい事なのだろうか。今の俺には、これ以上向き合う余裕など存在しなかった。
「恋」。そう名付けられた、甘く、妖しく、鋭い光を放つ刃のような激情に。
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翌朝。朝食を食べている時にオレ達はマティアスから驚きの知らせを受けた。
「王城に行くんですか?」
オレは驚いた余りにスープを噴きそうになった。
「ニック、落ち着け。マレクのような展開で終わる可能性もあるんだ」
「まあまあ。何はともあれこれはアミクス大聖堂を取り仕切るセアド・ギュンター牧師からの伝言です。といっても、私が伝えなくとも暫くすると騎士が迎えに来たりしそうなものですけどね」
「そうだな。だが先方から呼ばれているのであれば急いで行くに越したことはない。それに流石にそろそろこの街を出ないとクラウスさんに追いつけないだろう。急いで用事を済ませて東に向けて旅立つ」
淡々と話すユーリの金色に輝く瞳には、今までのような不安はもう感じられなかった。
「ああ。だけどまた具合が悪そうだったら止めるからな?」
「だが時の力によって俺の魂がある限り、俺の死という出来事が起こる未来は否定される。つまり不死身だ。皆の足を引っ張る事態にならない限り心配する必要はない。気にするな」
そう言ってユーリは笑った。今までにない程に明るい声で。
「分かったよ。それじゃ、さっさと食べて荷物持って、お城に行こうぜ!」
オレ達はその後急いで食事を終えるとそれぞれ荷物を纏めて身支度を終えると親子に礼を言って城へと向かった。城では騎士がオレ達を奥へ奥へと案内していく。流石に不安になってきた頃、大きな広間に入りその中央で待つように指示された。そこには豪華な椅子のある舞台のような場所があり、周囲の柱の傍には騎士が微動だにせず立ってこちらを見つめていた。暫くすると立派な服を纏った一人の女性が現れ椅子の前に立ちこちらを向いた。小さな村の孤児として育ったオレにとっては想像を絶する状況だった。一体何事だと思いユーリの方を見ると、彼は跪いて頭を下げていた。
「マリア女王陛下のおなり」
女王様。その言葉に驚きオレは慌ててユーリの真似をして頭を下げた。しかし、慣れない体勢のせいかバランスを崩して転んでしまった。
「うわっ!」
「やめなさいったら!」
運悪く背負っていた槍の柄がルーツィエのスカートに引っかかりそれをめくりあげてしまっていた。しかも起き上がった拍子に思いきりその中を覗き込む格好になってしまったのだ。
「ごめん!」
「女王様の前でスカートめくるなんて、絶対に許さない!」
「でもこういう体勢初めてだし槍が重いしでどうしようもなかったんだよ!」
「そんなの知らないわよ!この変態が!」
「そこの者達!女王陛下の御前でなんという無礼な振る舞いを!」
女王の側にいた一人の老人の声に我に返る。
「申し訳ございません。我が友は小さな村の孤児という育ち、並びにこちらの女性は人狩りに遭った後に旅芸人として各地を転々としていた身の上であるが故に、どうかお許しのほどを」
ユーリが深く頭を下げる。我に返ったオレ達も深く頭を下げた。
「構いません。面を上げなさい」
凛とした声が部屋に響き渡る。だがオレにはその言葉の意味がよく分からなかった。頭を下げたまま戸惑っているとユーリに頭を掴まれ、そのまま上に引き上げられた。
「痛い!」
「顔を上げろと仰っている」
呆れた顔でユーリはオレの方を見ていた。その様子をご覧になっていた女王様は静かに笑った。その声はとても優しく上品な音となって響く。暫くして女王様はオレ達に声をかけてきた。
「その方らがこの街を襲ったイェレミース軍や魔物と戦ったという、導師クラウス率いる対魔連合軍で行方不明になった者達か」
「はい」
「よくやってくれた。お前達の存在はクラウス、並びにアミクス大聖堂のギュンター牧師から聞いている。イェレミース軍の動向を考慮してクラウス達を先に出発させてしまったが、お前達が間に合うと知っていれば彼らを街にとどめておいて合流できるようにしたものだ。すまぬことをした」
オレは女王様との会話は完全にユーリとマティアスに任せてただ様子を伺う事にした。ユーリもそれを察してくれたのだろう、すぐに返事をしてくれた。
「それはあくまで結果論。この国を治めるお方として、最高の判断であったと私は思います」
女王様はそうか、と言って暫く考え込むと、強い口調でオレ達に向けて、
「……恐れるな。真実を。力を。救いを求めて始まりの神託を受けた少年ナコルの末裔として、私も人を救う術を求めている。必要とあらばお前達の助けにもなろう」
と言った。
その言葉を聞いて急に隣にいるユーリの顔が青ざめていく。
「ユーリ、どうした?大丈夫か」
「何でもない……何でもないんだ、気にするな」
女王様も如何した、と問いかけてきたがユーリは問題ありません、と答えた。
「それでは行くがよい。そなたたちの道を」
女王様の言葉に従いオレ達は城を出て次の街、ツァーベルへと歩み始めた。




