二人の始まり(後)
孤児院の子供たちはある程度大きくなると村で様々な手伝いをして仕事を学びつつ、食べ物や日々の食費の足しにするお金を貰ってくる事になっていた。体の弱いユーリもオレ達と一緒に、精一杯頑張っていた。体が弱く力仕事が苦手な彼を責める人も未だに存在していたが、オレはその度に手を貸しては悪意をもって接してくる人から守っていた。まるで兄が弟を守るようだと言われることもあった。十歳の夏の、そんなある日のこと。オレとユーリが市にお使いに行くことになり、それぞれが指示されたものを買って互いに確認していた時の事だった。人々の悲鳴が聞こえた。
魔物の襲撃だった。
逃げろ、家に入れ、自警団の奴はどこだ。街の人達の焦る声が飛び交う。早く教会に逃げ込まないと。果たして間に合うのだろうか。そんなことを考えていると、ユーリがオレに買い物かごを渡してきた。彼の眼差しはいつになく真剣だった。
「先に孤児院に戻って」
戸惑うオレに、すぐに戻るからと告げてユーリはどこかへ走って行った。オレは他にどうすることもできず急いで孤児院に戻った。
そして目にしたのは倒れている孤児院の仲間達。中でもアクセルは脚に酷い傷を負っていた。よりにもよって魔物が攻めてきた場所がオレ達の孤児院がある町の教会だったのだ。
また、大切な人が、目の前で死んでいく恐怖。
混乱し、呆然と立ち尽くすオレに向けて、誰かが逃げてと叫んでいた。フリーダだった。その声に反応し後ろを振り返ると、魔物が大きな鉤爪を振り下ろしていた。近くに戦える人は誰もいなかった。
もう終わりだ、と思った。その瞬間。
時間制御・自己加速!
聞きなれた声が耳に届いた。そして魔物が何者かによって瞬時に切り裂かれ、黒い霧となって消滅した。後ろで誰かが息を切らしている音だけが聞こえていた。振り返ると、ユーリが見慣れない形の片刃の剣を支えにして立っていた。
「怪我は、ないんだな」
そう言ってユーリはその剣を左手に持っていた鞘に納めた。いつの間に彼は剣の扱いを学んでいたのだろう。そして今、ユーリはまるで瞬間移動をして魔物を切り裂いたように見えたのだが、あれは何だったのだろう。呆然としているオレと傍に立つユーリをよそに、周囲は怪我人の手当てや被害の確認のために動き出していた。
----------
翌日。町は昨日の魔物の事件の話で持ち切りになっていた。皆が口々に、目にも止まらぬ速さで駆けてきた何者かによって魔物が切り裂かれ、気が付けば無数にいたはずの魔物が黒い霧と化していたのだと話していた。一体誰がやったのか、それとも新手の化け物か。そんな話があちらこちらから聞こえてきた。ぽつり、ぽつりと雨が降り始め、やがて人々の話を遮るほどの音を立てて雨粒が落ちてきた。ユーリが建物に戻っていないのを不審に思い庭を見ると、彼は庭の林檎の木の下で佇んでいた。オレはこっそり外に出てその木の方へと向かった。
「隣、いいよな」
何の返事もなかった。オレは勝手に彼の隣に立った。暫くの間、雨の音だけが響いていた。雨脚が強くなっただろうか。もう町の人の声は聞こえなかった。濡れてしまうのは厄介だが、それでもこの方が都合がいい。オレはユーリの方を向いて問いかけた。
「あれ、ユーリがやったんだよな」
ユーリは視線を逸らし、小さく頷いた。
「町の方を片付けていたら、孤児院に戻るのが遅くなって」
危なかった、と言って彼は静かにため息をついた。
「ところで、あの剣はどうしたの?それに、その技も」
「クルトさんから借りてきた。……返しに行ったんだけど、もう返さなくていい、って言われた」
何でも遠い昔に一人の男がクルトさんの先祖に渡したものらしいのだが、手入れの仕方が分からずそのまま錆び付いて抜けなくなっていたという。それが彼が手に取って鞘から抜いた瞬間、美しい文様を持ち眩い光を放つ刃が現れ、この世の剣とは思えないほどの切れ味を見せたらしい。
「剣の技は……覚えていたんだ。この、力のせいで」
力。昨日の瞬間移動の時に使った、時間制御とやらの事だろうか。考え込んでいると、先にユーリが口を開いた。
「俺は、時間に関わる力を持っているんだ。体の負担は大きいけれど」
時間に関わる力。神様の教えによれば人は奇跡を起こす力である魔法を扱えるらしく、前に読んだ本では治療を行ったり、水を呼び出したり、火を起こしたりと様々な逸話が書かれていた。その中にはいくつか不幸な終わりを迎えた物語もあった。それはどんなに魔法を極めても時を巻き戻したり人を蘇らせたりすることはできなかった、という結末だった。彼が魔法について調べていた様子はなかった。新しい、彼だけに授けられた魔法なのだろうか。そもそも彼は、何者なのだろうか。考えがまとまらずに頭の中を渦巻いていた。
「どう思ってくれても構わない。……町の人みたいに、新手の化け物と考えても」
ユーリはそう言って下を向いた。もう少しだけ考えてみたが、オレの足りない頭では結局何も分からなかった。雨は刻々と酷くなり、早く話を切り上げた方が良さそうだった。オレは分からないな、と言って彼を一先ず屋内に連れて行った。
戻った時には夕食の準備が始まっていた。席に着くと、他の子どもたちが妙にこちらを気にしていた。ユーリは小さなボウルに入ったスープだけを飲み干すとそのまま席を立ってしまった。具合でも悪いのだろうか。仕方がないのでオレは彼のパンを一番痩せた年下の子供に渡すと、自分の分を食べてから寝室へ向かった。その時だった。寝室の中から大きな物音が聞こえた。驚いて急いで扉を開けて中を覗くと、ユーリが倒れこんでいた。
----------
翌朝。窓から差し込む朝日が異常に眩しい。オレは衝立で仕切られた空間の中の、椅子の上で目を覚ました。医務室の中だ。目の前のベッドではユーリが眠っていた。そうだ、昨日彼の様子を先生やマティルデさんに知らせ、彼を医務室に運んだのだった。だが二人は魔物の襲撃で傷を負った子供たちの様子を見るからユーリの事は任せると言って周囲に衝立を立てると、そのまま見えない場所に行ってしまったのだ。暫くするとユーリの声が聞こえてきた。彼はぼんやりとした様子でオレの名前を呼んだ。
「ユーリ、良かった。昨日の夜、急に倒れたみたいで。心配したよ」
彼はもう大丈夫と言って笑うと、真顔になって天井を見上げた。
「アクセル達は大丈夫なのか?」
そういえば昨日衝立越しに、全員命に別状はないがアクセルの足だけはもう治らないだろうという会話を聞いていた。そのことをユーリに伝えると安心したように目を閉じた。少し間が開いて、彼が問いかけてきた。
「ところで、なぜ衝立で囲まれているんだ?」
医務室にはそれぞれの親しい仲間が見舞いに来ることがある。昨日の自由時間にも、多くの子供たちがこの部屋を出入りしていた。そういえば衝立が置かれる直前に、孤児院の仲間の数人が部屋の外で見舞いに行きたいけどユーリの力が怖い、彼は化け物じゃないかと怯えながら会話していたのを思い出した。オレは答えるのを躊躇った。だがユーリはじっとこちらを見つめていた。まるでその答えを知っているかのように。諦めて全てを話すと、彼はふう、とため息をついた。
「酷いよな。ユーリが居なかったら、みんな魔物に殺されていたっていうのにさ」
オレがそう言うと、彼は嘲笑するように鼻で笑う。だが、それは間違いなく彼自身に向けられていた。
「別に構わない。慣れたことだ」
彼は窓から東の空を見て、こんな力を持って生まれて人間として扱われたいと願う方が馬鹿みたいだったな、と呟いた。その声が少し震えていた。暫くして彼は、アクセルも親しい仲間だから彼の方に行ったらどうだと声をかけてきた。
「それは無理なお願いだな。マティルデさんに全部任せるって、言われちまったからな」
オレは笑って声をかけた。しかし彼はそういう事か、と寂しそうに答えた。
「そういえば昨日、お前はどう思ってくれても構わないって言ったよな」
急に真剣な声色で声をかけたせいだろう。ユーリは目を丸くしてこちらを見てきた。
「だからお前はお前、ユーリだ。ユリウス・ハルトマイヤーっていう人間だ。それで良いだろ」
オレの答えを聞いて、彼はただ茫然としていた。オレは構わず言葉を続けた。
「前にオレは父さんみたいに人を守れるようになりたいって話をしただろ?でも一昨日の襲撃の時、オレは何もできなかった。それでお前はあの凄まじい力を使って魔物を全部斬った。でも、要するに無茶をした、ってことなんだろ?だからオレも強くなって、一緒に魔物を倒して、こういう時も助け合っていけるようになりたい」
一気に喋ったせいか息が切れた。オレは一度深呼吸をして、更に言葉を続けた。
「一緒に居たいって思う理由、これだけじゃ足りないか?」
ユーリは今まで守ってもらっていたんだからお互い様だろ、と言ってそっぽを向いてしまった。だがその声はどこか安堵したようだった。
あれから町の人々は表向きでは彼を人間として扱っていたが、陰でその力を恐れるようになった。町に魔物が出た時にはユーリが戦って倒しオレがそれに付き添っていたが、その度に皆化け物を見るような目でユーリを見ていた。幼馴染同士も仕事や手伝いで離れ離れになった。孤児院のマザーも、孤児院の中では年長のオレ達に構っている余裕なんてなかった。いつも二人だけで過ごしていた。そんな中で迎えた、オレの十一歳の誕生日。ユーリが細い鎖のついた、何か紋様の入った金色の小さな入れ物のようなものを手渡した。
「誕生日、おめでとう」
これはいつも彼が隠し持っていて、たった一度だけ見せてくれたものだ。大切な人から貰った宝物だと言っていたはずだ。驚いて断ろうとすると、彼は笑ってこう言った。
「この前の俺の誕生日に、大切な人には自分にとって一番大切なものを渡すものだと言って君の両親の遺品の銀貨をくれただろう?」
これが自分にとって、一番大切なものだから。そう言って彼はもう一度その宝物を差し出してきた。彼の孤独な過去を察して妙な事を言ってしまった事が仇になってしまった。今になって自分の言葉をなかったことにするわけにもいかない。仕方なく受け取り、よく観察してみると中と外の両方に何か文字が書かれていた。だが装飾だらけでオレには読めない。
「これ、何て書いてあるんだ?装飾だらけで読めないぜ」
「内側は『常に共にある、最も大切な人へ贈る』だ」
外は、と尋ねたところ、ユーリはこれをくれた人の名前だとだけ答えるとそのまま黙り込んでしまった。彼は過去の事は何も語りたがらない。唯一答えてくれたのが、時間制御を使って奴隷商人を殺して逃げた先がこの町だった、という事だけだった。きっとその名前も、彼の過去に大きくかかわるのだろう。オレはありがとう、と答えてそれ以上の事を問うのをやめた。
----------
そして十三歳の誕生日が近づいた。この年齢になるともう独り立ちしなくてはならない。だがこの先の仕事や住まいが決まらないまま孤児院を出る日が近づいたある日のこと。ユーリが心配そうに将来の事を聞いてきた。どうしようか、と答えると彼は一つ提案があると言って剣を抜いた。
「俺は今までの魔物退治のお礼で皆と比べると少し多めにお金がある。それにこの剣がある。これを元手に向こうにある小さな空き家を使って魔物退治屋でもしようと思っているんだ。それでも相変わらずの体質と腕力のせいで不安も多いんだ。だから、ニックも一緒にやらないか」
「いいのか?問題ないならオレも居場所がないし、一緒にやりたいな」
ユーリはそれなら決まりだな、と言って笑った。だがその空き家はあまりにも古く、旅人が一晩雨露を凌ぐのが精一杯というものだった。町の中で唯一ずっと理解のあったクルトさんにその話をすると、空き家の改修を喜んで引き受けてくれた。そしてオレの方がほんの少しだけ誕生日が早いので、その日に二人で孤児院を出ていく事にした。そして当日。オレ達は中古だが良い槍を市で手に入れて、新たな拠点に引っ越した。
「これからずっと、ここで魔物退治をして人を助けていくんだな!」
彼は笑顔でそうだな、と答えた。その金色の瞳は、いつになく明るく輝いていた。オレは考え事をしているのか、立ち尽くしているユーリを置いて先に中に入った。その時、気のせいだったのだろうか。彼の声が聞こえた気がした。
……俺がこの町にいる間は、だな。
これがオレ達の魔物退治屋、ニックとユーリの魔物狩りの始まりだった。あれから五年もの間魔物狩りを続けた。そして二人とも強くなった。人々はユーリを化け物扱いした日々を忘れていった。そしてオレ達は町の英雄のような扱いをされるまでになったが、暮らしはそれほど変わらなかった。……そしてこの旅では、一体何がどれだけ変わるのだろう。
----------
「って、こんな感じで色々とあったんですよー」
葡萄酒の美味しさのあまり少々飲みすぎたようだ。宿の主に一通りの出来事を語ることはできたが、最後の方は随分と声が間延びしていたのを自分でも感じていた。でもこんな経験は二度とないかもしれない。もう一杯だけ、と言おうとした時、語っている間は相槌を打つばかりであったユーリがようやく声を出した。
「もう止めておけ。明日困ったことになる」
そうだなぁ、と間の抜けた声で返事をした。これでもオレ自身は真面目に返事をしているつもりなのだが。既に困ったことになってしまった。だが昔を振り返って思ったことがある。これだけはユーリに伝えよう。
「なあ、ユーリ。オレ達もう十八だろ?そろそろ良い相手を見つけて家庭を持って、なんて言われる年なわけで旅の後はそうなるんだろうけどさ、それでも、ずっと一緒に助け合って生きていこうぜ?」
オレはこう言ったつもりだが、本当の声はもっと間延びしていたんだろう。ユーリは少し笑うとこちらを見つめて返事をした。
「そうだな。……約束、だな」
その声には強い意志と、ほんの少しの寂しさが感じられた。
「だからこの前みたいに無茶して、それで死んだりするなよ?」
お互い様だな、と言ってユーリは笑っていた。オレ達は二人ともほんの少しだけ上機嫌なまま何かを語り合い、いつの間にかカウンターに突っ伏して眠ってしまっていたのだった。




