時空という名の悪魔(中)
私達が宿の女将さんの葬儀が終わり宿に戻った頃には、とっくに日も暮れていた。宿に残っていた皆が夕食を準備しておいてくれたおかげで、疲れ果てていた親子は暫しの休息が取れたようだった。
皆で神様に祈りを捧げた後に食事をとる。スープに口をつけると昨日の味付けと近いものの、それよりも薄味でほのかに優しさを感じる味が口の中にふわりと広がった。ミカエラの料理は旅先で食べた美味しいものを模したのが元であるためか少しばかり味が濃い。そのことをふと疑問に思い、私は皆に問いかけた。
「今日は、誰が主導して料理を?」
「ユリウスが考えていたらしいわ。それをミカエラが手伝っていたみたい。ニックとあたしは本を読んでいたから詳しい事は分からないけれど」
「お兄ちゃん……?」
ルーツィエの答えを聞いてアニが驚いた様子でユリウスの方を見ていた。
「……濃い味よりも、今日はこういう味付けの方が良いと思った。それだけだ」
ミカエラは彼の隣で静かに笑っているだけだった。
「何笑ってるの?……もしかして、初めての共同作業、とか思ってる?」
ルーツィエの言葉にユリウスとミカエラが揃って呆然とする。私は今宵そのような話をするのは不謹慎だと思い、ルーツィエの方をじっと見つめた。彼女も私の表情で察したのだろうか、ごめんなさいと宿の主に謝罪した。それに対して良いんですよ、と言う主の瞳は悲しみに満ちていた。恐らく女将さんとの過去を思い出させてしまったのだろう。
だが確かにルーツィエのいう通り、ユリウスとミカエラの仲が急に親密になったように見える。私がそっと何かあったのか、と問うとルーツィエは後で話があるからすぐに来て、と言うと急いで食事を終えて席を立ってしまった。仕方なく私も急いで食べ終わり彼女を追いかける。
「一体何事ですか」
私は外まで連れ出されたことに少し驚きながら彼女に問いかけた。
「マティアス、始まりのお告げの話の最後の戦いの所をもう一度教えて」
ルーツィエが静かな声で問いかけてきた。
聖典で一般的に始まりのお告げとして語られている内容は以下の通りだ。ナコルとフリアンという若者が神様のお告げを聞いて、奇跡の力である魔法を使って人々を救い王となり、荒れていた国々を平和に治めるとともに魔法を人々に広めた。だがある日突然ナコルは失踪し、フリアンは彼の行方を必死に探した。そして神に背く存在、即ち悪魔となったナコルを発見して彼を殺した後に、二人で聞いたお告げの言葉を守りながらたった一人の王となって、ナコルの忘れ形見の子供を育てながら国を治めた。これが、オプタル教が宗教という形になる原点に当たる出来事だ。
「あの二人の戦いはただナコルが神を倒す、と宣言した直後にフリアンが彼を殺したと伝えられていますよ。特に何故そうなったのか、という点には言及されていません」
私がそう答えると、ルーツィエは自分が聞きたいのはそれではない、という顔でこちらを見つめてきた。
「でも悪魔になる前のナコルの直系と言われるクレヴィング王家が治めるこの国の最上位の教会であるアミクス大聖堂には、非常に古い版の聖典が伝わっていて、ナコルとフリアンの会話が詳細に記されているんでしょう?」
「ルーツィエ、何故それを知っているのですか?」
「あなたが話してくれた事でしょう?」
ルーツィエの緑色の瞳に怒りの焔が映ったように見えた。彼女の記憶力は中々のもので教えたことはずっと覚えているのだ。私がうっかり話してしまったのであれば、彼女が覚えているという事は何ら不思議な事ではない。
「お願い、その内容を確認してきて。あなたの所属はあの大聖堂でしょ?その位、読みに行けない?」
「難しいお願いですね。身分によって書の閲覧も制限されていますから。そもそもその話自体、私がその書について誰かが議論しているのを立ち聞きして得た情報ですから。……ところでそれに何の意味が?」
私の問いに、ルーツィエが困った表情を見せる。暫しの沈黙の後、彼女は意を決したように口を開いた。
「ナコルが裏切った理由を知りたいの。……マティアスさんがいない間にあたし以外の三人が、ミカエラとあいつの力について話をしていたの。最初は男子二人で話してたのをミカエラと一緒に立ち聞きしていて、彼女だけ会話に入らせてあたしはそのまま聞いていた。それでその話を思い出した、って訳」
つまるところは二人の力は禁忌ということか。魔法ではなく誰も知らない理のようなものである、というのは確信していた。だがそれが禁忌に該当するのであれば、私はこの職を全うする必要がある。
「貴方は、禁忌に触れたのですか」
「あたしはまだ神様を信じてる。でもニックは神様を裏切って親友について行く。ミカエラも空の魂が何とやら、って言って彼の方につくでしょうね。当たり前だけど、あいつは禁忌とされることが正しいのだと話していたわ」
ルーツィエの言葉が、少しずつ震えていく。命の恩人が、親しくなった仲間達が禁忌に触れて悪の道へ引きずり込まれていく。そういった恐怖が、彼女を次々と襲っているのだろう。
「ならば、私が聖職者として彼らを止め、過ちを正すまでのことです」
「ありがとう。でもその前に、聖職者としてその話を調べなおしてきて。ナコルだって、別に理由もなく神様を裏切った訳じゃないと思う。悪魔のせいなのか、それとも彼自身に裏切る理由があったのか。そんな状況で親友同士の最後の会話があったなら、フリアンは何故裏切ったのかを聞いていたと思うの」
彼女の翠玉色の瞳から発せられる、妖しいとさえ感じられるような気迫に引きずり込まれるような感覚に襲われる。
「正直に言うわ。調べてもらった後に全部話すけど、あたしの直感は彼らが正しいと告げている。そんなの信じたくはないけれど、理屈が整い過ぎているのよ」
理屈が整い過ぎている、か。確かに神様の教えはどこか都合が良すぎると昔から思っていた。それ故に、教えに背くことはないがこの世界に共存する理があるのではないかと疑ってきた。だが、神様に背くとなれば信じる訳にはいかない。
「あなたも誰も知らない理があると信じた身でしょ?ナコルも皆と同じように何かに気がついたのかもしれない、と思っただけなの。その真偽はともかく、ね……」
ナコルと同じように。良くも悪くもルーツィエの直感は高確率で当たる。より良い形で皆を守るためには、知識があるに越したことはない。私は意を決して彼女に応えた。
「それならば、今から大聖堂に忍び込んで調べてきましょう」
そう言い残し、私は大聖堂へ向かった。だが入るや否や目の前にアミクス大聖堂を取り仕切るお方、セアド・ギュンター牧師と鉢合わせしてしまったのだ。セアド先生はイェレミースから逃げてきた私に救いの手を差し伸べて下さった私の命の恩人の一人。だが今回ばかりは気をつけなければ。
「マティアス、こんな時間にどうした」
「いえ……少し、調べ物を」
セアド先生は静かに私に問いかけた。
「人々を救うのに良い方法は何か見つかりそうか。魔法を使う事の出来ない市民の為にも、何か鍵となるものを早く見つけたいものだが」
私は思わず俯いた。
「誰も知らない理……心当たりがないわけではありません。ただ……」
「何かあったのか」
このままでは先程聞いてしまった事を全て話してしまいそうだ。いっそ単刀直入に用件を言ってしまおう。
「先生、ここにあるという古い聖典を読ませていただけますか」
「何故お前はその存在を知っている?」
セアド先生は私に疑いの目を向けてきた。それも当然のことだろう。何せこの聖典の存在は門外不出の情報だというのは火を見るより明らかな事なのだから。
「私が旅に出る直前に、立ち聞きで知りました。ナコルとフリアンの最後のやり取りが記されているという事も。その内容を読ませていただきたいのです」
「それが人を救う鍵になり得るというのか?」
相変わらず私に疑いの目を向ける先生に対して、少し間を置いてから私は答えた。
「直ぐに救うとは限りません。ただ、その可能性があるのです」
私の返事を聞いて先生は静かにそうか、と言うと私を書庫の奥へと案内してくれた。その先には一冊の古びた本が飾られていた。
「これがナコルの子孫であるクレヴィング王家に、読んではならないが大切な本である、その存在も一族以外に知られてはならないと言われて長らく伝えられていた聖典だ。クレヴィング王国全体のアミクス派への改宗と同時に先王ヨーゼフ陛下がこの本を開き、アミクス大聖堂に預けられた聖典。以後マリア現女王陛下の即位時からこの聖典を各種の儀式において正式に使うようになったものだ。
今は陛下とこの大聖堂に所属する限られた人物、そしてその他に私と陛下が特別に読む許可を与えた人物のみがこの本を開くことが出来る。今回はお前が直面している問題の深刻さを考慮して特別に許可する。だが好奇心は猫をも殺すという諺がある。お前の知識欲は素晴らしいものだと思うが、くれぐれも悪魔に魂を売るような真似をしないように。それだけは忠告しておくぞ」
そう言って先生はその本を手に取り静かに机に置いた。私は聖典を手に取ると、傍にある燭台の明かりを頼りに該当する頁を探し読み始めた。




