時空という名の悪魔(前)
また、駄目だったか。
俺は傍で横たわる親友の顔を見つめた後、運命を受け入れる事にした。
俺が死ぬという事象は、偽りの時空の中に消える。故に俺は死ぬことが許されない。
今回の時の分岐点は一体どこになるのだろうか。叶うのならば、どうか彼と既に出会った後であって欲しいと願いながら静かに瞳を閉じた。
何度も繰り返した、何処かに引き戻される感覚。久しぶりのそれは随分と恐ろしいものに感じられた。
だが今回は、今までにない違和感を覚えた。
そして、その正体に気がつく暇すら与えられないまま俺の意識は現世へと引き戻されたのだった。
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翌朝。ユーリの顔色はいままでに見たことない程に悪かった。どうしたのかと尋ねると彼は何でもない、ただ悪夢を見ただけだと返答した後黙り込んでしまった。
朝食を終えた後も具合の悪そうな彼を見てオレ達四人だけでなく宿の父娘も反対して今日もこの宿に留まることになった。大丈夫だと言い張るユーリを無理矢理ベッドに押し込んだ後、マティアスは葬儀の手伝いをするため宿屋の主人とアニに同行して教会に向かったが残る三人は部屋で思い思いに過ごしていた。昼過ぎになり流石にこれ以上ベッドで休んでいるというのも暇で仕方なかったのだろうか、一度部屋を見渡してからオレに声をかけてきた。
「ニック、そろそろ話そうか」
何だい、と声をかけると彼は一瞬躊躇うような素振りを見せた後に少し震える声で答えた。
「……俺の、力の意味……そして、この世界の真の姿についてだ」
オレは小さくああ、と返事をする。
この世界の、真の姿。
覚悟はしていたはずだ。それでも、彼の言葉が神様の教えに背く内容を本当に話すのだ、と伝えていることに気がついて思わず身震いをする。その様子を見て彼は悲し気な笑みを浮かべてから静かに話し始めた。
「俺は魔術師などではない。マティアスの言葉を借りれば、この力は誰も知らない理。更に言うと、この世界そのものが生み出した、人間の信ずる神様というものに背く為の力」
「神様に、背く為の力」
「そうだ。お前は、魔物とは一体何だと考えている?」
「人間を殺そうとする化け物、だよな」
「ならば、何故人間を殺そうとすると思う?」
「何故……って?」
「人間に利する力を無から生み出す代償として、それに対抗する力が発生した。その力が積もり積もって人を殺す存在として具現化したものが魔物だ。……ならば、人間に利する力とは何だ?」
「……魔法、って言わせたいんだろ?」
神様がオレ達人間に与え、人を救うために広めさせた力。その代償として魔物が生まれた。俄かには信じがたい話だった。
「その通り、だな」
何で。オレの口から小さく言葉が漏れる。
「聖典には神様が世界を作ったと記されている。そうだな?」
震える声でそうだ、と答える。ユーリは相変わらず淡々としゃべり続ける。だがそれはまるで一度話すと決めた心が揺れる事が無いように、オレが話を理解している事だけを確認しながらもその声のトーンを感じない様に、彼自身の感情を押さえつけている様だった。
「だが、世界の成り立ちと神の力は一切関係ない。世界も、人間も、神という存在が実在する以前に生まれている。……神様は、人間の祈りの心……聖典に記されているナコルとフリアンという青年が平和を願って祈った時の強い心が偶然に生み出した一つのシステムに過ぎない」
人間が、神様を生み出したというのか。
「その為に、神は魔法という奇跡の力を与えて人々が祈る事を叶えられるようにしようとする。もっともらしく彼らが清い心を持っていたから等と理由を付けてまで広めさせたがる。だがその代償として、世界が歪められていく。それが具現化して魔物が生まれ、やがて人間に関わる全てを滅ぼす強大な力となる。そして世界は最終的に、人間の存在する場所である故に歪みに飲まれて滅亡する」
人間が生み出したものだから、人間に利するように働くシステム。その代償として、人を害する力も生み出されていく。そこまでは理解できた。だが……。
「どうして、未来の事が分かるんだ?」
「既にそうして一度この世界は滅びている」
「滅びて……いる?」
「そうだ。その後に時空の力によって世界規模の時間遡行が行われて今がある。俺の魂……純粋な時の要素から構成されるこの魂には、その記録も刻み込まれている」
「時空?」
「全てを支配する、あるがままの理の事だ。正確に言えば、それを人間の知覚の範疇で呼ぶことが出来るようにした呼び名」
あるがままの理。神により伝えられている理とは違う、誰も知らない本当の理。そしてそれは神の教えに背くもの。つまりオレ達人間の世界では、この理こそが間違ったものだという事になる。
「その時空の理、っていうのは、神様の教えに背くものなんだよな」
「そうだな。だが世界の始まりについての話以外はあながち間違ってもいない。なぜなら神も時空の中に生まれた、悪意も何もなくただ人間の為に理を歪める存在に過ぎないからだ。神は祈りの力や、それが存在すると認識する人間の心を糧に存在し続ける。それ故に、自身の存在が失われて人々が不幸になる未来を恐れて創造主、等と伝えたのだろうな」
オレは彼の語る話をただ茫然と聞くことしかできなかった。ユーリはオレがどこまで理解しているのか様子を伺っているようで、暫くの間沈黙が続いた。
「人を想う故に真相を隠して、あるいは自身の存在の意味を知らずに、か。だとすれば、その存在も悪ではないと思うがな」
再び口を開いたユーリはそう言って微かに笑う。
「少し話が逸れたな。とにかく、俺は歪みによる世界の滅亡を阻止するために、あるがままの理によって生み出された。確かに人間が生きるこの世界がいずれ滅びる事になるのは間違いない。だが、人間が絶対的な存在しとして崇めている、存在してはならない力による滅亡を時空が拒む以上、この滅び方だけは避けなければならないんだ」
「確かに、神様のせいで世界が滅びる、なんてオチは最悪だな」
半ば思考停止したオレの口から、しょうもない言葉が紡がれる。そしてユーリがそうだな、と返す。
「受け入れられないなら正直にそう言って、俺を悪魔と言って断罪しても構わないんだが」
「……覚悟決めた以上、最後まで聞くのが道理ってもんだろ。構わず続けろよ。どんな話だろうが、お前が人間であるっていう事実は変わんないだろ」
「そうだな。それで俺は、絶対的な理……時空の、時の力の行使者として純粋な時の要素のみからなる魂を与えられた人間として生まれた。本来魂は時と空の要素が混ざり合い、一つの形になって生まれてくる。そしていずれは消えて新たな要素となり、再び新しい魂の素となる。だが、神を倒す為には純粋な時空の要素からなる魂を持つ、それを知覚できる存在が必要だった。その時の要素からなる方が、俺という訳だ」
「そして、空の要素からなる魂が私という訳ね。魔法ではなく、ありのままの理に従った結果として何かを起こすことが出来る。だから、魔物への攻撃が魔法に伴う歪みで相殺されることなく通る……やっと分かったわ」
突然の声に驚いて扉の方を振り向くと、ミカエラが入ってきていた。
「ミカエラ、どうして……いつから聞いていたんだ!」
焦るユーリに、ミカエラは落ち着いて答える。
「全部、聞いていたわ。お茶を持ってくる時に、貴方が話し始める声が聞こえたの」
ミカエラはティーカップをそっとテーブルに置くと、ユーリに向き直り再び口を開いた。
「立ち聞きなんて酷いことをしてしまってごめんなさい。それでも……父に魔法の道具として使われていた過去だけじゃない、楽しい思い出だったはずの今までの旅の記憶を思い出すために、この力を、正しく受け入れたくて」
「そう、なのか」
ミカエラの言葉を聞いたユーリの表情が歪む。
「私には時の要素がない。だから私の記憶はこの世にある時の要素、つまり貴方の魂に刻まれた私の身体が感じ取った記録を、貴方から受け取ることで成り立っている。何があったのかはよく分からないけれど、もうこの力を暴走させたりなんてしない。……倒すべきものが分かったから」
「君は……人間の言う禁忌そのものである、という事を受け入れるのか」
ミカエラは静かに頷いた。
「当然よ。訳も分からずに辛い思いをするよりは、受け入れてもっとつらい思いをする方が良いと思うから。……お願い。貴方の魂に刻まれた私の記憶を、もう一度渡して」
「君にとって、相当辛いものもあるかもしれないが……そこまで言うのなら、記憶を返す」
そう言うとユーリはそっと立ち上がり、ミカエラの身体に触れた。次の瞬間、ミカエラが頭を押さえてしゃがみ込んだ。
「大丈夫か?」
ユーリがそっとミカエラを支える。
「これが、私の記憶……。ありがとう。もう、大丈夫」
そう言ってミカエラはすっと立ち上がると、今度は逆にユーリの手を取って立ち上がらせた。
「心配ないわ。私は私、ミカエラ・アマーリアという名の、空の魂を持つ女。貴方が私に時を与えてくれるように、私は貴方の存在する空間を与える相補的な存在。療術師として人々を助けて生きていくという訳にもいかないのは残念だけれど、いわゆる魔術師ではないことくらい元から察しはついていたもの。神様に逆らう存在として生まれたという事実も、今更受け入れられない内容じゃないわ」
ミカエラは何か吹っ切れた様に、清々しく笑って見せた。それに対してユーリは自分の判断を恥じたのか、何とも言えない表情を浮かべていた。
「それならば……要らない心配だったみたいだな。本当に身勝手で、悪いことをした」
「気にする必要はないわ。それに私自身がこの事実を受け入れたいと思うよりも早く本当の事を知ってしまったら、私は貴方を殺した後に記憶を持つことが出来なくなって廃人と化していたのかもしれないから」
彼らの会話から察するに、時空という理においては恐らく二人は対の存在であり、純粋な力である故に不安定で互いに支え合って存在している。そしてその理の中では彼らの会話に一切の矛盾もない。だが、神様の教えとユーリやミカエラが語った話のどちらが正しいのか、それを決定づける証拠も一切存在しない。神様を信じる一人の人間として生きてきたオレとしては、その証拠がない中で彼らの話が正しいと自信をもって判断する事はできそうにない。
「なあ、ユーリ。……オレは今の話、正直まだ完全には信じられない」
「そうだろうな。それで、どうする」
「だけど、お前のことは信じてる。オレは天涯孤独の身で、この世界にはたった一人の親友以外に失うものは何もない。だから、お前について行く」
「怖くないのか」
「死んだ後の世界で神様の所に行けずに、父さんや母さん、ティアムの人達と会えなくなるのは少し寂しい。だけど、怖くはないんだ。……神様の教えが正しいなら、お前は悪魔という事になるんだよな」
「そう、なるな。……神に背き人の魂を惑わせ、喰らう悪魔。俺の立場から言えば、それすらある種の強迫観念から生まれた概念に過ぎないものだがな」
「そうだろうな。だから一つだけお願いがある。……他の誰にも、オレの魂を渡したりしないでくれ。親しかった他の誰とも一緒に居られなくても、ユーリと共にいられるならそれで良いんだ。だからお前自身が、オレのこの魂を喰らう。これだけは、約束してくれよ」
「分かった」
そう言ってユーリは少し安心したような、寂しそうな瞳でこちらを見つめた後に視線を逸らして呟いた。
「これなら、まだお前は化け物にはならなくて済みそうだ。それで、良いんだ」
オレはそう言うユーリの肩を掴むと、こちらに向き合わせた。
驚いて見開かれた琥珀色の瞳をしっかりと見据えてオレは彼に告げた。
「でも、お前みたいに優しい悪魔がいるなんていう事もオレには信じられないけどな。……だから、もしオレが天国に行けたなら、人の身を得て生きたお前が救われるように祈り続けるつもりだ」
ユーリはその言葉を聞いて少し呆れた顔でこちらを見ていた。だが、オレはもう少し何が正しいのか見極めたいだけだ。神様の教えを間違ったものと証明し、ユーリの話すことを全面的に信じられる程の証拠が知りたいだけなのだ。といっても敢えて口に出す必要はない。そう言ってしまったら益々彼が話したがらなくなるのは火を見るよりも明らかだ。
「……まあ真実が何であれ、オレはお前という存在を信じる。だから、好きなように連れて行ってくれよな」
「分かった。そうしよう」
ユーリはこちらを見て静かに微笑んでいた。オレには彼の琥珀色の瞳に秘められた悲しみや苦しみが、ほんの少しだけ小さくなったように見えた。
「いい加減ベッドに居るのも飽きた。折角だ、街で食材を買って皆で食事を作っておいて、親子が休めるようにしたらどうだろう。ミカエラ、使っていい器具とそうでないものがどれか、位は聞いているか」
ミカエラは笑顔で頷くと、ちょうどドアの近くにいたルーツィエを誘って四人で買い出しに出かけた。




