イェレミースの騎士(前)
「ユリウス君、策は決まったかい?」
「はい。できる限り街の中心に近づいて周囲の時間を止める力を発動した後、ミカエラに可能な限り能力の適応範囲を広げてもらいます。俺一人では広範囲の時間を止めることはできません」
クラウスさんは頷くと、馬車を街の中へと走らせた。当然のことながら敵の矢が飛んできた。その時だった。
「時間制御・完全停止!」
「空よ、広がれ」
ここに居る六人以外の、街の中の全てが止まっていた。クラウスさんは予想通りだ、と言って頷いていた。ユーリが少しだけ顔を歪める。
「いくら最小限の範囲での発動にしてミカエラに有効範囲を広げてもらっているといっても、この形の時間操作はそう長く続けられません。体感で五分が限界でしょう。それぞれが急いで魔物を倒しましょう」
皆が馬車から飛び出そうとした時、ミカエラが何か妙案を思いついたようだった。
「先に魔物を倒していて」
馬車を飛び出し手当たり次第に魔物を撃破していく。ユーリは加速も使用して目にも止まらぬ速さで遠くの敵を処理しに行ったようだ。視界に入る魔物は全て倒した。だが時間が止まっているせいでオレ達には音や気配が全く感じられない。
「どこに居るのよ!あたしたちの声以外何も聞こえないんじゃ、手がかりも何もないじゃない!」
「仕方ない、手当たり次第に探すんだ」
クラウスさんもこのような状況を経験したことはないのだろう。どこか焦っているようだった。オレはティアムの町で魔物が出て大物に囲まれた時に一度だけ経験したことはあるが、この規模は初めてだ。こういう時でも二人ならば気配が分かるのだろうか。そう考えながら手当たり次第に探していると、何処からかミカエラの声が聞こえた。
「聞こえますか?私の魔法で、離れていても互いの声が聞こえるようにできないか試してみたのですが!」
その声に皆が返事をした。
「ミカエラ!どこに魔物がいるか分かるか?皆に伝えてくれ!もう時間がない!オレは加速で街の端にいる魔物の処理に専念する!」
ミカエラに特殊な気配を察知する力で見つけた魔物の位置を教えてもらいクラウスさんとオレが処理しに行く。クラウスさんはユーリと同じ素早さを生かした戦い方をするようで小型の敵を次々と切り裂いていく。オレは重い攻撃でしか倒せないような大物に近づいて急所に一撃、渾身の突きをお見舞いする。高所の魔物はルーツィエが弓で射抜いていた。しばらくするとユーリの声が聞こえた。
「駄目だ、もう発動が持たない!馬車に一回戻る」
「大丈夫。魔物の気配はほとんど消えたわ。あとは家の中に小物が少しだけ隠れているけれど、これなら街の人でも適当な武器で倒せるわ!」
馬車に戻ってみると、中にはマティアスとミカエラがいた。マティアスはイェレミース兵の武器を取り上げて馬車の中に集めていた。魔物以外は盲点だったのでしょう、と言って彼は得意げに笑っていた。
「これで遠くの弓さえ気を付けていればどうにかなるでしょう」
「時間停止の拡大と空間を越えた言葉の伝達をしていたから多くの事は出来なかったけれど、敵の弓矢は焼き払っておいたわ。あと、ユーリさえ戻って来れたら……」
その時だった。時間停止が切れた。周囲で武器を失い、魔物が黒い霧となって消えていく事態に混乱するイェレミース兵の困惑する声が響いていた。クラウスが街の外に出るように御者に指示を出した。困惑するオレに静かに語り掛ける。
「武器を取り戻されたら困る。一度街の外に出て馬車を隠すんだ。ミカエラに伝えてもらう。彼の身体能力なら戻って来られるだろう」
そうか。この人は一度発動が切れた後のユーリの消耗の仕方を知らないのか。皆も加速一回分の後に木に寄りかかって休む姿しか見たことがなかったはずだ。オレは馬車の扉を開けて力の限り飛び出した。皆の呼ぶ声を背にして、困惑しながらも追いかけてくるイェレミースの兵には目もくれずにユーリの名を呼んで街を走る。鎧を着ていて重いのだろうか、彼らの足は軽装備のオレには追い付かない。
「なんだこいつ。こんな所に誰か居たか?」
背後の路地裏からこんな声が聞こえてきた。振り返りその路地に飛び込むと、遠くに槍を持った兵士が二人いた。その目の前に、誰かが倒れていた。一つに束ねられた黒髪が地面に広がっていた。ユーリだった。兵士達はユーリの体を調べ始めた。
「気を失っているだけだ。だが傷一つない……街を守るために力を使い果たした魔法も使える剣士、ってとこか?」
とりあえず捕虜にしておこう、と言って片方の兵がユーリを担ぎ上げて反対側に向かって歩き始めた。オレは力の限り走る。
「お前ら!待ちやがれ!」
彼らが足を止めた隙に突っ込んでユーリを担いでいない方の兵を一撃で貫く。もう片方も槍を構えるためにユーリを下ろした瞬間を狙って喉元を貫く。返り血を浴びる。そしていつもは人間を守るために黒い霧を吹き飛ばすだけのこの槍の先が、恐らく悪人ではなくただ戦いの為に兵としてここに来ていただけの人を貫いて赤く染まっている。背筋に悪寒が走り思わず凍り付く。だがイェレミース兵の見つけたぞ、という声がして我に返る。
「ユーリ、大丈夫か!戻るぞ!」
声をかけるとユーリが目を覚ます。間に合わなかったか、と笑う彼に全然間に合ってない、と答える。そして前を向くとイェレミースの兵がすぐ近くに迫っていた。後ろは後ろで倒れた兵士の姿が見られてしまったのか、武器を持っている兵が路地に入ってきていた。
分かれ道はない。挟まれてしまった。ユーリを抱えて慌てて扉の壊された近くの建物に飛び込む。中には既に魔物に食べられたのか無残な遺体が残されていた。そして扉は歪み多くのものが散乱していた。動かされた棚の近くに隠し扉を発見しそのまま地下室に逃げ込む。中では火のついた燭台が辺りを照らしていた。既に中は荒らされていたが、木箱だらけでどうにかやり過ごせるかもしれない。
「助かった。ところで皆は?」
「馬車で街の外に出た。マティアスが近くの敵の武器を奪って馬車に隠して、時間操作が終わるときに備えていた。それを馬車ごと隠して無力化してしまえ、っていう作戦だったらしい。だけど皆、お前の力の反動の事を余り知らなかったんだ。だからすぐに戻ってくるだろうって思ったらしくて」
ユーリは一言そうか、と言ってそのまま黙ってしまった。上の方が騒がしくなってきた。見つかるのも時間の問題だった。だが幸いなことに入口は狭いから一人ずつしか入れない。オレはそっと入口の付近へと移動した。入ってきたらどうにかして一対一でこの場所で食い止めるしかない。その時、倉庫の端の蝋燭の明かりの揺らぎが急に激しくなる。蝋が切れかけているようだ。
「俺も近くに寄る。だがこの明かりが消えるまで休ませてくれ。彼らは兵士だが、魔物を扱う殺戮者でありこうして家を襲う略奪者。容赦する必要はない」
ユーリが静かに言った。オレは瞳を閉じて街の惨状を思い出す。
「そう、だな」
悪人退治も、オレ達の仕事だったな。国を守るための兵士も、敵国にひとたび攻め込めば略奪などを繰り返して盗賊同然の悪人になることもあるのか。盗賊相手でも人を殺すのは未だに抵抗がある。普段ならそれを見越してかユーリがオレより先に盗賊を斬り殺すことが多かった。だが今はそんなことを言ってはいられない。そして彼らのやったことが分かってしまえば、もうこの槍であの兵士たちを刺し殺すしかない。
まだ少しだけ震える手で、しっかりと槍を握りしめた。
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「これでは盗賊も同然です。一体貴方達は何をやっているのですか!」
赤い髪の若い騎士は怒りで声を震わせていた。
「ベンヤミン卿、貴方は今この軍勢全体の指揮を任されているのです。そしてこれが、最前線で多くの兵を使って戦うやり方なんですよ。貴方がこれでは士気が下がります」
目の前にいる兵が騎士に向けて言い放った。
「イェレミースの若い騎士の中では最高の騎士と言われるベンヤミン卿でも、いざ戦場となればまだ青いのですね。彼らはいずれ敵兵となるかもしれません。故に殺し、捕え、場合によっては奴隷として売り飛ばします。そして物資はいくらあっても足りることはありません。それ故に住人のいなくなった家から頂戴していくのです。全ては、貴方が仕えるイェレミース王、ゴットフリート陛下の為に」
兵士は地位が上であるはずのベンヤミン卿を嘲笑うように言った。
「騎士の道を行くか、王の為にその道を曲げるか、という事か」
ベンヤミン卿は静かに目を閉じた。その時、屋根に上っていた兵士が慌てた様子で下りてきた。
「ベンヤミン卿!大変です!」
何事だ、とベンヤミン卿が尋ねた。兵士の答えは彼の想像をはるかに超えたものだった。
「何者かの力によって魔物が一瞬にして全て黒い霧と化して消滅しました!」
そしてもう一人、今度は街の中心にいたはずの兵が戻ってきた。
「中心部にいた兵士の大半が一瞬にして武器を奪われました。皆が口々に気が付いたら武器が手からなくなっていた、扱っていたはずの魔物が黒い霧に変化した、と言っています!なおその直前に一台の馬車が突入し、直後に引き返していった模様です。馬車の周辺の兵は皆武器を奪われていたために捕えることができず逃げられてしまいました」
ベンヤミン卿はどういう事だ、と問い返すが兵士も訳が分かりません、と返すばかりだった。しばらく頭を抱えているともう一人兵がやってきた。今度は何だ、と少しいらだった様子でベンヤミン卿が問いかける。
「一人の槍使いの若者が一台の馬車から飛び出し、誰かの名前を呼びながら街を駆け抜けていった後に路地裏に入り、兵士二人を殺害した直後何かを抱えて近くの建物に逃げ込んだ模様です」
「そうか。彼らと例の馬車、そして街の兵以外に何か敵らしき者を見たものはいるか?」
全ての兵士が首を振った。ベンヤミン卿は武器を奪われたすべての兵を集め、予備の武器を与えると彼らに向けて命令を下した。
「今から全員でその建物に向かう。これだけの被害が出た以上、陛下の邪魔をする者を倒し捕えるのに手段を選んでいる余裕はない!皆、それぞれの隊長に従いその建物の周辺を包囲しろ!」
ベンヤミン卿の周りの兵が慌ただしく動き出す。だが彼らが急ぐ理由は、その道中で様々なものを略奪するためだ。兵が疎らになったころ、彼は一人東の空を見て呟いた。
「若君……申し訳ありません。正しき騎士の道を捨てなければ、イェレミースの騎士としてあり続けることができないのです」
彼は瞳を閉じ、反対を向いて静かにその建物の方に向けて歩を進めた。
その緑色の瞳から、ほんの少しの涙が零れた。




